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2011年10月の26件の記事

2011年10月30日 (日)

東大・児玉龍彦教授の主張・行動を大きく紹介~NHKEテレ・ETV特集「果てしなき除染 ~南相馬市からの報告~」(2011年10月30日放送)

NHKは、NHK総合では先日の「あさイチ」のたぐいの放送をしたりしますが、
Eテレでは、硬派でまっとうな意見を紹介することが多いですね。
(二枚舌的といえますが、まったく何もやらない民放よりはマシといえますけど・・・)

2011年10月30日放送の、
ETV特集「果てしなき除染 ~南相馬市からの報告~」は、
福島県南相馬市での除染の取組と、
良心的な科学者の一人で、内部被曝の専門家である、
東大の児玉龍彦教授の主張と行動を大きく取り上げていました。
番組HPから、放送内容を転載します。

(引用)
広島型原爆168個分の放射性セシウムが環境中にばらまかれた福島原発事故。住民が安心して暮らしていくためには、環境から放射性物質を取り除く「除染」が欠かせない。国は「放射性物質汚染対処特別措置法」を定め、年間放射線量が1ミリシーベルトを超える地域については国が責任をもって除染を行う方針を明らかにした。しかし、具体的な方策についてはまだ何も決まっていないのが現状だ。
福島県南相馬市では、いまも2万5千人以上が町を離れ、避難生活を続けている。とりわけ放射線量が高い山あいの地域では、影響を受けやすい子どもたちは避難させ、高齢者だけが放射能におびえながら暮らしている家庭も少なくない。原発事故による家族の分断が始まっているのである。
放射線量が下がらない限り、子どもたちは町に帰ってこられない。このままでは地域の衰退にもつながりかねないと危機感を深めた南相馬市では、国に先駆けて除染に乗りだしたが、市内すべてを浄化するには途方もない時間と費用がかかることがわかってきた。内部被ばくの専門家である東京大学の児玉龍彦教授は国の無策に怒りを隠さない。
なんとか地域を甦らせたいと願う南相馬の人々の除染への果てしない挑戦を描く。

(引用終)

番組での児玉教授の主張からは、
国の無策・口だけの除染約束への強い怒りが感じられました。
児玉教授の試算によると、
南相馬市の平均的な一戸建ての家屋・土地の除染費用は、
なんと1軒あたり560万円にもなるそうです・・・
南相馬市の全世帯約2万だとしても、
単純計算で1120億円になります。
(実際にはそれ以上・・・)
一方、南相馬市の除染予算は10億円・・・
国は除染費用の負担を約束しているものの、
よほどのところでなければ出すつもりがなさそうです。
結局、地方が負担したり、個人が負担してしまうことになります。
本来は、排出責任がある東電や、原発を推進してきた国が、
有無を言わずにきちんと負担すべき費用です。
個人や地方公共団体の努力だけでは、限界があります。
国は少しでも早く・多く、
除染費用の負担や、場合によっては移住の検討を行うべきです。
民主党政権になってからずっと続いている「やるやる詐欺」・・・
もういい加減にしてもらいたいものです!

除染の努力には頭がさがる思いですが、
一方、除染した土砂・草木をどこにもっていくのか、
費用の膨大さに対する効果の程度などを考えると、
課題が山積み状態です。
チェルノブイリ原発での旧ソ連のように、
強制移住を検討すべきレベルなのでは、とも考えます。
政府や御用学者の机上の検討という「幻想」ではなく、
5年後・10年後の未来をきちっと見据えた、
現実直視こそ必要です。
「優しさ」から気休めを言い続けて、あとで残酷な現実を招くよりも、
今は厳しくとも、長い目で見れば正しく、
命と健康を守る判断を受け入れたほうが賢明といえます。

番組で紹介されていた、児玉教授の著作です。


内部被曝の真実 (幻冬舎新書)
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2011年10月29日 (土)

多部未華子さんの「貞子」はちょっと怖いかも?~映画「君に届け」

2011年10月28日に、日本テレビ系で、
映画「君に届け」(実写版)が放映されていました。
裏番組で観たいのがあったので(専業主婦探偵~私はシャドウ)、
録画して妻と一緒に観ました(妻は放送中に途中まで観ていましたが・・・)。

録画編集してCMをカットすると、96分にまで縮みました。
元々の上映時間は128分とのこと。
30分近くが放映にあたってカットされたようです。
(ウィキペディアで調べると、
ただし時間の都合上、千鶴の失恋やくるみの告白などはカットされている。」とのこと。)
原作ファンには大事ですが、映画単体で観れば、なくても違和感はありませんでした。

映画冒頭で、ベートーヴェンの第9を演奏しているシーンが出てきます。
「こんなシーン、原作にあったかな?」と思っていたら、
お父さんが楽団員というのは、映画オリジナルの設定でした。
(最後の方の伏線になります。)

あと、原作の舞台は北海道だったのに、瓦屋根が出てきて
(瓦屋根の家は北海道では皆無に等しいはず・・・)、
舞台が変更になったんだな~とすぐわかりました。
(映画は栃木県足利市などで撮影された、とのこと。)
まぁ、原作の舞台が北海道、
というのがストーリー展開に与えている影響はほとんどないのですが・・・

映画の半分ぐらいまでは、原作の1・2巻のエピソードをわりあい丁寧に描いており、
好感が持てました。
特に矢野さん、吉田さんを「大好き」というところは、
原作並みに感動しました。
それにしても、多部未華子さんの「貞子」はちょっと怖いかも?・・・
うまく原作の「爽子」=「貞子」のイメージを体言していました。
ぼそぼそというセリフもなかなかでした。
存在感と演技は80点ぐらいあげたいです。
(以前、コミック版の「君に届け」の記事を書いた際、
今秋には、多部未華子さん主演で、映画化されるそうです。
あまり合わないような気がしますが・・・
」などと書いてしまいましたが、
食わず嫌いの発言でした・・・ハンセイ~(^-^;)
アニメ版の能登麻美子さんには及びませんが・・・
(アニメ版の方が映画版より断然すばらしいです。)
欲を言えば、爽子のネガティブさ=自己肯定感の低さも丁寧に描いてほしかったです。
ただのニブイ女で終っている感がありました。

風早君や他のキャストは、どれくらい原作に近いのか、
少し微妙でした。
風早君を演じた三浦春馬さんは確かにイケメンですが、
「寛容さ」(というよりも、誰に対しても明るく接する太陽のような心)を
表しきれていないように思えました。

ラストの神社での告白と、その前のお父さんとのやり取りあたりは、
急に展開が早くなり、息切れ状態・消化不足かな、と思いました。
(特に家族で大晦日のコンサートに行くところは不要かな、と思いました。
障壁に全然なっておらず、あっさりと乗り越えてしまうので・・・)
原作で読んだようなドキドキ感や輝きが全然見られなかったのは残念かな・・・


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しずけき祈りの Sweet Hour of Prayer(MIDI)

今回は、讃美歌「しずけき祈りの」のMIDIを紹介します。
讃美歌310、新聖歌190、讃美歌21では495です。
讃美歌と新聖歌は歌詞が同じですが、
讃美歌21ではわずかに歌詞の変更があります。


(讃美歌・新聖歌の歌詞)

静けき祈りの 時はいと楽し
悩みある世より われを呼びいだし
父の大前に すべての求めを
携え至りて つぶさに告げしむ

静けき祈りの 時はいと楽し
さ迷い出でたる わが魂(たま)を救い
危うき道より 伴い帰りて
試むる者の 罠を逃れしむ

静けき祈りの 時はいと楽し
聳ゆるピスガの 山の高嶺より
故郷(ふるさと)眺めて 昇りゆく日まで
慰めを与え 喜びを満たす

(讃美歌21の歌詞※下線部が変更箇所。)

しずけき祈りの ときはいとたのし。
なやみある世より われを呼びいだし、
み神のもとへと すべての願い
たずさえいたりて つぶさに告げしむ。

しずけき祈りの ときはいとたのし。
さまよいいでたる われを呼び返し
あやうき道より ともない帰りて、
こころむるものの 罠をのがれしむ。

しずけき祈りの ときはいとたのし。
そびゆるピスガの 山のたかねより
ふるさとながめて のぼりゆく日まで、
なぐさめをあたえ、よろこびをみたす。


私としては、讃美歌21の歌詞の方になじみがありますが・・・
ちなみに原詞は以下のとおりです。
原詞の方が情報量が多いのは当然ですね。

Sweet hour of prayer, sweet hour of prayer
That calls me from a world of care
And bids me at my Father's throne
Make all my wants and wishes known
In seasons of distress and grief
My soul has often found relief
And oft escaped the tempter's snare
By thy return, sweet hour of prayer

Sweet hour of prayer, sweet hour of prayer
Thy wings shall my petition bear
To him whose truth and faithfulness
Engage the waiting soul to bless
And since He bids me seek His face
Believe His word and trust His grace
I'll cast on Him my every care
And wait for thee, sweet hour of prayer

Sweet hour of prayer, sweet hour of prayer
May I thy consolation share
Till, from Mount Pisgah's lofty height
I view my home and take my flight
This robe of flesh I'll drop, and rise
To seize the everlasting prize
And shout, while passing through the air
Farewell, farewell, sweet hour of prayer !


デューラー「祈りの手」
Photo


日本語で「しずけき祈りのとき」と訳されているところは、
直訳すると「甘い(甘美な)祈りの時」となります。
しずけき祈り」という響きはどちらかというと、
禅の修業のようなイメージがありますね・・・

3番の歌詞にある
そびゆるピスガの 山のたかねより
ふるさとながめて のぼりゆく日まで
」は、
旧約聖書申命記34:1~5に出てきます。
モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。
主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。

(旧約聖書申命記34:1~5新共同訳)
約束の地の目の前まで来たのに、ただそれを眺めるのみで、
実際には足を踏み入れることができなかったモーセの心境・・・
何度か思い巡らしたことがあります。

曲のMIDIは下記からダウンロード願います。
もちろん無償です。
ピアノ伴奏で、3番まで、アーメン付です。

「20111029_sweet_hour.MID」をダウンロード

2011年10月26日 (水)

映画「私がクマにキレた理由(わけ)」

2011年10月25日に、BSジャパンで、
映画「私がクマにキレた理由(わけ)」が放映されていました。
録画して妻と一緒に観ました。
原題は「The Nanny Diaries(直訳すると「ナニーの日記」)」。
「ナニー」とはベビーシッター(子守)のことです。
これは、原題よりも邦題の方がひねりがあって秀逸です。


映画「私がクマにキレた理由(わけ)」
映画 (Movie) / 私がクマにキレた理由 特別編  〔DVD〕


ゴールドマン・サックスに面接に行って、大失敗した、
人類学を学んだ若い女性、アニー(スカーレット・ヨハンソン)。
ひょんなことから、セレブのナニーとなって、大奮闘・・・
(「ナニー」と「アニー」が語呂合わせになっていますね。)

この映画は、子育てという視点で、
庶民から観た上流階級のおかしさを取り上げています。
ストーリー自体なかなか面白いですが、
興味深かったのは、
映画「メリー・ポピンズ」へのオマージュともいうべき場面・設定の数々でした。
重ね合わせて観ると楽しみが増します。


