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2011年1月の41件の記事

2011年1月31日 (月)

チーズ工房アドナイ(興部町)と、「主の山に備えあり」(アドナイ・イルエ)

妻と一緒に、さっぽろ東急百貨店催事コーナーでの、
ミルク&ナチュラルチーズフェア2011」(1/27~2/2)に行ってきました。
北海道各地から400種類以上の道産牛乳・乳製品が集まる道内最大級のフェア!
というキャッチコピー。
会場では、チーズやヨーグルトの試食がたくさんあり、
私どもはいろいろな種類のチーズを試食して歩きました。

その中で、面白いチーズの名前がありました。
オレンジ色のラベルに「アドナイ」という大きな文字。
その下には、「主の山に備えあり」と書いてあります。
思わず「おおっ!」と目を見張りました。
チーズ工房アドナイ」(興部町※おこっぺちょう→道北)の商品です。

アドナイ」はヘブライ語で、「主」という意味です。
主の山に備えあり」は、旧約聖書の創世記22:14に出てくる御言葉です。
(この通りに出てくるのは、口語訳です。新共同訳、新改訳では少し違います。)
商品に御言葉を使うとは、すばらしいですね。
もちろん、試食したチーズの味も、すばらしいものでした。

チーズ工房アドナイ」については、以下の3つのサイトなどを御覧ください。
(なお、会社HPは、「興部町 有限会社アドナイ」で検索してみてください。)
・オホーツク総合振興局(北海道)での紹介記事
http://www.okhotsk.pref.hokkaido.lg.jp/ss/num/ice/ado.htm
・「オホーツク・ブランド」での紹介記事
http://www.okhotsk.biz/adonai.html
・YAHOO!のショッピングサイトから。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/cookdine/ad0015.html
なお、札幌市とその近郊にお住まいの方であれば、
大通駅地下街の「きたキッチン」などでも売っていますよ。

ところで、「主の山に備えあり」とは、どういう意味でしょうか?
創世記22章で、神はアブラハムに、最愛の息子イサクを生贄としてささげよ、と命じます。
理不尽、不条理、横暴・・・ありえない命令でした。
しかし、アブラハムは、あえて従おうとします。
最愛の息子をまさに屠ろうとするその瞬間、
神は天使を通して「もういい!、ストップ!」と制しました。
聖書本文から引用しましょう。

そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
(旧約聖書 創世記22:10~14新共同訳)

「神様、もう無理ですが、『あえて』従います・・・」というような時、
神様が必要を満たしてくださる、という確信が、
主の山に備えあり」という実感なのでしょうね。
新約聖書では、
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ10:13新共同訳)と書いています。
信仰をもって「水の上を歩く」ような一歩を踏み出す時、
神様の恵みと助けを体験することは、なんとすばらしいことでしょうか!
信仰生活の醍醐味といえましょう。
(もちろん、できれば平穏無事が一番いいのデスケド・・・)

新共同訳ではヘブライ語をカタカナにして、
ヤーウェ・イルエ」と表記していますが、
ヤーウェ」という神の御名は、ユダヤの伝統ではそのまま読まず、
アドナイ(主)」と置き換えて読む慣習となっています。
ユダヤ人たちは、「ヤーウェ(YHWH)」という神聖四文字を、
十戒による規定と、あまりに畏れ多いということで、
いつしか、本当はどう読むのかさえ、わからなくなったようですが・・・

余談ですが・・・
日本のカトリック中央協議会では、
数年前から、典礼(ミサ)において、
創世記22:14を朗読する場合や、「典礼聖歌」を歌う場合など、、
「ヤーウェ」と書いてある箇所は、「主」と読み変えるように、という指針を出しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/081009-2.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/090325.htm
これは聖書的伝統を生かした、賢明な判断といえましょう。

「主の山に備えあり」という題・内容での説教で、
読みやすく、わかりやすいものとして、
インマヌエル高津教会・藤本満牧師のものを紹介します。
http://www.tkchurch.com/spboard/board.cgi?id=preach&action=view&gul=196&page=1&go_cnt=0

旧約聖書では、神の御名が7つ挙げられています。
アドナイ・イルエ(備えたもう主)」はその一つです。
ほかには・・・
下記ブログ記事にて、コンパクトにまとめてあります。聖書箇所も書いてあります。
記事を読んでから、ぜひ聖書そのものをひも解いて、読んでみてくださいね。
神様の7つのお名前
(ブログ名「Soli Deo Gloria-ただ神の栄光のために」)
http://fragrance888.blog84.fc2.com/blog-entry-940.html

皆様に神様の祝福と平和が豊かにありますように!

