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2011年11月25日 (金)

聖書と酒~聖職者の不祥事からの考察

北海道で、聖職者の不祥事が起こってしまいました。
「接客悪い」 神父が飲食店経営者に頭突き、逮捕
(MSN産経ニュース2011年11月25日)
朝5時まで飲酒したあげくの、まだ前途ある若い神父の大失態ですね・・・
今回はこの事件から、聖書と酒の関係を御言葉から考察します。

プロテスタント、特に福音派や聖霊派では、
禁酒禁煙が徹底されているところが多いですが、
カトリックなど伝統的な教派では、禁酒禁煙の教えはありません。
(煙草は聖書に出てこないですね。)

新共同訳聖書で、「酒」というキーワードで調べてみると、
結構たくさんありました。
(実際に調べてみたい方はコチラ
聖書のほぼ全巻のどこかに、
「酒」という言葉が含まれているといっても過言ではありません。

聖書では、飲酒について、節度を守るならばよいものだ、
ととらえていると私は思います。
たとえば・・・
(今回の聖書引用はすべて新共同訳からです。)
ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ
パンは人の心を支える。
」(旧約聖書詩編104:15)
食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる。
(旧約聖書コヘレトの言葉10:19)
聖餐式・ミサで「キリストの(御)血」とされるのは、
ぶどう酒ですね。
(プロテスタントで「ぶどうジュース」を使う教派は、神学的に間違いだと思います。
アル中患者に配慮してというなら別ですが・・・)
ぶどう酒は天地万物の創造者である主への献げ物の一つでした。
あなたの豊かな収穫とぶどう酒の奉献を遅らせてはならない。
(旧約聖書出エジプト記22:28)
そういえば、キリストの最初の奇跡は、水をぶどう酒に変えた奇跡でしたね。
(ヨハネ福音書2章)

一方、酒の飲みすぎにはたびたび警告がなされています。
「ノアの箱舟」のノアは、泥酔して裸をさらすという大失態を犯しました。(創世記9章)
旧約聖書の代表的な「泥酔を避けよ」という警告箇所としては・・・
大酒を飲むな、身を持ち崩すな。」(箴言23:20)などがあります。
箴言23章は、宴会や飲酒についての考察があります。

旧約聖書続編(プロテスタントでは外典)にも記述があります。
自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。
ぶどう酒を酔うまで飲んではならない。
また、酔うことが習慣となってはならない。
」(トビト記4:15)
「続編」に含まれるユディト記では、
泥酔のあげく首を討ち取られる哀れな将軍の話があります。
(下のカラヴァッジョの絵を参照・・・)
「シラ書(集会の書)」31章には、
酒を飲んで男っぷりを見せようとするな。酒で身を滅ぼした者は多い。」(25節)
過度の飲酒は気分を損ない、いらだちや、間違いのもととなる。」(29節)
という言葉さえあります。
何千年もの時を経ても真理ですね。


カラヴァッジョ(カラヴァッジオ)作『ホロフェルネスの首を斬るユディト
(かなり気持ちが悪い絵ですね・・・)
20111125_caravaggio_oloferne_2
(実際に首を切られることはないにせよ、
泥酔で大トラになって、「クビ」ということだってありえるわけです・・・)

新約聖書では、過度の飲酒を明確に禁じています。
たとえば・・・
夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。
(ローマの信徒への手紙13:13~14)
酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。
(エフェソの信徒への手紙5:18)
「(監督は)酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、
(テモテへの手紙Ⅰ3:3)
監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、
(テトスへの手紙1:7)

ところで、英語で「聖霊」を表す言葉は「(Holy)Spirit」で、
ウイスキー・ブランデーなどの強い酒を表す言葉は「spirits」ですね。
人を酔わせるもの、という意味では似ていますが、結果は違いますね。
前者は人を聖なるものとならせてくださいますが、
後者は、飲めば飲むほど、破廉恥な行いを招きます。
新約聖書には、聖霊と酒を対比している箇所があります。
酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。
むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、
主に向かって心からほめ歌いなさい。

(エフェソの信徒への手紙5:18~19)

どの本で読んだか忘れましたが、
カトリックの神父が書いた本の中に、
飲酒について、
「飲酒しても『天使祝詞』(現:「アヴェ・マリアの祈り」)が唱えられる程度まで」
というような記述があったと記憶しています。
飲酒に寛容なカトリックでさえ、過度の飲酒は戒めているのです。
今回の事件は残念ですね・・・

私自身は、あまり酒に強くないので、
宴会に出た時に少し飲む程度で、
家では記念日とか特別な日以外はまず飲みません。
酒を飲みたい、という欲求自体が薄いのでしょうね。

酒そのものは、性のよろこびと同様、
神様からのすばらしい贈り物の一つです。
しかし、泥酔するまで飲むのは、神様のお望みではありませんね・・・
酒「spirits」に満たされるのではなく、
聖霊「(Holy)Spirit」に満たされることこそ、
神様が私たちに望んでおられることです。

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