映画「メリー・ポピンズ
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主人公が、ナニー未体験であることを独白するところで、
「ナニーの映画は1本だけ観たことがある。」というようなセリフがでてきます。
もちろん、「メリー・ポピンズ」のことです。
(ただし、映画でははっきりとは語られていません。)
そのすぐ後に、「チムチムチェリー」のメロディが流れてきたり、
空から傘が降りてきたり、
傘につかまって主人公がニューヨークの空を飛ぶシーンなどが出てきます。
(もちろん主人公の空想・・・)
主人公のケイタイの着メロにも「メリー・ポピンズ」の曲が・・・
「最も長い英単語(Supercalifragilisticexpialidocious)」も出てきます。
主人公が預かる子どもの両親が、
子育てに全く関心なし、というのも共通です。

しかし、「メリー・ポピンズ」のような魔法は出てこないし、
夢の国ではなく、毎度の夜勤とか休日勤務のような「奴隷の国」に迷いこんでしまいます。
せっかく子どもに愛着を持ってきた矢先、
雇用主には理不尽な理由で解雇され、退職金はわずかでした。

ラスト手前で、邦題にもなった、
隠しカメラ入りのクマのぬいぐるみに向かって、
今までの思いのたけを怒りながら吐き出すところが痛快です。

メリー・ポピンズ」では、
メリー・ポピンズが去った後、家族がナニーなしでも仲良くなるところで終わりますが、
この映画では、夫婦が離婚して、母親が子を引き取って、
母子で仲良く暮らす、というところで終っています。
子どもの立場からすれば、一応は「めでたし、めでたし」なのかもしれませんが・・・

映画では、突然アニメっぽくなるシーンや、
博物館の解説を模したシーンなどがあり、
映像表現としてユニークなところがいろいろあります。

この映画の原作が日本でも出版されています。
ティファニーで子育てを』(文春文庫)という題です。
映画の邦題よりも洒落ていますね。


ティファニーで子育てを』(文春文庫)
ティファニーで子育てを (文春文庫)

2011年10月25日 (火)

映画「電話で抱きしめて」~テーマはラブコメではなく、家族愛・・・

2011年10月にBS局として開局した、FOXBS238で、
2011年10月23日に、映画「電話で抱きしめて
(原題「Hanging Up」(直訳すると「電話を切って(いる)」)を放映していました。
録画して妻と一緒に観ました。



邦題と、メグ・ライアン主演というところから連想して、
私はてっきりラブコメ映画かな、と思っていました。
期待は見事に裏切られました。
(恋愛映画ではありません。)
ただし、いい意味で、ということです。

メグ・ライアンの役は、三姉妹の次女で、
認知症の父親の世話をしている、というものです。
長女と三女はそれなりに著名な人物となっていますが、
次女は普通の主婦・・・
暴言や卑猥な言葉を吐いたり、突拍子もない事を言う父親ですが、
認知症になっても、大切な存在です。
しばしば次女の元に父親から電話がかかってきます。
多くは妄言です(「ジョン・ウェインから電話があった」等・・・)。

映画の第2の主題は、姉妹愛です。
愛、よりも少し複雑な感情が交錯します。

死期が近い父親の前で、
ようやく子どもの頃の無邪気な姉妹関係に戻れたかと思った矢先に、
父親があっけなく亡くなります。
最後のシーン、三姉妹が料理をしながら無邪気に小麦粉(?)をかけあうシーンは、
余韻がありました。
派手さはないですが、主人公の等身大の悩みに共感して、
ついホロリと涙しそうになりました。

途中まで、電話に振り回される主人公の姿に少しウンザリするかもしれません。
(この辺はコメディタッチです。)
また、邦題に騙された!と思った人は、期待はずれだ、と思い、
途中で観るのをやめてしまうかもしれません。
しかし、最初から「介護と姉妹愛の物語だ」と認識して観たら、
味わいある映画だと思います。

原題の「Hanging Up」(電話を切って)は、
電話に振り回される主人公が、ある人から
「たまには電話を切ってみたら」というアドバイスを受けたことによります。
(父親からの妄言電話を一方的に切ることが多かった、とかも入るのでしょうか?)
たまには、電話やメールなどに支配されない、心の静寂・休養が必要ですよね・・・

2011年10月24日 (月)

映画「ヒトラーの贋札」

2011年10月24日の昼に、NHKBSプレミアムで、
映画「ヒトラーの贋札」(原題を直訳すると「贋金作り」)が放映されていました。
2008年の第80回アカデミー賞で、外国語映画賞を受賞した、
ドイツ・オーストリア映画です。
(なお、「ヒトラーの・・・」と邦題がつけられていますが、
ヒトラーは出てきません。)
録画して妻と一緒に観ました。
さすがに、外国語映画賞を受賞するだけの価値がある映画だな、と思いました。
作品を観終えて、一言で感想を述べるなら、
「ほろ苦い、コクのあるコーヒーのような作品」でしょうか・・・

贋金作りで逮捕されていた主人公サリーは、
強制収容所へ送られますが、彼のスケッチが親衛隊隊長に気に入られ、
ナチスお抱えの画家になります。
その後、別の強制収容所に移送され、
極秘裏に行われていた「ベルンハルト作戦」という
贋札作りのプロジェクトに参加させられます。
(「ベルンハルト作戦」自体は史実ですが、映画は当然、脚色されています。)
強制収容所とはいえ、厚待遇。
壁を隔てた向こうでは地獄絵が繰り広げられていました。
(映画中では直接的な残酷シーンはあまり多くありません。)
自分の命と仲間の命、
贋札製造に成功すれば戦争を長引かせることになる・・・
さまざまな葛藤の中、主人公はなんとか生き延びます。
(冒頭のシーンと最後のシーン・・・)
緊張感あふれる映像と展開で、飽きさせることなく、
約1時間半があっという間に過ぎていきます。
(影の使い方が実にウマイ・・・)
1度は観る価値のある映画といえます。
(余談ですが、主人公の姿がどことなくルパン三世を髣髴とさせるような気が・・・
男の美学?)


ヒトラーの贋札 [DVD]
ヒトラーの贋札 [DVD]


映画の中で、ニセのドル札を作ることをサボタージュし続ける、
ブルガーという人が出てきます。
実際の人物で、この映画の原作を書いています。
(原作者のアドルフ・ブルガー氏は、2011年10月24日現在、存命中のようです。)


アドルフ・ブルガー著『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』
ヒトラーの贋札 悪魔の工房

2011年10月23日 (日)

「代受苦」と十字架~瀬戸内寂聴さんの青空説法から

今朝(2011年10月23日)、テレビをつけていたら、NHKBSプレミアムで、
きらり!東北の秋「毎日 寂聴 青空説法~岩手県 陸前高田市~」
という15分番組が放映されていました。
この番組の前に、クラシックの番組をやっており、
そのままつけっぱなしにしていたので、たまたま観た番組でした。
(わざわざ仏教の番組は観ません。)

番組の最初の方は全然観ていません。
(教会に行く支度をしていたので・・・)
番組の終わり頃(残り5分程度・・・)、ふと目にしました。
この番組は・・・(番組HPから引用します。)
(引用)
東日本大震災時、病に伏せていた瀬戸内寂聴さんは、東北の惨状に衝撃を受けるあまり、思わずベッドから立ち上がっていたと言います。番組では、9~10月に東北を訪れる瀬戸内寂聴さんの旅に同行し、各地で開く青空説法や、現地の人々との交流を取材。被災地の人に届けられる、そのユーモアあふれる温かいことばから、生きるヒントが見えてきます。

訪ねる場所:岩手県二戸市・天台寺、岩手県陸前高田市、宮城県石巻市、福島県福島市など
(引用終)

私が観たシーンは・・・
東日本大震災で、娘さん(おそらく20~40代)が行方不明になっている、
60代くらいの女性の訴え。
行方不明=死、という現実を未だに受け入れることができない。
孫(行方不明になっている人の子)も同様。
それに対して、寂聴さんは、
一言で言えば「明らめる(「諦める」ではなく・・・)」ことを説いていました。
さらに続いて、その場に集まった人すべてに対して、
「今回の震災で亡くなった人たちは、
あなた方の代わりに苦しみを受けてくれたのです。
仏教には「代受苦」という言葉があります。
仏様の誓願にもあります。
神様・仏様のような存在が、代わりに苦しんでくださることです。
だからこそ、感謝をこめて、亡くなった方々を供養しましょう。
命を大切にしましょう。」
というような説法をしていました。
(※正確な引用ではありません。不正確ならゴメンナサイ・・・)
番組の最後に、「代受苦」という字が大きく映し出され、
意味も書いていました。「今日のまとめ」みたいなものなのでしょう。
思わず私は「代受苦」という語を付箋紙にメモしました。
仏教の話ながら、感銘を受けました。

代受苦」という語を調べると、
獄苦代受(ごっくだいじゅ、Skt:Duhkhaudvahana)とは、仏や菩薩が衆生の地獄(のような)苦しみを代わりに受けることをいう。代受苦、大悲代受苦ともいう。
特に、地蔵菩薩はその徳相を表すとされる。他人の代わりに苦しみを受けることで、菩薩の大慈悲心についていう。

(ウィキペディアから転載)
また、こういう記事も読みました。
東日本大震災以後、まともなCMが流れない中、
連日のように流されたACのCMで、誰もが耳にした詩・・・
(引用)
こだまでしょうか(平成23年3月20日)
 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 そうして、あとで
 さみしくなって、

 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。
『金子みすゞ全集』(JULA出版局)
 東北から関東にかけて、大きな地震にみまわれました。これを読まれる方の中にも、直接、間接に、非常なる悲しみを受けておられる方がいらっしゃることでしょう。

 民放では、「こだまでしょうか」が、繰り返し流されています。今、悲しみ、苦しみを受けていらっしゃる方々のお心にとどいて、少しでも励ましになってくれることを心より願っています。

 仏教には、「代受苦者」(だいじゅくしゃ)ということばがあるそうです。

 私が受けたかもしれない苦しみを、代わりに受けてくださった人、ということでしょう。永観堂の法主さまからお聴きした時、深く心にしみました。

 自分のこととして受けとめ、出来ることを少しでも始めていきましょう。そして、なにより、こういう時だからこそ、私たち一人ひとりが、きちんと日々を過ごすことで、しっかりとこだまし合いたいと強く思います。

金子みすゞ記念館 矢崎節夫
(引用終)
(※引用元は、「金子みすゞ記念館」HPの「コラム」「こだまでしょうか」から)
(「代受苦者」という語について、東日本大震災以降に書かれたブログ記事としては、
子どもを亡くした親の会 たんぽぽの会」の
代受苦者(だいじゅくしゃ)」という記事もオススメです。)

代受苦(者)」という語とその意味を聞いて、
私はキリストの十字架を思い起こしました。
十字架の意味・意義が、「身代わりの死」だからです。
「(キリストは)十字架にかかって、
自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ2:24新共同訳)
新約聖書の書簡で、
十字架」、「十字架の血」、という語が出てくるところは、
まさにキリストの「代受苦」を指し示します。

なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅱ5:14~15新共同訳)
だからこそ、日々感謝して生きていきたいものですね。

「♪キリストにはかえられません、
世の宝もまた富も、
このおかたがわたしに
代わって死んだゆえです。

世の楽しみよ、去れ、
世のほまれよ、行け。
キリストにはかえられません、
世のなにものも。

(「キリストにはかえられません」讃美歌21・522番の1番)