2011年1月30日 (日)

川島選手のスーパーセーブ!~サッカー・アジアカップ決勝(2011年1月29日)

サッカー・アジアカップ、日本代表優勝おめでとうございます!
日本時間で深夜2時半まで、テレビに釘付けで応援していました。
(私はBS1で視聴していました。)
試合そのものは、少し大味で、先日の韓国戦の方が面白かったといえますが、
とにかく、アジア№1を勝ち取ったことはすばらしいですね。

日本代表のディフェンス陣は、
オーストラリア代表の足の長さ・速さに対応しきれていなかった面が何度も見られました。
(日本のパスワーク対オーストラリアの猪突猛進は、猪突猛進の方が勝っていました。)
しかし、GK川島選手のファインセーブで、何とか事なきを得ていた、という状況でした。
気迫と闘志あふれる川島選手の活躍は実に「漢(おとこ)」らしく、観ていてシビレました。
この試合でマン・オブ・ザ・マッチを獲得したのは、決勝ゴールの李忠成ではなく、大会MVPを獲得した本田圭佑でもなく、スーパーセーブを連発した川島永嗣だった。
(下記WEB記事から引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110130-00000319-soccerk-socc

あっぱれ、川島選手!

2011年1月29日 (土)

「愛追い」から「相生」へ~NHK・恋する日本語「いい男の条件」(2011年1月28日放送)

相生」(あいおい)という言葉、ご存知ですか?
1月28日(27日深夜)放送の、
NHK「恋する日本語」最後のキーワードが、「相生」でした。

相生」とは、
2本以上の木が同じ根から生え出ていること。特に相生の松。
転じて、夫婦が仲睦まじいこと。
また、「相老」ともかけて、夫婦が共に長生きすること。
」(wikiから転載)という意味です。

今回の「恋する日本語」では、
佐藤江梨子さん扮する婚活中の29歳女性(ダメンズにひっかかりやすい・・・)が、
喃喃」、「気宇」、「玉響(たまゆら)」、
そして「相生」という言葉を通して、
恋愛への意識を少しずつ変えてゆくストーリーでした。
冒頭に書いたとおり、特に「相生」という言葉が心に響きました。
相生」という言葉、夫婦にとっては理想ですよね・・・
ドラマを妻と一緒に観てから、
寝る前に、妻に「『相生』しようね・・・」とささやいてしまいました(*^.^*)
(そのあとは・・・ヒ・ミ・ツ、ということで・・・゜.+:。(*´v`*)゜.+:。)

ところで、一般の話し言葉としては、「相生」はまず使われることはないですが、
地名や会社名として使われていますね。
兵庫県には、「相生市」がありますし、
全国各地に「相生(町)」という地名があります。
(北海道だけでも、小樽市や恵庭市などに「相生町」という地名があります。)
あいおいニッセイ同和損保」という会社もありますね。
意味はわからなくても、身近に使っている言葉といえましょう。

番組の最後の方で、ドラマ中の婚活女性が、
「愛追い」という言葉を紙に書いて、
「私は今まで『愛追い』だったけど、これからは『相生』を目指したい」
というような内容のセリフを言いました。
愛追い」という言葉は、もちろん造語です。
3ヵ月ごとに彼氏をとっかえひっかえするような、
ダメンズにひっかかってばかりの薄っぺらな恋愛(連愛?)から(月9ドラマ並!)、
「大河ドラマ」のような恋愛、「相生」へ・・・
思わず「そうだよね~」とうなずいてしまいました。

手をつないで歩く若い夫婦はほほえましいですが、
老夫婦が手をつないで歩いてるのは、すごくうらやましい世界ですね・・・

今回の放送内容については、NHKの公式サイトよりも、
以下のブログ記事がとても詳しいです。
★ハッピーマリッジを実現する婚活戦略アドバイサー山野さゆの『婚活戦略』ブログ」の
NHK「恋する日本語」に学ぶ理想のパートナーと出会うためのステップとは?」(1月28日記事)
http://ameblo.jp/sayoriina/entry-10782185149.html
(ちなみに、NHKの番組公式HPでは、あまり放送内容がわかりません。
ケイタイからのアクセスなら、充実していて、
いろいろと情報を見ることができるようです。
PC向けにも、配慮してほしいです・・・)

「(真実の)愛を追い求めなさい。」(聖書のことば)

原作本です。

2011年1月28日 (金)

NHK・ハイビジョン特集「パイプオルガン誕生」-イタリア~東京・500日の物語-(2011年1月27日再放送)

パイプオルガンという楽器の構造、歴史、制作、演奏まで、
約2時間に凝縮された、きわめて興味深い番組でした。

NHKが2004年にハイビジョンで放送した、
ハイビジョン特集「パイプオルガン誕生」-イタリア~東京・500日の物語-」の
再放送を観ました。といっても、私にとっては、初めての視聴です。

カトリックの東京カテドラル聖マリア大聖堂に、2004年、
2代目のオルガンが設置されるまでの記録がメインでした。
パイプオルガンがどのように作られるのか、というのをはじめて知ることができました。
イタリアの職人たちによる手作り品です。