2011年10月22日 (土)

NHK・北海道クローズアップ「音楽の喜びを届けたい~50年目の札幌交響楽団~」(2011年10月21日放送)

NHK北海道のローカル番組、
北海道クローズアップ」で、
音楽の喜びを届けたい~50年目の札幌交響楽団~」という番組を放送していました。
番組冒頭では、
今年6月4日に行われた札幌のKitaraでのコンサートの様子を少しだけ放映していました。
(コンサート全体はNHKBSプレミアムで8月28日に放送されました。
その記事を書いています。↓)
ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番って、こんなに美しかったの?
~NHKBSプレミアム・特選オーケストラ・ライブ -札幌交響楽団演奏会-
(2011年8月28日放送)

※札幌交響楽団(以下「札響」)の、
今年の英国公演の現地での批評を訳したブログ記事を見つけましたので紹介します。
札幌交響楽団の英国公演評(2011年5月29日)
(ブログ「発話旋律」日本ヤナーチェク友の会HP管理人の雑記

番組では、演奏シーンよりも、札響の地道な地域活動にスポットを当てていました。
NHK番組表から放送内容を転載します。
(引用)
創立50周年を迎えた札幌交響楽団。多大な債務で存続が危ぶまれた時期もあったが“地域のためのオーケストラ”を標榜し、経営危機を乗り越えてきた。その活動に密着する。

今年6月に開かれた創立50周年を記念したヨーロッパ公演の帰国演奏会。ソリストに諏訪内晶子さん、指揮は尾高忠明さんと一流の演奏家たちが顔を揃えた。今や日本を代表するオーケストラにまで成長した札響だが、実は力を入れているのは地方公演だ。道内179市町村のすべてで演奏会を開くという目標を立て、すでにほとんど訪れたという。地域と同じ目線で歩み続ける札幌交響楽団の知られざる一面を伝える。
(引用終)

札幌を除けば公共交通機関が乏しい、広い北海道(離島まであります・・・)。
札響は地道に、全179市町村のほとんど(残り確か8町村・・・)を巡って、
音楽の喜びを伝えてきたとのこと。
札響事務局長やパーソネルマネージャといった、
楽団を支える裏方の働きが伝わってきました。
また、養護学校や老人ホームなど、
自分からはコンサートに来ることができない人々にも音楽を届ける働きも紹介していました。

札幌圏では、「Kitaraファーストコンサート/札幌広域圏ジュニアコンサート」として、
年間延べ1万4千人もの児童・生徒が、Kitaraで札響の生演奏を聴いています。
この中から、将来の演奏家や、クラシックファンがたくさん起こされればいいですね。

最近、なかなかコンサートに行く機会がありませんが、
今年の12月には、久々に札響の「第9」を妻と一緒に聴きに行こうかな・・・

ここ数年、札響ではレコーディングにも積極的に取り組んでいます。
Amazonなどでも手に入りますよ。
たとえば・・・

尾高忠明指揮「グリーグ&シベリウス:北欧音楽の新伝説
グリーグ&シベリウス:北欧音楽の新伝説


尾高忠明指揮「グリーグ&シベリウス:北欧音楽の新伝説 2
グリーグ&シベリウス:北欧音楽の新伝説 2


ラドミル・エリシュカ指揮「スメタナ連作交響詩「我が祖国」(全曲)」
スメタナ連作交響詩「我が祖国」(全曲)

2011年10月21日 (金)

いすとりゲームと高校・大学全入時代

幼稚園や小学校のレクレーションの定番の一つが、
「いすとりゲーム」ですね。
「いすとりゲーム」の楽しさは、いすが少しずつ減らされていく中で、
勝ち残っていくことです。
(余談ですが、最近では、発達障害を抱えた子が増えてきたせいか、
ゲームであっても、「負け」を認められない子が増えてきたとのこと。
明治図書の教育雑誌「教室ツーウェイ」2011年9月号では、
特集 子どもが激変するふれあい活動」の中で、
五色百人一首」(←記事を書いています。)を継続してクラスで行い続けるのが、
そういう子たちに少しずつ「負け」を認めさせることができた、
という実践例が書かれていました。)

もし、いすとりゲームで、いつまでも椅子が減らないままなら、
やっている子どもたちは面白いでしょうか?
また、たとえば30ある椅子が、いきなり1つか2つに減らされたら、
子どもたちはどう思うでしょうか?
自信ある子はなんとか食いついていきますが、
最初からあきらめてしまう子も出てくるのではないでしょうか。

ところで、今や高校・大学全入時代ですね。
約700万人の小学生⇒約350万人の中学生⇒
約350万人の高校生(通信制・高専含む)⇒250万人の大学生となるわけです。
小学校では、私立中学受験を目指す子を除けば、
競争から遠ざけられ、中学から高校に行く際には、無難な進学を勧められ、
大学入学は、AO入試等でマトモに勉強しなくても合格~!
そして、たいていの人の学業のゴールである就活では、
「超氷河期だ~」となるわけです。

いすとりゲームの例でいえば(学校のレベルを問わないとして・・・)、
小学校・中学校まではいすが減らされることはなく、
高校でようやく「いい席・よくない席」があることを知るわけですが、
いすが減ることはありません。
大学に入る段階で、いすは少し減らされますが、
ゲームに飽きたり、違うゲームに移る人が出てくるだけで、
実質は、いすは人数に見合う以上の数があります。
大学を卒業する段階になって、いきなりいすが大幅に減らされるわけです。
もう、競争の仕方を忘れてしまった頃に・・・

人事担当者「6+5×3=33」と答える就活生続出で不安になる
(NEWSポストセブン 2011年10月21日(金)7時00分配信)
という記事を読みました。
(引用)
マイナビによる「12年卒企業新卒内定状況調査」によると、企業の採用活動の印象は「昨年より厳しかった」、「昨年並みに厳しかった」が約80%を占め、その理由の実に半数が「学生の質が低下したから」という回答を寄せた。中でも著しいのが、企業が大卒に求めていた「基礎学力」の低下だという。生命保険会社の採用担当者が語る。

「目立つのが誤字脱字。携帯やパソコンに慣れてしまっているせいか、漢字を書けない学生が多い。しかも、そうした誤字に気づかずメールを送ってくる。学力に加えて注意力も足りない」

食品メーカーの人事担当者も呆れを隠さない。

「四則計算もできないのには参りました。6+5×3というような簡単な計算でも、33と書く学生が多くいて“ウソだろ?”と我が目を疑いました(正解は21)。あまりにも多いから、自分の方が間違っているのかと不安になったくらいですよ」
(中略)
精密機器メーカーの採用担当者が嘆く。

「理工系学部なのに、分数の計算がわからないという学生が現実にいる。いくら大学名が素晴らしくても、数学などの基礎科目をやらせてみないと安心できないというのが本音です。

企業側も苦しく、採用してから育てるという余力なんてないところがほとんど。社会人マナーは教えていけば、最初は“1年目だから”と笑って済ませられるけど、学力は本人の努力がないと無理です。せめて大学で基礎的な学力だけでいいから身につけてきてほしいと考えています」

※週刊ポスト2011年10月28日号
(引用終)

就職難の原因は、経済の問題もありますが、
一方で、「基礎学力の低下」という採用以前の問題もあります。

小学校・中学校という義務教育段階で、
競争の楽しさ、学ぶことの楽しさを身に付けていたなら、
いすとりゲームのような就活「ゲーム」にも対応できるはずですね。

2011年10月20日 (木)

NHKの犯罪?~「あさイチ」2011年10月17日放送「放射線大丈夫?日本列島・食卓まるごと調査」

NHKの「あさイチ」の放送時間にはもう家にいないので、
観ていない番組を批判するのは気がひけます。
しかし、NHKをよく観る一視聴者として、
こういうヒドイ番組を放送していたのか、と知り、
NHKに対して失望を隠せません。

2011年10月17日放送の「あさイチ」では、
放射線大丈夫?日本列島・食卓まるごと調査」と題して、
全国のたった7家族をサンプル家族として抽出して、
食品に含まれる放射性物質を測定してみた、とのこと。
番組HPから実験内容を転載します。
(注:2011年11月6日追記。
以下の文章と測定データは、いつの間にかNHKの番組HPから削除されています。
NHKの「やらせ」だった、ということなのでしょうか?・・・
異常な事態です。
NHK「あさイチ」~放射線大丈夫?日本列島・食卓まるごと調査~
(ブログ名:それって本当?)という記事で知りました・・・)

(引用)
それぞれの家族に一食分余分に食事を作ってもらい、一日分をまとめてミキサーにかけて完全にかき混ぜ、分析用のサンプルを作ってもらいます。それを一週間続けて東京の研究室に送ってもらいました。

分析をしたのは、首都大学東京・福士政広教授研究室です。精密に測定できる「ゲルマニウム半導体検出器」を用い、各サンプル7,200秒かけて分析しました。これは現在通常行われている食品検査より長く、より精度の高い測定ができます。さらに各家庭1サンプルは、30,000秒の追加測定を行いました。

今回、放射性セシウムが検出されたのは、7家族中、5家族。それぞれ一週間のうち1日から検出されました。

・札幌 セシウム134・・・5.69ベクレル/キログラム
・須賀川 セシウム134・・・3.66ベクレル/キログラム
・江戸川 セシウム134・・・4.05ベクレル/キログラム
・目黒 セシウム137・・・8.97ベクレル/キログラム

郡山と廿日市では、今回測った一週間では、放射性セシウムは全く検出されませんでした。
また、水と今年の新米は、各地で別に測定しましたが、今回の調査では放射性セシウムは全く検出されませんでした。

(引用終)

廿日市は広島県なので、放射性セシウムは検出せず、というのはわかります。
しかし、福島県の郡山で未検出、というのは、眉唾ものかな、と思います。
仮にそのデータが正確であることを認めたとしても、
これをもって、福島県産の農産物・海産物「すべて」が「安全」とはいえないのは自明です。
(測定期間の間だけ、遠い産地の食材を使っていた、という可能性を否定できましょうか?)

この放送内容を知ったのは、
福島県在住の方が書いている「草莽隊日記」というブログによります。
・「福島産農産物の安全PRに躍起になっている国とNHKの犯罪」(2011年10月19日)
記事から引用します。
(引用)
さらに、そうした民主党政権をバックアップするかのように、またもやNHKがやらかしたのが、去る17日のNHKの「あさイチ」である。嗤ってしまうのは、食卓まるごと調査を全国7家族を対象に実施した結果、郡山市の家族だけが0ベクレルであったことだ。ぜひとも同じことを、民間の研究機関に行ってももらいたいと思う。郡山市は空気中の放射線濃度も、1時間あたり1マイクロシーベルトに近いし、セシウムによる汚染も深刻である。だからこそ、除染の必要性が叫ばれているのではないか。それに目を向けさせまいとするキャンペーンに、NHKが手を貸しているのである。しかし、いかに真実を隠蔽させようとしても、国民はもっと利口である。嘘八百を並べ立てていることは、最終的には司法の場に持ち出されるのであり、せいぜい、茶番劇が通用するのは今のうちである。
(引用終)

中部大学の武田邦彦教授はもっと厳しい指摘をしています。
NHKの報道(2011年10月17日あさイチ)
(引用)
NHKが「良い番組」を提供してくれれば良いのですが、本来の目的を失った組織が「良い番組」を提供するというのは至難の業で、NHKの番組には理解できないある特徴があります。それは「放送の素人のような内容の番組を作る」ということです。その典型的なものの一つが2011年10月17日の朝に放送された「あさイチ」という番組でした。

番組の内容は福島と福島以外のいくつかのご家庭を選び、そこで1週間にわたって食べた食材のベクレル(汚染度)を測定して放送するというもので、放送の結論としては、1)福島の家庭がもっとも食材の汚染がすくなかった、2)気にすると被曝して気にしないと被曝しない、というものでした。

この番組は、1)学校で平均値と個別の値の関係を勉強しなかった人、2)因果関係を考えることを知らない人が制作し、3)映像のもつ力を理解していない(もしくは悪意のある)人が指導した、ということになるでしょう。

たとえば、3年A組の平均身長が160センチ、3年B組が165センチとします。でも、A組でも背の高い人は180センチあり、B組でも背の低い人は150センチの人もいます。だから、A組から一人だけ、B組から一人だけを選んで写真を示し、「B組は背が低い」と言ったのとおなじなのが今回のNHKの「あさイチ」です。

福島から一つ、放射線の無いところから一つの例を出して、結論を出すなど言いようの無いほどひどい番組でした。

映像で断面を切り取ることは印象を深くするのに大切ですが、それを示すときには合わせて統計的なデータを示す必要があります。あまりにひどい番組であることはNHKも知っているので、大学の先生を出して「私が先にやりたかった」と言わせるところなど、とても作為的です。このような手法をとれば、集団の一つを選んでなんとでも言えます。
福島の家庭には汚染されていないものを、遠く離れたところのものは福島のものを食べさせたのか、あるいは九州の原発から放射性物質が漏れていると言いたかったのかと考えられます。

次に、「因果関係」を当たらなければなりません。つまり、「汚染された畑からとった野菜がなぜ汚染されていないか?」ということです。すでに学問的には「移行率」、つまりどのぐらい汚染されていたらそれが植物にどのぐらい移るかという研究があるのですから、「汚染されている畑でとれた野菜が汚染されず、汚染されていない土地のものが汚染されている」ということはあり得ません。もし、放送があったように福島の野菜から放射性物質が検出されず、汚染されていない地域から検出されたなら、慎重に調べなければなりませんので放送できないはずです。

(中略)
さらに、「気にしていると被曝する」と指定ましたが、このようなことを放送するのはきわめて悪質です。たとえば、台風報道、インフルエンザ報道など危険が迫ってくる場合、「注意すること」が被害を減らすことにつながるからです。これからNHKは台風報道にさいして、「注意しない方が安全です」と言わなければなりません。

以上、この放送はまったくひどい放送で、なんの参考にもなりません。NHKが故意に子供に被曝をさせようとしているとしか解釈のしようがありません。

(引用終)

このような数字のトリックに対して「否!」とすら言えなくなった日本国民は、
まさに「愚民化政策」が見事に成功した、稀有な国なのかもしれませんね。
メディアリテラシー「0」・・・
どんな嘘八百(「ただちに健康に影響がない」等)も丸呑み・・・

原発関連の事実隠蔽・改竄・不作為報道は、
BPO(放送倫理・番組向上機構)の「人権侵害」の対象にならないのでしょうか・・・

武田教授は、上記の記事の補足・追加として、
「大丈夫」という人たちに大人の責任を求める」という記事でも、
あさイチ」の問題について書いています。
(引用)
先日のNHKの番組のように、福島県で一つの家庭だけをとって、それがあたかも福島県を代表する平均や、特に危険なところにお住みの方のように放送した場合、10年後に障害がでたら、それを人間は購うことができない。病気になった人の将来は取り戻せない。NHKは絶対に番組内容を保存し、常に視聴者が見ることができるようにすること。
(引用終)

NHKの報道による5年後・10年後の放射能被害に、
NHKはきちんと責任を取るべきです。
セックスレス特集とかセンセーショナルなもので、
視聴率を稼ごうとする姑息な「あさイチ」は放送中止にした方がいいのでは?
(私の妻は、「はなまるマーケット」の方が心が豊かになる、と言っていました。)

2011年10月19日 (水)

おすすめブログ記事~ブログ『社会科学者の時評』の「大学教育の現場問題」

先日10月13日に、
「五十音順」という語がわからない大学生」という記事を書きました。
その記事が、以下に紹介しますブログで取り上げられました。
教育偏差値55の意味(ブログ『社会科学者の時評』)
著者は、「日本経営学界を解脱した社会科学の研究家」さんです。

上記の記事では、高校の中退率、大学の退学率を分析した後、
私のブログでも紹介した、
週刊ポストに掲載された記事
本当にあった!? 『バカ田大学』 “偏差値測定不能” とまでコケにされて」と、
私の記事の一部を引用して、「世の中の反応」として取り上げていました。
ブログの著者は結論として、
(引用)
本ブログの筆者は,非一流大学の教育現場で長く「教鞭をとってきた」が,最後の10年間くらいは,まさに以上に描写された大学生群に遭遇し,たいそう苦労させられた。すべての学生がそうではないにせよ,とりわけ偏差値55以下〔40台前半〕の大学に勤務し,そこでの大学生を相手に教育をし,なおかつ研究もしなければならないといったような,異次元空間のアクロバット的な統合をする究極の超人・達人的な大学教員「技」を要求された,

 バカ田大学と指称される非一流大学は,最新の偏差値事情でいえば,実際には40〔以下〕にも達しない実情にある(偏差値測定不能)。はたして,大学として名実両面において値する教育ができているのかといえば,絶望的に〈否〉である。大学で,中学校で教える授業内容を充てて『教授する』するなどという光景は,ブラック・ユーモアどころか,奇想天外でなければ予想すらつかないものではないか。この水準の大学での退学率は,年に7%をはるかに超えている。卒業率はたとえば,こうなる。

   1年次 0.93 × 2年次 0.93 × 3年次 0.93 × 4年次 0.93 = 74.81%

 したがって「退学率は約25%」,4人に1人は卒業できていない。かといって,この中途退学率は,欧米の大学のようにきびしい勉学の条件・競争に着いていけずに大学を止めた学生たちではなく,そもそも勉学する学力・資質に欠けたような者たちを「なだめ・すかし」ながら,なんとか卒業〔始末〕させての数値である。あとは「推してしるべし」。大学とはいえない大学が多い。まともな大学教育をほどこしたいのであれば,偏差値55未満の大学・大学生は,とくべつの必要性あるもの以外,すべて淘汰・廃止したほうが,日本の社会のためにも賢明な高等教育政策である。
(引用終)と結んでいます。

日本経営学界を解脱した社会科学の研究家」さんの
ブログのカテゴリー・記事数は多々あるので、
さすがに全部はまだ読んでいませんが、
大学教育の現場問題 」というカテゴリーは、
実に興味深い考察にあふれています。
たとえば、「就職氷河期は社会的詐欺か?」(2011年2月16日記事)では、
日本の大学「3分の2不要・無用」論」という主張をされています。

(引用)「筆者は,非一流大学における教員の経験をもとに,
日本の大学「3分の2不要・無用」論を主張してきた。
」(引用終)
その結論に至る前に、大学の惨状をこう分析しています。
(引用)
ここで問題となるのは前述のように,日本の大学のうちその「3分の1」を残したあと,それ以外の「3分の2」の「いまある大学」を,どうとりつぶしていき,そして「大学」以外の「高等(?)」教育機関にどう組織替えさせるかである。これは国家的な政策を立てて対処すべき重大な教育問題である。

 大学に進学したら基本的に大企業に就職できる〔可能性が高い〕という「高等教育と経済・社会」の関連事情は,今日ではあまり成立しえない。とりわけ,日本の大学の「3分の2」のほうに属する大学生の現状・実績,これを忌憚なくいえば非一流大学のそれは,高等教育に値するといえるような水準での教育,換言すれば「大学生が受けるというのにふさわしい中身:成果」が期待できるのかと問われれば,即座に否と答えられる。

 それこそ千差万別でもあるが〔2010年度で大学は778校ある〕,「非一流大学」といってもその学力水準は個々にバラバラである。なんとか大学としての講義やゼミがなりたつところもある。だが,大学に入学した若者に対して,中学校レベルや,ときには小学校レベルの再学習をさせたり,大学で一から礼儀・作法の初歩を学ばせたりしなければならない。この実情こそ,まさしく日本には「似非大学」がたくさん存在する証左である。

 しかも,いまもなおその種の大学がいまだに倒産もせず数多く存在する。これは驚異的と形容すべき社会現象である。それでも若者が大学に来る。若者が,青春時代が精神的にモラトリアム状態におちこんでいる事実をごまかし,しばし人生の暦を先送りしやり過ごすために大学にいっている。いまや,非一流大学においては「入試という関門」の制度はなきものにひとしい。
(引用終)

大学がリベラル・アーツや工学などの高度な専門教育を受ける場から、
単に就職斡旋所に成り下がっている現状はひどいものです。
それならいっそ、学問を究めたいと思わないけど、
就職に有利になるようなスキル・資格等を身に付けたいという人には、
ビジネス専門学校をたくさん作って、
偏差値が一定以下の大学はどんどん潰した方が、
「大学」というブランドを守ることができるし、
若者にとってもマシなのでは、とも考えます。
日本経営学界を解脱した社会科学の研究家」さんの意見に共感します。

参考までに・・・
札幌市とほぼ同じ面積で、人口約700万人の、
中国の香港には、14の大学があります。
人口550万人の北海道には、全体で44の大学があります。
日本全国だと、700校以上になります。
本当に、こんなに大学が必要なのでしょうか?
大学で、中学校の復習をするようなところが出てくる有様でいいのでしょうか?

その他、非一流大学の側から見た大学のあり方・教育問題の提起は、
実に興味深いものばかりといえます。
ぜひご一読を!

2011年10月18日 (火)

「くしろ学力向上提言書2011」を読んで~「釧路の教育を考える会」からのすばらしい提言!