番組では、東京カテドラル聖マリア大聖堂へ設置されるパイプオルガンの製作工程を記録しつつ、
パイプオルガンの歴史や構造についても、実に適切にまとめていました。
最後には、J・S・バッハの「トッカータとフーガ」演奏で締めくくられました。

東京カテドラル聖マリア大聖堂のパイプオルガンの音色は、テレビで聞く限り、
ドイツ的な深刻さ(バッハの曲)にはあまりあわないように思えましたが、
天国的な雰囲気を醸し出していました。
ぜひ、一度実物の音を聴いてみたいと思いました。

ところで・・・
東京カテドラル聖マリア大聖堂は、非常にモダンな建築物で、
なんとなく、「ウルトラマン」の科学特捜隊基地と、怪獣ブルトンを連想してしまいました・・・
(大変失礼な言い方で、ゴメンナサイマセ・・・)
未来志向の教会建築なのでしょうね。

番組では、築地本願寺にあるパイプオルガンについても紹介していました。
お寺にパイプオルガン、というのはとても珍しいですね。
築地本願寺のHPでも紹介しています。
http://tsukijihongwanji.jp/tsukijihongwanji/103

東京カテドラル聖マリア大聖堂のHPにおいて、
番組の内容(パイプオルガン設置)までの経緯を写真付きでまとめています。
番組のダイジェストみたいな感じです。
興味のある方はぜひごらんください。
上がパイプオルガンの紹介、
下がパイプオルガン設置までの過程です。

http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/organcathe.htm

http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/neworgan/progress01.htm

引き算の人生、足し算の人生~読売新聞・曽野綾子氏へのインタビュー記事から(2011年1月27日夕刊)

読売新聞夕刊の「こころ~健康のページ」というコーナーに、
曽野綾子さんに聞く」というインタビュー記事が掲載されていました(1月27日)。
見出しは「老いて得た自由・開放感」。
記事の一番最後のところが印象的でした。
記事最後の部分を引用します。


(田中秀一記者)日本は国家財政が危機的で経済も停滞し、みな自信をなくしているように見えます。閉塞感を打ち破るヒントはありますか。
(曽野綾子氏)電気や水が絶えることなく使えて、警察や交通機関は責任感があって信用できる。こんないい国はありません。日本の悪口を言う人は、どうぞ出て行ってくださいと言いたい。
 途上国では、乾いた場所で眠ることができない人がたくさんいる。私は「雨の日も雨漏りしない所で、乾いた布団に眠れて幸せ」といつも思います。
 日本人は、今あるものを数えず、ないものばかり数えています。引き算の生き方では幸福になれません。

引き算の生き方では幸福になれません。」という言葉が、とても心に響きました。
日本は、どんなに「不況だ、不況だ」といっても、発展途上国の国と比べれば、
十分に「裕福な国」といえます(もちろん、例外的な人もいますが・・・)。

最近、「週刊ダイヤモンド」のオンライン版「ダイヤモンド・オンライン」で、
不況でも十分裕福なのになぜ“幸せ”を実感できない?
低成長時代の日本人を苦しめる「幸福のパラドックス
」という題の記事を読みました。
http://diamond.jp/articles/-/10744
日本人は、世界でも指折りの豊かな国に住んでいながら、幸せを実感できない国民だと言える。
(本文記事から引用)
ぜひ記事本文をお読み下さい。

幸せを感じることができないのであれば、どれだけモノに囲まれていても、
「灰色」にしか見えない、気の毒な状態です。

感謝します」、「ありがとうございます」、「ツイてる
不平不満を吐き散らすよりも、これらの肯定的な言葉を口癖にしたいものですね。

あなた(=神様)の御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。

(旧約聖書 詩編139:17~18新共同訳)
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
(旧約聖書 詩編103:2新共同訳)

2011年1月27日 (木)

NHK・クローズアップ現代「秋葉原の一番長い日  ~ホコ天再開の波紋~」(2011年1月27放送)

「安全・安心」を重視すべきか、「マチの活気」をとるべきか・・・
1月27日放送のNHK・クローズアップ現代では、
「秋葉原の一番長い日  ~ホコ天再開の波紋~」という題で、
凶悪事件発生から約3年経って、
ようやく日曜日の「ホコ天(歩行者天国)」を試験的に再開した秋葉原の様子を報じていました。
番組HPから、放送内容を転載します。