このブログにしばしばコメントを下さる釧路の教育界の雄、
ZAPPERさんのブログ「情熱空間」で、
「釧路の教育を考える会」が発表した「くしろ学力向上提言書2011」を読みました。
(ZAPPERさんは「釧路の教育を考える会」副会長です。)
非常にすばらしい!絶賛に価します!感激しました!
パソコンでも一応目を通しましたが、
本文だけでも全41ページに渡る力作ですので、
プリントアウトしてじっくり読んでみました。
(教育問題に関心をお持ちの方は、
可能であれば、ぜひ印刷してお読みすることをおすすめします。)

・(ブログ記事)逆算理論からの構築(くしろ学力向上2011)(2011年10月15日)
・(上記の関連記事)難しいことなど言っていない!(2011年10月17日)
(いずれもブログ名は「情熱空間」)
・提言書全体(釧路の教育を考える会 資料庫
・提言書本文のみ(PDFファイル)
http://koulutus.yu-yake.com/teigen2011/03_honbun_2011teigen.pdf

上記提言書から、ぜひ読んでいただきたい箇所を可能な限りピックアップします。
【 】が引用部分です。

(1~4頁)
福祉或いは社会保障の分野における課題のひとつとして、貧困による負の世代間連鎖が指摘されています。さらには近年「意欲格差」「希望格差」などの言葉が生み出されているように、現状に立ち向かう意思が、特に基礎学力に不足する層において欠ける傾向があるとの指摘がなされておりますが、これらもまた負の世代間連鎖のひとつと考えられます。これらの連鎖を断ち切り、自立に向けた行動を起こすために何より大事なのはひとりひとりの自尊心であり、それは家庭や学校における小さな成功体験の積み重ねによって醸成され、その成功体験のうち最も個人差のハンディが少ない(誰でも成功できる)機会が学習です。
 従って、学力養成を通して人は人生の選択肢を広くもてるばかりでなく、世代間連鎖をより良い循環に変えていくことができるものと考えます。
】(4頁)

従来の学力論議は、「小学校」、「中学校」、「高校」、「大学」という
学びのステージごとに、「学力が上がった、下がった」とか、
「いや、学力よりも道徳心だ」、といった近視眼的なものが多かったと思います。
学力問題を、もっと広い視点で、一生の問題としてとらえる必要があります。
学力問題を、「貧困による負の世代間連鎖」という、
経済の問題からとらえたことが、ユニークな視点といえます。

(5頁)
学力の定義は特に定められたものがないため本提言においては、「主に家庭及び学校並びにその他の教育機会(以下「教育機会」という)において培われる理解力・思考力・表現力及び教育機会において習得される知識・説明技術・計算力のうち、公正かつ客観的な指標により到達度を評価できるもの」と定義します。
 この中で、生活・仕事をする上で最低限必要な小学校4年生レベルの「読み、書き、計算」能力を「基礎学力」と称します。
 また、日本の最難関大学に入学できるレベルの得点能力を併せもった高い学力を「応用学力」と称します。
 基礎学力を備えていることを前提とし、それ以上のレベルではあるが、応用学力までには至らない学力を「標準学力」と称します。
 小中学校において十分な基礎学力を習得しなかった、或いは就学しなかったなどの理由で、社会で働き、生活するのに十分な基礎学力を有していない人を「形式卒業者」と称します。
 児童と生徒を「児童・生徒」と称します。

「学力」を、「基礎学力」、「応用学力」、「標準学力」と定義したことと、
特に「基礎学力」を、
生活・仕事をする上で最低限必要な小学校4年生レベルの「読み、書き、計算」能力
と定義したのは実にわかりやすいですね。
また、「形式卒業者」というのは痛い言葉です。
現在、こういう若者が増えてきているワケですから・・・
「形式卒業者」を一人でも減らすことと、
「応用学力」を身に付けた「児童・生徒」を増やすことが公教育の課題ですね。

(6~7頁)
5つの緊急実行課題が書かれています。
どれもすばらしいものです。
この中で特に取り上げたいのは、
3番目の「小中連携と中高連携」(6頁)です。
中学校は「小学校がきちんと教えていないから悪い」と言い、
高校は「小・中できちんと教えられていないから悪い」と責任をなすりつけ、
立場がない小学校は、「家庭教育が悪い」と家庭の責任にする・・・
こういう不毛な論議よりも、少なくとも小中高が連携できるような仕組みがあれば、
近視眼的な教育(小学校は小学校だけ、中学校は中学校だけ・・・)にはならないはずです。
教育制度を改革しなくても、十分にできるはずです。
(15頁でも言及されています。)

(8~17頁)
「基礎学力支援」、「標準学力支援」、「応用学力支援」の具体的な提言です。
特に「基礎学力支援」のところがすばらしいです。
「不登校者の基礎学力不足」についてまで言及しています。
これは単に教育だけの問題だけではなく、福祉にも関係することだからです。
何らかの問題(本人の問題もあるし、教師や学校、保護者の問題もあります・・・)で、
教育の機会を逸してしまった人への再チャレンジの機会を、
ぜひ行政当局は与えてあげてほしいものですね。
「標準学力支援」の「キャリア教育」のところも鋭い指摘が書かれています。
単に「職場体験をして楽しかったね・・・」で終らせてほしくないものです。

(18頁~31頁)
手法に関する提言です。
教育と地域の仕組みを概観したときに、「指導に当たる者の意識のずれ」が随所に発生していることがわかります。教育のいわゆる「出口」や「川下」と呼ばれている場である雇用の現場では「基礎学力不足」や「職業観不足」による不採用、或いは早期離職が起きています。高校或いは大学における基礎学力訓練やキャリア教育が十分でないとの認識が雇用側の企業や機関にあるものの、そのことが十分に高校に伝わっていない可能性があります。(企業・機関と高校・大学の意識のずれ)
 しかしこれは、高校側から言えば、入学時の生徒の基礎学力不足や、意欲の問題であるとの指摘に変化します。中学校でどのように教育が行われているのかわからないという高校の教諭も少なくありません。(高校と中学校の意識のずれ)
 さらに中学校では高校進学が最大の進路指導のテーマとなっているため、高校卒業後の進路という視点で生徒の指導を行うことは少ないのではないかと考えられます。また、そもそも小学校4年生レベルの学習進度にも達していない生徒に対しては、中学校の教科課程と並行してそのギャップを埋めることは難しいことから、実質的に打つ手がない状況にあることも考えられます。(中学校と小学校の意識のずれ)
】(18頁)

「児童・生徒」はいずれ社会人となります。
一部を除いて(学者や作家・芸術家、政治家や、犯罪者とか・・・)、
大多数の「児童・生徒」は会社(お役所)勤めをすることになるでしょう。
大して社会経験のないまま教員になった大多数の教師の意識は、
机上の空論や近視眼的教育(小学校だけ、中学校だけ・・・)に陥りがちです。
そこが「意識のずれ」を生み出すワケです。

手法に関する提言では、
小学校では教員の指導力向上(20頁)、
中学校ではキャリア教育支援とアウトプットの増加(22頁)などが挙げられています。
中学校での不登校の問題にも言及されています(23~24頁)。
また、過度な部活練習の禁止についても書かれています(28頁)。
さらには、フリースクール等にも言及されている(29頁)のはユニークです。

32頁以降は、コミュニティ・スクールの導入等について書かれています。
学校という象牙の塔にこもった教育ではなく、
地域の住民の意思が反映された学校づくりの方が断然すばらしく、
児童・生徒とその保護者のニーズにこたえることができます。
日本でも既に制度として認められているのですから、
ぜひ北海道でも、釧路市がモデルケースとして名乗りを上げてほしいものですね。

以上、駆け足で全41頁を概括してみました。
この提言書で感心するのは、教育委員会や現場の教師を悪者扱いしていないことと、
あえて現場の教師の視点を無視したところです。
現場の声を聞いていたら、詭弁に弄されるだけで、
結局は「ムリ、できない」で終ってしまうでしょう。
教育の主体者は教育委員会であり、
ひいては、我々市民である、といえます。
教師や教員組合の都合で教育のレベルを下げるのではなく、
むしろ、教育を通して地域を盛り立てていくこそ求められています。

この提言書が、釧路市できちんと議論され、
可能な限り実現されることを期待したいものです。
また、釧路市に限らず、疲弊した地方都市・町村の教育再生の手立てとして、
全国でこの提言書がたたき台として用いられるといいですね。

2011年10月17日 (月)

バッハ/ブゾーニ「シャコンヌ」聴き比べ~グリモー、ニコラーエワ、サイ、曽根麻矢子

エレーヌ・グリモーのピアノ・指揮による、
バッハ・トランスクライブド」(DG)というCDを購入しました。
(ただし、これは邦題で、
元々は「Helene Grimaud Plays Bach」又は「Helene Grimaud Bach」というタイトル。
私が購入したのは輸入盤の方です。)
このCDでの聴き所は、ピアノ協奏曲第1番の弾き振りと、
バッハ/ブゾーニの「シャコンヌ」でしょう。
(バッハはそもそも「ピアノ協奏曲」なんてものは作らなかった、
チェンバロで演奏しなければおかしい!という意見もありますが・・・
美しければ、ピアノかチェンバロかというのは、たいして意味のない議論のように思えます。)
私としては、「ピアノ協奏曲第1番」の方は結構満足できました。
また、平均律クラヴィーア集第1巻第2番などの演奏もすばらしいと思っています。


バッハ・トランスクライブド
バッハ・トランスクライブド

さて、今回取り上げたいのは、「シャコンヌ」の演奏です。
「シャコンヌ」は元々ヴァイオリン・パルティータ第2番BWV1004に含まれる曲ですね。
原曲のヴァイオリン独奏もそれなりに好きですが(たまにしか聴きませんが・・・)、
私はブゾーニがピアノ編曲した版の方が断然好きで、よく聴きます。
険しい岩山を登山していくようなイメージの曲ではないでしょうか?
峻厳なる短調の響きから始まって、
途中で、山頂から平野を見下ろすかのような展望が開ける長調の部分が、
つかの間の幸福感・達成感を味わわせてくれます。
しかしそこをも越えて、さらなる高みを目指していく・・・
バッハの鍵盤作品(他の作曲家による編曲も含めて)では一番好きです。

ブゾーニ編曲による「シャコンヌ」は、今まで何人かの演奏で聴いていますが、
グリモーは独特な感性の演奏といえます。
「こういうアプローチもあるんだ・・・」と、演奏の多様性を聴かせてくれました。

私にとっての「シャコンヌ」演奏の規範は、
かつてはタチアナ・ニコラーエワの演奏でした。
厳粛・厳格というイメージがピッタリです。
ただ、気晴らしに聴くような演奏とはいえませんでした。
(残念ながら、現在廃盤中のようです・・・)

近年では、ファジル・サイの演奏が最もすばらしいと感じています。
ニコラーエワの演奏が、「神々の世界」だとすれば、
サイの演奏は、人間的なバッハといえます。
(貶める意味ではありません・・・)
何度でも聴きたくなるような演奏です。
ファジル・サイのCDの中でもベストを争うものではないでしょうか。


シャコンヌ!~サイ・プレイズ・バッハ
シャコンヌ!〜サイ・プレイズ・バッハ


ピアノによる演奏ではありませんが、
チェンバロによる演奏も実にステキです。
曽根麻矢子さんの演奏です。
こちらはブゾーニ編曲のものではなく、
石坂慶彦氏によるもの、とのこと。
ありそうでなかなかない編曲です。
チェンバロの典雅な音色が、墨絵のような印象をかなり和らげています。
こちらもオススメです。
(下記CDどちらにも、「シャコンヌ」が収録されています。)


シャコンヌ
シャコンヌ


THE BEST(8)曽根麻矢子 BACH【HQCD】
THE BEST(8)曽根麻矢子 BACH【HQCD】

2011年10月16日 (日)

フランクの交響曲ニ短調~ラテン的演奏とドイツ的演奏、どちらがいいか?