連続殺傷事件から2年7ヶ月。秋葉原の歩行者天国が1月23日に試験的に再開された。長らく議論を続けてきた地域の関係者たちが選んだのは、地域住民が自らルールを定め、自らの手で、歩行者天国の安心・安全を守ることだった。公共空間での無差別殺人が頻発するなか、地元住民が参加する総勢100名をこえるパトロールは、全国的にも大きな注目を集めた。しかし、電気街、クールジャパンを代表する観光地、IT企業の集積群としてのオフィス街など、多様な顔を持つ秋葉原には、警察や行政、商店主、地元住民など、様々な人たちが考える、それぞれの“理想の街”が交錯する。惨劇を繰り返さないために求められる完璧な秩序と安全。その一方で失われる開放感と活気。再開の日に臨む、街の人々の目線のドキュメントを通して、安全で自由な街のあり方を考える。


私は近年の秋葉原に行ったことはありませんが、
(14、5年前に一度行ったような記憶がありますが・・・)
テレビなどで、混沌とした雰囲気のアキバは知っています。
よくも悪くも、日本のサブカルチャーを代表するマチなので、
3年前のあの事件には大変衝撃を受けました。

番組では、「安全・安心」を目指す商店街の取組と成果について功罪どちらも取り上げていました。
ただ、「安全・安心」を目指すあまり、なんとなく窮屈な感じがしました。
すべてのパフォーマンスは禁止、ビラ配りも一切禁止・・・
日本の他の地域でわかりやすく言えば、
お祭りなのに騒いではいけない、というような状態でしょうか・・・

規制がなかった以前は、エアガンで撃ち合ったり、
下着を見せるような過剰・過激な路上パフォーマンスがよくあったようです。
当然、そういうものは排斥すべきものです。
しかし、観光協会のような所でさえ、一律にチラシを配ってはいけない、とか、
自分の店の前でも、チラシ配りさえできないとか・・・
明らかにやりすぎでは、とさえ思える光景もありました。
道行く人たちも、あまり「アキバ」らしくない、と感じていた人が多いようです。
「ホコ天」が終ってから、「やれやれ・・・」といつもの「アキバ」に戻っていました。

ある意味、これは「アキバ」だからではなく、
日本特有の、「縮み志向」の表れ、ともいえます。
過剰に安心・安全を求めるあまり、全体的に萎縮してしまい、
かえって、目的(地域活性化など)を妨げるものになりかねません。
ゲストコメンテーターの森達也氏は、含蓄に富むコメントをしていました。

少し脱線しますが・・・
アメリカで、凶悪な銃犯罪が起きても、
いっこうに、銃を規制せよ、という声が一定以上に大きくなることはありませんね。
さまざまな要因がありますが・・・
規制して自由を妨げるよりも、多少危険でも自由を選ぶ、という事なのでしょう。

日本では、「安全・安心」を求めるあまり、公園で子供を遊ばせないとか、
過剰反応しすぎる面が強いのではないでしょうか。
「良識」というものと、
「公共の福祉」に反しない範囲での「自由」をもっと大切にする社会になってほしいものですね。
そのためにも、「自由」の濫用とは何か、というものを、
家庭や学校などでもっと論じるべきでしょう。

詩篇23(08)【自作曲】

久々に、詩篇23シリーズ第8回目です。
(約5ヶ月ぶりです・・・)
今年初めての、自作曲の紹介となります。

今回のテキストは新共同訳の詩編23全体です。
変ロ長調のおだやかな曲です。
イメージとしては、
丘の上で夕映えを見ながら、
感謝をこめてのびのびと歌う(映画「サウンド・オブミュージック」の冒頭みたいに?)ような感じでしょうか。
変ロ長調といえば、夕映え、黄昏のイメージがあります。
ひとつひとつの言葉をしっかりと味わいつつ、口ずさんでみるといいでしょう。

味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
(旧約聖書 詩編34:9新共同訳)

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110127_psalms023allno08.MID」をダウンロード

「20110127_psalms023allno08.pdf」をダウンロード

2011年1月26日 (水)

NHK「名曲探偵アマデウス」・ドボルザーク「スラブ舞曲集」

今回の「名曲探偵」は、ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」でした。
一般には、管弦楽版が有名ですが、オリジナルのピアノ連弾版を取り上げていました。
番組内のドラマは、農村の婚活企画に、「スラブ舞曲集」を使おう、というものでした。
なかなかユニークな視点でした。

ドヴォルザークの作品としてはとても有名な部類に入る「スラブ舞曲集」。
実は、私は今回の放送を観るまでは、まったく興味がありませんでした。
ドヴォルザークの作品自体、「新世界から」とかの超有名曲を除いて、
それほど興味を覚えなかったので・・・
一種の「食わず嫌い」だったのでしょうね・・・
(高校の時に「新世界から」はよく聴いていましたが・・・
甘いだけのお菓子のように思えて、その後敬遠していました。)

番組では、「瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ」のすばらしい演奏を堪能できました。
時に、手と手が重なりあうところとか、なんとなく、官能的とさえ思えました。
音楽を通して、甘い恋の香りが漂ってきそうな気配が?・・・な~んて(*´σー`)
演奏者達が連弾について語るところは、恋の駆け引きに参考になるかも?
躍動感があり、田園風景の中で民族衣装を着た人々が踊っている光景が目に浮かびそうでした。

妻が結構気にいってたので(特に第1集第7曲)、
ついつい、久しぶりに、CDを買ってしまいました・・・それも2枚!
「スラブ舞曲集」のピアノ連弾版と、管弦楽版です。ともに全曲盤です。
ピアノ連弾版はモノクロ又は静止画、
管弦楽版はフルカラーハイビジョン、みたいなイメージです。
しかし、ピアノ連弾版はこじんまりしていながらも、独特の魅力があります。
素朴な味わいで、私は結構スキです。
管弦楽版よりも気に入りました。

購入したのは以下の2枚です。
上がピアノ連弾版、下が管弦楽版です。
2枚あわせて2千円ほどでした。

ヴラスティミル・レイセク & ヴィエラ・レイスコヴァ(ピアノ連弾)

ノイマン指揮チェコ・フィル(1985年録音)

ピアノ連弾版の演奏者は、初めて聞く名前でしたが、
値段が安いのと、「夫婦で演奏」というところに惹かれ、選びました。
いきいきとして楽しい演奏です。
(ベロフ&コラールによる2枚組を買おうかどうか、迷いましたが・・・
こちらは、ブラームスのハンガリー舞曲集やワルツ集もついていて、結構オトクかも・・・)
管弦楽版は、この曲の名盤として定評があるものです。
鮮やかな演奏です。

「スラブ舞曲集」第2集第2番は、まるでチャップリンの映画音楽のようです。
とてもメロディアスですね。ドラマや映画などで聴いた事があります。
番組の中では、セコンドパートに、ブラームスの交響曲第4番の第4楽章からの引用がある、
と紹介されていました。
「へぇ~」と思った箇所でした。
確かに、耳をすませば、低声部にブラームスの「パッサカリア」が聞こえてきます。

その他で気に入ったのは、番組の中でも取り上げられていた、
第1集第1番、第2番、第7番などです。
第2集よりも、第1集の方が全体的に好きです。
ピアノ連弾版、管弦楽版、共にBGMとして聞き流すにはもってこいの作品ですね。
恋人や夫婦で語らいながら、「人生の連弾」を楽しむのは、いかがでしょうか?・・・


スコア

2011年1月25日 (火)

NHK・クローズアップ現代「問われる“夢の医療”  ~追いつめられる患者と財政~」(2011年1月25放送)

「カネの切れ目が縁の切れ目」ならぬ、「カネの切れ目が命の切れ目」・・・
1月25日放送のNHK・クローズアップ現代では、
問われる“夢の医療” ~追いつめられる患者と財政~」という題で、
最先端の医療が進む一方で、医療の高額化により、
経済的な理由から、治療をやむなく中断・・・そして死・・・
今後誰に起きてもおかしくないような、身につまされる内容を扱っていました。
番組HPから、放送内容を転載します。


いま、命を救うはずの夢の新薬によって、窮地に追い込まれる患者や家族が急増している。ここ数年、がん治療の最前線では、細胞中の分子をピンポイントで攻撃する「分子標的薬」が登場し、以前は助からなかった患者の延命治療が可能になるなど目覚ましい効果があがっている。しかし、薬には巨額の開発コストがかかるため、患者は一度使い始めたが最後、生涯、高額な薬代を負担し続けなければならず、経済的な理由から使用を中断する患者が後を絶たないのだ。患者団体は国に助成を求めているが、医療保険財政逼迫のため対策は容易ではない。番組では、“費用対効果”の観点から医療制度を大きく見直したイギリスの取り組みなども紹介しながら、高度医療と財源のバランスをどう取るべきなのかを考える。


番組前半は、高額な薬代(自己負担分年間50万円)を払えなくなり、
治療を断念した人の話でした。
夢の新薬で一命をとりとめ、劇的な回復を遂げたものの、
まともに払えば年450万円の薬代・・・
公費負担があっても、それでも年50万円の自己負担・・・
ついに、経済的に窮して、薬の使用をあきらめるしかなくなってしまいました。
薬で症状を抑えているだけなので、薬をやめるのは、死を意味します。
・・・これは、決して特殊なケースではないはずです。
「貧乏人は死ねとでも言うのか?」というようなコメントを、
遺族の方が述べていたのが印象的でした。

番組の後半は、医療の低コスト化を目指す取組も紹介されていましたが、
メインは、イギリスでの取組でした。
イギリスでは、番組前半に出ていた人が服用していた薬が無料な一方、
インフルエンザ治療薬のタミフルが全額自己負担など、
医療に対する優先順位がつけられているようです。
日本でそのまま導入できるかどうかはわかりませんが、
社会保障を考える上で大きなヒントになりそうです。