2011年10月16日早朝に放送された、
NHKBSプレミアム・
特選オーケストラ・ライブ -東京フィルハーモニー交響楽団演奏会-」を
録画で視聴しました。
2011年6月8日に静岡県の裾野市民文化センターで収録されたものです。
曲目は、リストの「交響詩“レ・プレリュード”」、
シューマンの「ピアノ協奏曲イ短調」、
そしてフランクの「交響曲ニ短調」でした。
(他にアンコールとしてマスカーニの「歌劇“カヴァレリア・ルスティカーナ”間奏曲」。)
指揮は円光寺雅彦さんでした。

フランクの「交響曲ニ短調」はこのプログラムの中で一番出来がよかったと思います。
それでも、かろうじて合格点程度の演奏だったかな、と思います。
フランクの交響曲は、ラテン的な要素とドイツ(ゲルマン)的要素どちらも兼ね備えています。
どちらを強調するかによって、印象がかなり変わります。
東京フィルの演奏は、どっちつかずな感じでした。

フランクの交響曲の代表的名盤の一つが、
ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏です。
宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』(講談社)でも、
「名盤」として紹介されています。
これはラテン的演奏の雄というべきものだと思います。


ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団

先日ようやく手に入れて聴いてみました。
1959年の録音なのに音が生々しいのがすばらしかったです。
ラテン的な豪快さがあり、勢いがあります。
(カップリングのラフマニノフ「交響曲第2番」はイマイチですが・・・)
第1楽章、第2楽章が陰鬱な北フランスの海辺で、
第3楽章が明るい太陽が燦燦と輝く南フランスの海辺を思わせます。

一方、ドイツ的な演奏の代表としては、
モノラル録音ならフルトヴェングラー指揮の演奏がありますが、
ステレオ録音なら、クレンペラーの演奏がベストではないでしょうか。


フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル


クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


クレンペラー指揮のCDについては、下記の記事がとても参考になりました。
クレンペラーのフランク」(An die MusikクラシックCD試聴記)
クレンペラーのページ」(同上)
(最終的には、CDを試聴して「これだ!」と思ったわけですが・・・)

クレンペラーの指揮にかかると、まさに「ドイツの響き」がします。
特にすばらしいのは、第3楽章です。
私にとってはいままで聴いたどのCDよりも輝かしい響きがしました。
パレー指揮の第3楽章の演奏が南フランスの海辺だったら、
クレンペラー指揮の第3楽章の演奏は、荘厳な教会か古城のようです。
細部がハッキリしており、初めてこの曲の全貌を垣間見たような感じになりました。

フランクの「交響曲ニ短調」の演奏、
ラテン的演奏(たいていはこちら)をとるか、ドイツ的演奏(クレンペラー他)をとるか、
好みの問題ですが、今はドイツ的演奏に共感を覚えます。

なお、先月、フランクの交響曲ニ短調について記事を書いていますので、
よろしければお読みください。
題名のない音楽会
「調性ってなに?名曲百選(12)フランク「交響曲ニ短調」(2011年9月18日放送)

ついでにおまけ情報・・・
長らく廃盤になっていた(らしい)、
マリー=クレール・アランによるフランクのオルガン曲全集を、
タワーレコードで見つけました。
(タワーレコード店頭では1100円ぐらい。)
昔は2枚組で6千円とか4千円とかしていたのですが、
いまや2枚組で1000円ちょっと・・・
フランクのオルガン曲はバッハのオルガン作品に唯一匹敵する傑作揃いです。
(ブクステフーデとかほかにもいるとはいえ・・・)
「交響曲ニ短調」、「ヴァイオリン・ソナタ」と共に、
多くの人に聴いてもらいたいものです。
(Kitaraでマリー=クレール・アランの実演を聴いたことがあります。
今までのコンサート経験の中で屈指の名演でした・・・)

フランク:オルガン作品集

2011年10月14日 (金)

NHKBSプレミアム「名曲探偵アマデウス」・リスト「ラ・カンパネラ」

今回の「名曲探偵」は、再放送(事件ファイル#17)で、
リストの「ラ・カンパネラ」でした。
ドラマはアクが強すぎて(某古館さんも真っ青?)
スポーツ実況から外されたアナウンサーが、
リストの「ラ・カンパネラ」から、しゃべりの極意を体感する、というものでした。
自分が自分が・・・という実況から、状況を落ち着いて伝える味のある実況へ、
見事に脱皮を遂げることができた、というのがオチでした。

放送では、小山実稚恵さんのピアノ演奏が使われていました。
早いパッセージを弾く手の動きが美しく、見事でした。
私の妻は台所仕事をしながら、この放送の録画を「聴いて」いましたが、
思わず、「とてもきれいな音!」とコメントしました。
妻は普段は自分から音楽についてあまりコメントしないので、
驚きました。
(本来、「ラ・カンパネラ」はさほど好きな曲ではなかった(過去形)ので、
今回の記事を書く予定はなかったのですが・・・)
放送では、小山実稚恵さんが、
「ラ・カンパネラ」の珍しい第1稿、第2稿の一部を弾く、というオマケもありました。
派手で技巧に溺れた第1稿
(『パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲 イ短調』 )、
それを反省した少し地味な第2稿
(『パガニーニによる超絶技巧練習曲』第3番 変イ短調)を経て
(番組では取り上げられなかった
『パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲』
という改訂もありますが・・・)、
現在の第4稿(『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調S. 141)が完成された、
というエピソードは興味深かったです。

番組を観てから、我が家にある「ラ・カンパネラ」が入った演奏CDである、
フジ子・ヘミングさんのバカ売れCD「奇蹟のカンパネラ」の
「ラ・カンパネラ」を聴いてみました。
すると妻は、「テンポが遅すぎてキラキラしていない」とダメ出し・・・
確かに久しぶりに聴いてみると、渋滞の中ノロノロ運転で観光地へ・・・
みたいな演奏だといえます。
(味がある演奏だ、という人も多いですが・・・
その一方で、酷評する人も多数です。
私にとっては、たまに聴くとホッとするようなCDかもしれません。)


奇蹟のカンパネラ


なお、フジ子・ヘミングさんの演奏への賛否については、
最近、ニューズウィーク日本版の冷泉彰彦氏の興味深いコラム記事を読みましたので、
紹介します。
「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?(2011年09月28日)

妻が「ラ・カンパネラ」を「キレイ!」と言ったので、
私はもうちょっと理想的な演奏を妻に聴かせたいと思い、
さっそくCD試聴をいろいろやってみました。
リストの曲は「愛の夢第3番」とか、「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」、
「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」、「ため息」などは好きな曲に入りますが
(ついでに言えば、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲版も・・・)、
あとはさほど好きではありませんでした。
「ラ・カンパネラ」なら、リストのピアノ曲集のCDよりも、
「ピアノ名曲集(いろいろな作曲家の名曲を集めたもの)」に入っている方がいいかな、
と思い、何枚か試聴してみました。
しかし、番組で取り上げられた
小山実稚恵さんの演奏よりもいいのがありませんでした。
(「リスト名曲集」とかならいくつかあるのでしょうけど・・・)
結局、一番よかったのは、ほかならぬ小山実稚恵さんのCDでした。
思わず買ってしまいました・・・

小山実稚恵:ベスト・アルバム


私にとって、10月13日は、
「サラダ記念日」ならぬ「リスト記念日」になってしまいました・・・

俵万智さんの有名な歌
この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」をパロディ化して・・・
「カンパネラ君がキレイと言ったから 十月十三日はリスト記念日」(かなり字あまり・・・)

2011年10月13日 (木)

「家政婦のミタ」第1話ミタ?

松嶋菜々子さん主演の日本テレビ系ドラマ
家政婦のミタ」第1話(2011年10月12日放送)を観ました。
タイトルからして「家政婦は見た!」のパロディ。
なんとなく観てみましたが、
主役の松嶋菜々子さんの冷徹な決めゼリフ「承知しました」が、
半ばギャグのように聞こえました。
家政婦・ミタさんの正体は、
実は未来から来たターミネーターのようなアンドロイドだとか、
SF的な展開まで考えてしまいました。
(殴られても平気とか、子どもと一緒に入水自殺寸前まで行くとか・・・)
たとえば「結婚してください」とか、「隣のオバサンを殺してください」という命令にも、
承知しました」とか言うのだろうか、
などと余計なコトまで考えてしまいました・・・

あまりにも易々と、その家の人間のオーダーを実現してしまうことや、
(殺人だってやりかねない・・・)
表情のなさが、ブキミな雰囲気を通り越して、
笑えるシーンとなっていたのは、製作者の意図かどうかは知りませんが・・・
意外にも視聴率は好調(19.6%)だったそうです。
面白そう、かも?・・・

「五十音順」という語がわからない大学生

先日、ある大学の図書館に勤務している方とお話する機会がありました。
(○○医療福祉大学、とのこと・・・「○○」はあえて書きませんが・・・)
話の中で驚かされたことは2点ありました。
まず第1は、「五十音順」という語がわからない大学生がいる、ということでした。
大学図書館の本の探し方についてたずねてきた学生に対して、
その方は「本の並びは五十音順になっています」と説明すると、
「五十音順、って何ですか?」と質問されたそうです。
仕方なく、「あいうえお順のことですよ。」と説明すると、
ようやくその学生は理解できたそうです。
「分数ができない大学生」はさらに進んで、「五十音順がわからない大学生」へと、
「進歩(退歩)」したのでしょうか?

第2は、
「明らかに自閉症ではないかと思われる学生が、
毎日同じ時刻(しかも大学講義時間中)に図書館にやってきて、
毎回図書館のごみ箱を覗いて帰る。」という話でした。
(誤解のないように言えば、自閉症やアスペルガー症候群の人たちが、
大学に行っているのがおかしい、と言いたいのではありません。)
AO入試などにより、今やカネさえあれば誰でも大学に行ける時代になりました。
その分、大学と大学生の質の低下は否めません。
前述の学生であれば、「出席単位が取れないのではないか」と、
大学図書館勤務の人は推測していました。

私はその話を聞いて、何ヶ月か前に立ち読みした本の話をしました。
その時は本のタイトルが思い出せませんでしたが、
後で調べたら、『キャンパスの中のアスペルガー症候群』(講談社)という本でした。



大学入学しても、発達障害ゆえに不可解な行動をとって対人関係を築けなかったり、
単位がとれなかったり・・・の実例と、専門的な分析が書かれた本です。
簡単にアスペルガーだとか発達障害とかのレッテルを貼る危険についても書かれています。
今ドキの大学事情を知る好著といえます。

誰でも大学に行ける、というのは、一見よさそうに見えますが、
問題を先延ばしにしているだけ、という面もありますね。
大学、という聖域はまだまだ伏魔殿といえますね。

発達障害の問題は、本人が自覚していない場合も多く、
これからもっと顕在化していくことでしょう。
実際、教育現場でも、明らかな特別支援教育の範疇に入る子よりも、
グレーゾーンの子が通常のクラスに何人かいることの方が、
いろいろなトラブルの元になっている場合が多いようです。
その子たちにも、教育を受ける権利があります。
しっかりとした未来を築けるような、きめ細かい対応が必要ですね。

(追記)
10月13日の読売新聞掲載の「週刊ポスト」広告に、
教育の今を考える~本当にあった!?『バカ田大学』
”偏差値測定不能”とまでコケにされて
」という見出しがありました。
その見出しに続いて、
『「授業内容はアルファベットの書き方・読み方」、「辞書の使い方」使用教材は「中1英文法」
「授業の受け方」「ノートの取り方」まで-だが冗談ではない。
これこそ学力崩壊時代の覚悟の真剣教育なのだ」と吊り文句が書かれていました。
既に実際にその記事を読んだ人がブログ記事を書いていますので紹介します。
本当にあった!?バカ田大学の烙印を押された日本橋学館大学
(ニュース情報をいろいろと紹介するブログ)
情報公開した大学は、立派だと思います。
その記事から少し引用すると・・・
(引用)
入学初年度の履修科目である
基礎カリテラシーの内容は驚くべきもの。

英語は英語を好きになると題して
前期は全部で15回授業が開かれますが・・・

第1回目は授業の進め方で終わり、
2回目はアルファベットの書き方と読み方、
3回目は辞書の構成・辞書の使い方と進み、
10回目でやっとbe動詞が出てくるという。

そして高校までの算数・数学をみなおし
数学的思考を身に付けると題した数学では、
小数や分数の計算や円の面積が出てきます…

日本語会話の授業では2回目がクラスで自己紹介、
3回目は目上の人を~~に誘う、
4回目は目上の人の誘いを断るという内容。

実際に中学1~3年の参考書を使うので
正に中学生レベルのような授業内容です・・・
数学にいたっては小学生で習う内容かと。

(引用終)
絶句・・・

2011年10月12日 (水)

NHK・クローズアップ現代「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」(2011年10月12日放送)

NHKが「クローズアップ現代」という「公器」を使って、
故スティーブ・ジョブス氏の生き様を通して、
「アップル」という巨大企業の宣伝をしているような番組であった、ともいえます。
(否定的な意味ではありませんが・・・)

10月12日放送のNHK・クローズアップ現代では、
世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」と題して、
先日10月5日に亡くなったスティーブ・ジョブズ氏が、
10年前に「クローズアップ現代」に出演した映像や、
日本人との関わりなどを紹介していました。
番組HPから、放送内容を転載します。

(引用)
iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られたスティーブ・ジョブズ前CEO(最高経営責任者)が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップでアップルを率いてきたジョブズ氏。製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。番組では、ジョブズ氏を身近で知る人々の証言や、ジョブズ氏の言葉、かつてクローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、IT界の天才と言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。ゲストは孫正義さん(ソフトバンク社長)です。
(引用終)

私はiPhoneやiPadどちらも持っていませんし、
特にアップル社への思いいれもありません。
しかし、故スティーブ・ジョブズ氏(以下、「故」と敬称は略)の卓越したプレゼンや、
斬新なデザインの製品は、アップル社に無縁な私にも驚きを与えました。
いや、すべての人に驚きを与え、
社会を変革しました。
CDの時代が終ったり、携帯電話がもはや小型パソコンとなったことなど・・・

番組では、細部にまで徹底したこだわりを貫いたエピソードや、
ソフトバンク社長の孫正義氏が語るエピソードが興味深かったです。
孫正義氏は、「スティーブ・ジョブズがこれから20年も生きていたら、
iRobotを作ったのでは?」などと語っていました。

スティーブ・ジョブズが大学でスピーチした様子や、
クローズアップ現代」で語ったメッセージは、
夢と情熱を持ち続けることの大切さを訴える感動的なものでした。
(番組HPで、10年前の放送の動画視聴ができます。約18分。)
パソコン界の先駆者 そのベンチャー精神に迫る(NO.1403)

アップル社、という一企業を超えた、
世界を変える一つの大きな夢が終った、と思いました。
スティーブ・ジョブズをジョン・レノンなどと並べて、
その死を悼む人が多数出た、というのも、少しだけ納得がいきました。

2011年10月に買ったマンガ4冊~こばと。(6)、海月姫(8)、ちはやふる(14)、君に届け(14)

旅行のお伴に、マンガを3冊買って、かばんに入れていきました。
海月姫』(8)、『ちはやふる』(14)、『君に届け』(14)です。
飛行機や列車の中で暇つぶしに読むためでした。
さらにもう1冊・・・
新千歳空港で手荷物検査を終え、ゲートラウンジをぶらぶらしていると、
売店の書籍コーナーで、ふと『こばと。』(6)を見つけました。
合計4冊・・・
この4冊の中で、最もすばらしかったのは、『こばと。』(6)でした。


こばと。 (6) (角川コミックスエース)


他の3冊は列車の中で既に1度は読んでいましたが、
こばと。』(6)は初めてでした。
こばと。』はこの巻が最終巻。
先に結論が出てしまったテレビアニメ版と、
だいたい同じような結末といえますが、
感銘の深さでは、マンガ版に軍配が上がります。
アニメ版の終わりは中途半端な感じですが、
マンガ版は保育園のことをきちんと描いています。
詳しくは書きませんが、こばとちゃんの純真さ、心の清らかさに、
思わず涙がこぼれてしまいました。
飛行機に乗りながら・・・

こばと。』は6巻で終わりだから、小品といえますが、
心が癒されるような佳品です。

ちなみに、「そういえば、(同じCLAMPの)『ツバサ』はどういう結末になったのだろう?」
と知りたくなり、後で暇つぶしにBOOKOFFで『ツバサ』の28巻(最終巻)を立ち読みしました。
ツバサ』も20巻ぐらいまで購入していたのですが、
残酷な描写が増えてきたので辟易してしまい、
結局読むのを止めてしまいました。(ついでに売却・・・)
今回最終巻を読んでみて、
「あまりに筋・設定を複雑にしすぎたのでは?」と思いました。
消化不良のよくわからない結末でした。
途中までは結構面白かったのに残念です。


ツバサ(28)<完> (少年マガジンコミックス)


続いては、『海月姫』(8)。
相変わらずの面白さ!
新キャラのインド人とか、まだまだ期待できそうです。
(『海月姫』についても何度か記事を書いています。)
海月姫(アニメとマンガ1~6巻)
2011年6月に買ったマンガ5冊~ちはやふる、とめはねっ!、ナナマルサンバツ、乙嫁語り、海月姫・・・


海月姫(8) (講談社コミックスキス)


ちはやふる』(14)もすばらしかったです。
東京ではついにアニメ放送が開始されていますね。
(北海道ではいつになれば放送されるのでしょうか・・・)
(『ちはやふる』については何度かこのブログでも取り上げています。)
書評:末次由紀『ちはやふる』
『ちはやふる』4~8巻
2011年6月に買ったマンガ5冊~ちはやふる、とめはねっ!、ナナマルサンバツ、乙嫁語り、海月姫・・・


ちはやふる(14) (Be・Loveコミックス)


君に届け』(14)は、私が読みたいから、というよりは、
教会学校に集う小学生女子たち向けに買ったものです。
(買っては教会へ寄贈。一応、どんなものか確認するため・・・)
沖縄に修学旅行へ行く話でした。
まぶしすぎてみていられないなぁ・・・
といった感じでした。
キス寸前のシーンまで出てきますが、
爽子ちゃんにはそれ以上はカンベンしてほしい、というのが正直な願いです。


君に届け 14 (マーガレットコミックス)

なお、『君に届け』(14)以外は何度も読み返しましたが、
さすがにこの『君に届け』(14)だけは1度で十分かな、と思ってしまいました。
青春が遠くなったのかなぁ・・・

2011年10月11日 (火)

旅行の楽しみ~「美術館・書店・CDショップ巡り」から「花より団子」へ?

先日、用事があって東京に行きました。
今年2回目です。
これといった観光はできなかったのですが、
北海道へ戻る前に少し時間があったので、渋谷のタワーレコードへ行きました。
クラシックのCDだけで6階ワンフロア全部を使っているのは流石と思いましたが、
なにぶん、限られた時間だったので、CD2枚を買うのがやっとでした。
ちなみに、購入したCDは・・・

フランク「交響曲ニ短調」/ラフマニノフ「交響曲第2番」
ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団
[CD]ポール・パレー(cond)/フランク: 交響曲ニ短調/ラフマニノフ: 交響曲第2番 ◆15%OFF!


エレーヌ・グリモー(ピアノ)「バッハ」(※輸入版)
[CD]エレーヌ・グリモー(p)/バッハ vs バッハ・トランスクライブド ◆15%OFF!


ある意味、Amazonや楽天ブックスなどでも買えるものではありますが、
ちょうどポイントがたまっていたのと、自分への「お土産」として購入しました。
ただ、買いながらも、「ネットでは幾らなのだろうか?」などと考えてしまいました・・・

昔、東京やその他の大都市に行く楽しみは、
美術館や大きな書店・CDショップを巡ることでした。
渋谷のタワーレコードやHMV、
東京駅そばの八重洲ブックセンターや新宿の紀伊国屋書店本店・・・
珍しい本やCDを見つけると内心、狂喜したものです。

しかし今や、便利な世の中になり、
札幌でもジュンク堂書店やコーチャンフォーなどの大型書店がありますし、
(残念ながら、CDショップは後退気味ですが・・・)
それ以上に、Amazonなどのショッピングサイトで、
効率よく探せるようになりました。
本だとマンガ本1冊だって送料無料は当たり前になってきました。
旅先で本やCDをたくさん買いこんで来る、という楽しみは、
どうやら過去のものになったようです。
(それでも、暇つぶし用に、何冊か本を買ったりはしましたが・・・)

旅行の楽しみは、書店・CDショップ巡りから、
「おいしいもの巡り」にシフトしつつあります・・・
(美術館巡りも、今ではよほど興味があるものしか行きません。)
花より団子?

「北国の春」と「フクシマの春」

ブログ再開します。
ご愛読よろしくお願いします。

10月10日の早朝、旅行先の東京のホテルでNHKニュースを観ていると、
千昌夫さんが「北国の春」を被災地で歌って、被災者を励ましている、
という特集をやっていました。
(少し寝ぼけていたから、細部は覚えていませんが・・・)

北国の春」の有名な歌詞、
「♪あのふるさとへ 帰ろかな 帰ろかな
いではく作詞・遠藤実作曲)というのが、
被災者たちの心に感動を呼び起こしていたようです。
(今年の紅白当確、というウワサがありますね・・・)

千昌夫さんがその時どこで歌っていたのか、はっきり覚えていません。
ただ、この歌詞、放射能汚染された福島ならどうなるのかな、と考えてしまいました。
「♪あのふるさとへ 帰れない 帰れない」・・・
フクシマの春」はこの先何年も何十年も来ないのかもしれません。

「帰るか、帰らないか」選択できるならまだしも、
「帰ることができない」という悲しい現実。
政治の力で、放射能汚染された「ふるさと」を、
ぜひ「帰ろかな」と言える場所へ戻してもらいたいものですね。
何年・何十年かかっても・・・
除染の費用の負担など、しっかりやってもらいたいものです。
(その一方で、避難区域解除は慎重にしてもらいたいものですね。)

私も「ふるさと」北海道に戻ってきました。
(妻がいるところが、今の私にとっての「ふるさと」かな・・・)

2011年10月 4日 (火)

ブログ一時休止のお知らせ(2011年10月)※附・聖フランシスコ記念日

都合により10月5日~10日のブログを休止します。
10月11日以降再開予定です。
今後とも、ご愛読をよろしくお願いします。
(ちなみに本日は、聖フランシスコの記念日ですね・・・)