金持ちは可能な限りの医療を享受して長生きな一方、
貧しい人は生きるのをあきらめなければならない・・・
日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

が保障される社会となるように、
国民の間で論議が必要ですね・・・

高齢者に出される山のような内服薬とかのムダを減らし、
経済的に困窮して、生きる、死ぬの選択にあえでいるような人を、
一人でも多く救うことができる社会になればいいと考えます。

ハート型の滴

夕食後の団欒の時でした。

妻とお茶を飲んでいた時に、ふとテーブルの上を見ると、
偶然、ハート型の滴を見つけました。
とても珍しいので、思わず、写真に撮ってしまいました・・・
水が愛に反応しちゃったのでしょうか・・・な~んてね(*^.^*)
写真に撮った後、それをしばらくそのままにしておきましたが、
冬なので、室内が乾燥しているから、自然蒸発したようです・・・

愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。
キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。

(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ5:14新共同訳)

少しわかりにくいかもしれませんが・・・

20110125_picture


北教組の懲りない面々~MSN産経ニュースから(2011年1月23日の記事)

反省だけならサルでもできる」、とよく言われますね。
サルでさえ、反省の姿勢を見せるのに、
人間サマ、しかも教師が、反省できない・しようとしないのは・・・

北教組について、またまたあきれる記事を見つけてしまいました・・・
茨城県で行われていた、日教組教研集会についての記事です。
MSN産経ニュース
日教組教研集会 不祥事は武勇伝? 北教組、調査への非協力“誇示” 
浜教組、教科書「不使用」報告
」(2011年1月23日)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110123/edc11012321130030-n1.htm
詳細はぜひ記事をお読みください。
日教組の教研集会に、北教組の方々が参加して、
滔滔と、法令違反や規律違反を、「武勇伝」のように発表した、という内容です。
教師の信頼をますます失わせるだけである、ということに、どうして気づかないのでしょうか?
企業であれば、コンプライアンス違反で、厳重な処罰を受けます。
ぜひ、道教委は、厳重な対応をしてもらいたいものです。
特に、記事にあった稚内市における、
教員の勤務時間中の組合活動の実態について、
納得の行くような再調査をすべきなのでは、とも思いました。

同じ記事で、横浜市教職員組合(浜教組)のによる、
教科書不使用報告にも触れています。
私自身、「戦前はすべてよかった」、などと言うつもりはありませんが、
自虐史観では、青少年が正しい自尊心を持つことは不可能でしょう。
「お前たちの祖先はこんなに悪逆非道なんだ!」と、
先人の苦労を貶めたままでいいのでしょうか?
そんな歴史教育だからこそ、「日本をよりよくしたい」と考える人が少なくなり、
利己心のカタマリ(自分さえよければ・・・)を増やしているのではないでしょうか?

もっと、日本の良いところを紹介するような歴史教育をしてほしいし、
(もちろん、過去の汚点をも直視すべきですが・・・)
また、古代の古墳とか平安時代の事よりも、現代史をきちんと学んで、
「未来」への展望が拓ける教育をしてもらいたいと願っています。
(官僚達にとっては、生徒が現代史をきちんと学ぶと、脅威なのでしょうけどね・・・)

日本国憲法は、何も第9条だけでできているわけではありませんよね。
憲法第19条には、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と、
同じく第23条には、「学問の自由は、これを保障する。」とも書いてあります。
浜教組のやっていることは、憲法に抵触するのではないでしょうか。

北教組の話に戻りますが・・・
憲法第15条には、
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」ともあります。
それゆえ、教師も公務員ですから、政治的に中立であるべきです。
勤務時間中に選挙応援とかビラ配りなどは、論外です。
反省すらできない教組は、さっさと解散か自然消滅してほしいものです。

2011年1月24日 (月)

神様の「ライフ・ノート」(命の書)

興味深いブログ記事を見つけました。
デスノートではなくて、幸せになれるノートを」(Pure in herrt)
http://nbrco.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-728a.html
プロテスタント教会に通うあるクリスチャン女性が書いた記事です。
先日TV放映されていた、映画「デスノート」を見た感想を書いたものです。
(「デスノート」については、あえて説明不要デスネ。)

特に興味深かった箇所です。「なるほど~」と感心しました。


このデスノートが、名前を書かれた人が死んじゃうのではなくて、書かれた人が幸せになれるノートだったら、どんなに良いか。

デスノートとは呼ばずに、ライフノートとか、ハッピーノートという名前が、つくでしょうね。

幸せノートは、私たちが信じる神さまが、持ってはる!