St_francesco_2


聖フランシスコ(アシジ)修道者
1181年-1226年

 フランシスコは、イタリア、アシジの裕福な織物商の家に生まれた。フランシスコは、快楽を求め自由奔放な青春時代を過ごしたが、騎士になりたいと望み、戦場に赴いた。そこで病気にかかって、夢の中でイエス・キリストに出会い、回心してイエスに従う決心をした。持ち物を貧しい人々に与え、自らは粗末な服をまとい、ローマ中を巡礼した。アシジに戻ったフランシスコは、壊れた聖堂で祈っていたとき、教会を建て直すようにとのキリストの声を聞き、すぐに聖堂の再建を始めた。フランシスコの父は、教会のために家の財産が費やされることを嫌い、フランシスコが財産を受け継ぐことを放棄する法的手続きをとり、勘当した。

 しかしフランシスコはよりいっそうキリストの言葉に従い、同志を集め、清貧と愛の生活を続けて多くの人々を感化し、当時の乱れた教会を改善していった。その後ローマに行き、教皇インノセント3世から許可を得て、1209年に「小さき兄弟会」、後の「フランシスコ会」を創立した。

 すべての被造物をとおして与えられる神の恵みを悟ったフランシスコは、神に感謝と賛美をささげた『太陽の賛歌』を作った。彼の物語は、『小さい花』という本に伝えられている。また、彼はクリスマスの夜に馬小屋を飾って祝った最初の人であり、その習慣を広めた。

 1224年、フランシスコは聖痕(キリストが十字架に付けられたときに受けた5つの傷)を受けたといわれている。その生涯は、キリストのしもべとして貧しく愛にあふれるものであり、現代まで世界中の人々に大きな影響を与え続けている。

(本文・画像とも女子パウロ会HP"Laudate"聖人カレンダーより転載)
このブログのURLにも関係する聖人です。

2011年10月 3日 (月)

NHKBSプレミアム「名曲探偵アマデウス」・ムソルグスキー「展覧会の絵」

今回の「名曲探偵」は、再放送(事件ファイル#16)で、
ムソルグスキーの「展覧会の絵」でした。
ドラマはイマイチでしたが、
名曲「展覧会の絵」の魅力は十分出ていました。

放送では、シャルル・デュトワ指揮N響の演奏が使われていました。
デュトワの指揮はすばらしいのですが、
N響の金管奏者がミスしたりするなど、少しガッカリでした。

CDでは、デュトワは名演を聴かせてくれています。
「展覧会の絵」をロシア音楽としてではなく、
ラヴェル編曲なのでフランス音楽として十分に堪能させてくれています。
このCDはクラシック入門、管弦楽曲入門としてもおすすめです。
高校生の時、クラシックを聴き始めたときによく聴いていたものです。


(デュトワ指揮モントリオール響)


ロシア的な演奏なら、ゲルギエフ指揮のCDがおすすめです。

(ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル)

原曲のピアノ曲版は、番組ではあまり触れられていませんでしたが、
最近ではピアノ版の方が好きです(ピアノ版にも、原曲版や編曲版があります。)
何度聴いてもすばらしいと思うのは、
ホロヴィッツのピアノ・編曲による盤です。
モノラルですが、ものすごい迫力です。
最後の「キエフの大門」など、ピアノがぶっ壊れそうな、壮絶な演奏です。
「超人的」と評すべきものでしょう。
(カップリングは、
トスカニーニ指揮NBC響とのチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」です。
音は悪いですが、あまりのスゴい演奏に言葉を失います・・・)

(ホロヴィッツ盤)

「展覧会の絵」は原曲のピアノ版、ラヴェル編曲の管弦楽曲版の他に、
さまざまな編曲で知られていますね。
ウィキペディアで調べただけでも、何十種類もの編曲があります。
番組では、指揮者のストコフスキー編曲による版なども紹介されていました。
ラヴェル編曲版では、トランペット独奏のファンファーレで始まるのが、
ストコフスキー編曲版では、弦楽合奏から始まります。
「展覧会の絵 5態」という2枚組のCDでは、
原曲版(アシュケナージ演奏)、ラヴェル編曲版(ショルティ指揮)の他に、
ストコフスキー編曲版、ブラス編曲版、マリンバ版(ただし一部)
という5種類の編曲を楽しめます。


(「展覧会の絵」5態)

ところで、「展覧会の絵」でどの曲が一番好きか、と問われれば、
私ならやっぱり終曲「キエフの大門」を挙げます。
下の絵は、ムソルグスキーの友人、
ハルトマン(ガルトマン)が描いた「キエフの大門」です。
曲にインスピレーションを与えた絵です。

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「キエフの大門」の一部は、
最近では、テレビ朝日系の「ナニコレ珍百景」で使われていますね。
マキシムの「ヴァリエーションズ」というCDアルバムに収録されてるとのこと。

(マキシム「ヴァリエーションズ」)


「名曲探偵アマデウス」は2011年10月からまた放送時間が変わりますね。
これからも楽しみに観たいと思っています。

2011年10月 2日 (日)

おすすめWEB記事~「原発大国フランスで思う「空想の国」日本」(週刊・上杉隆【第194回】))

9月30日に、
プルトニウム、飯舘村まで飛散=原発事故で、土壌から検出―文科省
というニュースが報道されましたね。
しかも、測定したのは今年の6月~7月のこと。
「何を今さら・・・」の世界です。
これを驚きもせず、「事実を隠蔽していたのでは?」とも追及しない、
日本という国は実に「オメデタイ」存在ではないでしょうか?
上杉隆氏は、今回紹介します記事で、「空想の国」と表現しています・・・

今回紹介する上杉隆氏の記事の題は、
原発大国フランスで思う「空想の国」日本」です。
ジャーナリズムが機能しているので、政府による事実の隠蔽を許さないフランスと、
ジャーナリズムが機能不全に陥っている日本のマスコミを比較しています。
いや、当の国民自ら、イヤなことは知ろうとせず、安全神話という「空想」に陥っている。
だからこそ、本当の巨悪(=原発事故)は追及せず、
微罪(=小沢氏の件、ユッケ食中毒等々)は袋叩きにする、というおかしな構造・・・

記事の結論部を引用します。
(引用)
 日本のひとりの老政治家(注:小沢氏)の、元秘書たちによる形式的な「犯罪」よりも、世界に影響を与える原発事故の方に、世界的な関心が集まるのは当然なのだ。

 パリにいながら、遠く日本のことを思うと思考が混乱してくる。原子力立国のフランスですら、核関連施設での事故が起きれば、当然に捜査は行われているのだ。一方、日本では――。

 生ユッケ事件、天竜川の観光船転覆事故、全日空便の急降下トラブル、そして、小沢一郎氏の元秘書たちの政治資金規正法違反事件――。

 すべて捜査が入り、マスコミは大騒ぎした。だが、その一方で、世界的な大事故を起こした東京電力への捜査はその端緒さえ、いや気配さえみせない。

 あまりにバランスが悪くないか。いったい日本は大丈夫か。
(引用終)

この記事を読んで、聖書のイエス・キリストの名言を思い起こさせました。
ものの見えない案内人、
あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、
らくだは飲み込んでいる。

(新約聖書マタイによる福音書23:24新共同訳)
ここでいう「ものの見えない案内人」とは、直接は当時の宗教家たちを指しますが、
現代日本の大手メディアのジャーナリストたちはまさしく、
ものの見えない案内人」ではないでしょうか?
(引用)
 たとえば、きょう(注:9月30日)の朝日新聞の一面トップに原発事故調査についての記事が載った。

〈国会に原発事故調 喚問・招致 責任追及発展も〉

 けさ、パリのホテルに置いてある国際版で朝日新聞の電子版を読んで、この記事が目に飛び込んできた。あまりに気分が悪くなり、思わずテーブルの向こうの椅子に投げてしまった。せっかくの朝食がまずくなった。記者クラブは海外でも私の気持ちを萎えさせる。

 何をいまさら――。なんとお粗末なことだろう。

 すでに半年以上前、自由報道協会のフリーランスや海外のジャーナリストたちが指摘していたことを、この秋になって、初めて知ったかのように書き連ねているのだ。しかも、それも政治家が動いて初めて書いている。

 日本の国民はなぜメディアに騙されていることに気づかないのか。こうやって遠くのパリから改めて日本の現状を考えてみると、本当にうんざりしてしまう。
(引用終)

テレビ・新聞という「ものの見えない案内人」が導く世論というのは、
未来が描けない、刹那的なものではないでしょうか?
日本人は、どこへ向かうのでしょうか?
私には、法華経の「火宅の譬喩」がぴったりだと思っています。
放射能汚染という大危機を直視せずに、バラエティ番組を観てアハハと笑いつつ、
身に危険が及んでいるのさえ気づかないでいる、愚かな子らが、
日本人の多くの姿ではないでしょうか?
ただし、残念ながら、
火宅で遊ぶ子らを助けてくれる「長者」は見当たらないようですが・・・
(いや、むしろ「誰かが呼びかける」のを待ち続けるのではなく、
私たちが微力であっても、声をあげていくのが大事なのでしょう。)

2011年10月 1日 (土)

2011年9月のアクセス数ベスト10記事一覧

2011年9月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)
ベスト3までは記事リンクをつけています。

一位. 血液検査から人工透析を防げるかも?~
NHK・ためしてガッテン「腎臓が突然ダメになる 急増!沈黙の新現代病」
(2011年9月14日放送)

二位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

三位.NHKスペシャル「生活保護 3兆円の衝撃」(2011年9月16日放送)
四位.大金星であり大黒星でもある番組~NHK教育・ETV特集
「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」
(2011年5月15日放送)

五位. NHK・セカイでニホンGO!
「ニホンの大切なことは怪獣から教わった」(2011年9月1日放送)

六位.日本テレビ系・「ライオンスペシャル 第31回高校生クイズ
日本を救う最強頭脳No.1決定戦」(2011年9月9日放送)

七位.NHK・クローズアップ現代「大人がハマる“数学ブーム”の謎」(2011年7月27日放送)
八位. 糾弾される武田教授と表彰される山下教授
九位.NHKEテレ・ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3
子どもたちを被ばくから守るために」(2011年8月28日放送)

十位. 公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?
~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで

十位.NHK・名曲探偵アマデウス 「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」
※十位は同アクセス数ですので、2つあります。

NHKネタが相変わらず圧倒的に強いですね・・・
(ベスト10+1中9つ・・・)
2011年10月もご愛読よろしくお願いします。

「おひさま」最終回と「サザエさん」~妻の感想

NHKの連続テレビ小説「おひさま」の最終回を妻と一緒に観ました。
私はこの作品は最初の数回程度と途中ところどころしか観ていません。
妻は、最初は「戦前の話か・・・」とあまり興味がありませんでした。
今年の8月に一緒に長野県に行ってから、少し興味を持ったようで、
(残念ながら、安曇野には行けませんでしたが・・・)
最近ではよく観ていたようです。

妻の感想としては・・・
「起伏がゆるやかで、(戦争は別として)どこから観てもそれなりに楽しめる。
まるで「サザエさん」みたい・・・」とのこと。
「『平凡な人生にも幸せがある』ということを訴えたいのでは?」
とも述べていました。
確かに、最終回だけ観ると、今までの登場人物が勢ぞろいして、
娘の入学式を見送る、という、実にあっけないものでした。
でも、それはそれで、幸せなことでしょう。
ハリウッド映画のようなスリルとサスペンスに満ちた中での幸福ではなく、
平凡でも小さな幸せを大事にしていくことが大切ですよね。

最終回に黒柳徹子さんが出ていたのは少し面白かったです。


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