人を祝福する、そういうノートがあれば、どんなにすばらしいことか・・・
(「裏・デスノート」なる作品が作れそうかも?)
とてもユニークな発想ですね。

「幸せノート」、「ハッピーノート」は、さすがに聖書に出てきませんが、
命の書(Book of Life)」というものであれば、
聖書中でたびたび言及されています。

命の書」という言葉は、ヨハネ黙示録だけで6回出てきます。
それ以外で、「命の書」が出てくるのは、2ヶ所(詩編69:29、フィリピ4:3)だけです。
(※いずれも、新共同訳において。)

命の書」と書かれていなくても、それを示唆する箇所としては・・・
たとえば、イエス様の御言葉。
しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。
むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。

(新約聖書ルカによる福音書10:20新共同訳)
(「感謝と喜びを」(小坂忠作詞作曲)という賛美の歌詞に、
下線部のところが出てきます。歌詞と曲は下記で御覧ください。)
http://andrew.d-pad.co.jp/senkyo2002/ThankAndGrad.html
「命の書」に名が記されている、とは、永遠の幸福を意味します。

この「命の書」、なんと、「デスノート」的役割もあるようです。
たとえば・・・
「(神よ、)命の書から彼らを抹殺してください。
あなたに従う人々に並べて
そこに書き記さないでください。

(旧約聖書 詩編69:29新共同訳)
最後の審判の様子の描写では・・・
その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
(新約聖書 ヨハネの黙示録20:15)
最終的な滅びの宣告ですね・・・
こういう箇所を読むと、その厳粛さに畏怖を覚えます・・・

神様の下には、「命の書」だけではなく、
幾つかの書物」があるようです。
わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた
(新約聖書ヨハネの黙示録20:12新共同訳)
命の書」はその中でも、特別の価値があるものです。
あと、興味深いのは、「彼らの行いに応じて裁かれた」という記述です。
「信仰に応じて」でないところに、普遍的な救いの可能性を垣間見ます。

神様が持っている「ライフ・ノート」というべき「命の書」。
私たちは、「命の書に名が書かれていなかったらどうしよう・・・」と、
最後の審判の恐怖に打ち震えるのではなく、
まずは、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27新共同訳)
そうすれば、「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
(ローマ8:1新共同訳)
そして、「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。
(ルカ10:20新共同訳)
という祝福が、待っています。

ヨハネ黙示録のおどろおどろしい終末の光景の向こうには、
輝かしい、永遠の命と、神様とともにある永遠の喜びが待っています・・・

2011年1月23日 (日)

BBCプロムス ラスト・ナイト・コンサート2010と、健全な愛国心

NHKBShで、2010年のBBCプロムス ラスト・ナイトコンサートが放映されていました。
私は、全部視聴が終わると、
午前2:20になるので、さすがに途中までの視聴であきらめました。
コンサートの最後は毎年同じですが、何回観てもすばらしいです。
睡眠時間を大幅に削ることになるので、最後まで視聴できなかったのは残念ですけど・・・

BBCプロムス ラスト・ナイトコンサート(以下「プロムス」と略記)は、
第1部と第2部に分かれ、音楽的には第1部と第2部の前半に価値がありますが、
面白いのは、第2部の後半です。
毎年、そこでイギリスの愛国歌「ルール・ブリタニア」(ア―ン作曲)、
「エルサレム」(バリー作曲)、「行進曲“威風堂々” 第1番」(エルガー作曲)、
そしてイギリス国歌が演奏されます。
(ちょうど、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの最後における、
「美しく青きドナウ」、「ラデツキー行進曲」に相当します。)

斜陽の国であるイギリスで、かつての大英帝国の栄華をしのぶような愛国歌を、
会場一体となって熱狂して歌うところが、感動的なのです。
特に「行進曲“威風堂々” 第1番」の盛り上がりは、
何度観ても「うらやましい~」と思います。

日本で「愛国心」というと、すぐ戦前の軍国主義と結び付けられてしまいます。
非常に残念ですね。
(中国共産党でさえ、愛国心のカタマリだというのに・・・)
イギリスの人々がプロムスで愛国的な歌を会場一体となって歌うのは、
別にかつての植民地主義・帝国主義に戻るべきだ、ということではないはずです。
同様に、日本という国を愛するのは、
かつてアジア諸国を支配したような歴史を繰り返したいからではありません。
むしろ、日本という素晴らしい国がいつまでも続くように、
そのよさ、すばらしさ、伝統と文化、国民性(良い面、悪い面も含めて)に気付き、
自分の国に誇りと自信を持ちたいからです。
日本に生まれ、日本で育ったのは、偶然ではない、と私は信じています。
故国日本を辱めるのは、親族を辱めるようなものです。

幸い、最近ではスポーツの分野で、
サッカー日本代表や、その他の日本代表選手の活躍によって、
健全な愛国心が若い世代にも育ちつつあるのは、好ましい傾向だと考えます。

日本の将来を輝かしいものにするには、
やはり、健全な愛国心が必要です。
(日本を高めるために、中国や韓国などの近隣諸国を貶めるのは、
健全な愛国心とはいえません。私は反中・嫌韓などには与しません。)

(2012年1月9日追記)
2011年のプロムス ラスト・ナイト・コンサートについての記事は以下です。
NHKBSプレミアム・プレミアムシアター
「プロムス2011 ラスト・ナイト・コンサート」(2012年1月8日放送)

2011年1月22日 (土)

日立 世界・ふしぎ発見!「第1172回 知られざる海洋王国エジプト 青い海を見た女王・ハトシェプスト」(2011年1月22日放送)

日立 世界・ふしぎ発見!」は、中学生の頃からよく見ていました。
(いまだに続いている、というのがスゴイですね・・・)
今回は、「知られざる海洋王国エジプト 青い海を見た女王・ハトシェプスト
という放送内容でした。
古代エジプト初の女性ファラオであるハトシェプスト。
在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃とのことです。
2007年に、ハトシェプストのミイラが発見された、という考古学上の発見がありました。
番組では、ハトシェプストの業績・人柄と共に、
紅海の美しさや、考古学的発見などについて触れていました。

紅海の水中撮影の映像は、ものすごく美しかったです。
もうひとつビックリは、古代の壁画に、
紅海に今もいる魚の姿がきちんと描かれていたことでした。

番組の中では、古代のロープも映し出されていました。
ロープの形態は、現在のものと大差ありませんでした。
そういうものが、今に至るまで残っている、というのもオドロキでした。
古代の人々の知恵は、驚くべきものですね。

現代人の知恵は、もっと驚くべきものです。
干からびたミイラから、死因とか、糖尿病などを患っていたとかを分析できるとは・・・
実は、ハトシェプストのミイラは、100年程前に既に見つかっていたのですが、
「誰であるか」を特定できなかったので、倉庫で眠ったままになっていました。
手掛かりは1本の歯でした。
別なところに保管されていた、「ハトシェプスト」と書かれている箱に納められた歯と、
X線写真(だったでしょうか?)でのミイラの歯の欠けたところが、
パズルのように照らし合わされ、そのミイラの身元がわかった、という次第だそうです。

ところで、今回、ハトシェプストを私が取り上げたのは・・・
実は、このハトシェプスト、聖書の有名な人物と関係深い、といわれています。
その人物とは・・・
なんと、モーセです!
出エジプト記2章の記事によると、
モーセは「ファラオの王女」(出エジプト記2:5~10)によって育てられた、とあります。
その「ファラオの王女」とは、ハトシェプストである、との説が有力のようです。
(ウィキペディアにも記述があります。)
番組では残念ながら、触れられていませんでしたが・・・

ハトシェプスト=出エジプト記2章の「ファラオの王女」説の立場から、
もう少し詳しく書いてあるブログを2つ紹介します。
興味がある方はぜひお読みください。

中川健一牧師の「ハーベスト・メールマガジン」~
ハトシェプスト女王のミイラ
http://htblog.exblog.jp/5777826/

日本同盟基督教団・小海キリスト教会牧師・水草修治牧師のブログ「小海キリスト教会牧師所感」~
神に用いられた女たち
(出エジプト記1~2章の話と要点、信仰的捉え方がきちんと書かれています。)
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20100502/p1

ちなみに・・・(ちょっと今回の放送に関係ないですが・・・)
科学の分野において、「モーゼ効果」なる語があるのを初めて知りました。
水は弱い反磁性体であるため、水を入れた容器の中心に強力な磁石を入れると水が左右へと分かれる現象が生じる。この現象は1993年に発見され[2]、旧約聖書『出エジプト記』のモーセにちなみモーゼ効果 (Moses Effects) とよばれている。一方、常磁性を持つ液体で同様の実験を行うと、逆に容器の中心に液体が集まるという現象を確認できる。この現象を逆モーゼ効果 (reverse Moses effect) とよぶ[3]。
(ウィキペディア「反磁性」の「モーゼ効果」からそのまま転載。)
天地創造を除けば、旧約聖書中最大の奇蹟である、「葦の海の奇蹟」(出エジプト記14章)。
科学的に考えても、ありえるようですね(私は信じていますが・・・)。
NHK教育の「大科学実験」でぜひともやってほしいデスネ(^-^;

ハトシェプストとモーセとの関わりについても書いてある、
中川健一牧師の「日本人に贈る聖書ものがたり」シリーズ全4巻を紹介します。
聖書理解に大変役立ちます。私も以前読んで大変感動しました。
(残念ながら、ある方にプレゼントしたので、今手元にありませんが・・・)
モーセが出てくるのは、2巻「契約の民の巻」です。
1巻から4巻まで通して読むと、聖書の全体像が映画を観るようによくわかります。

日本人に贈る聖書ものがたり―族長たちの巻

日本人に贈る聖書ものがたり (2-契約の民の巻)

日本人に贈る聖書ものがたり (3)

日本人に贈る聖書ものがたり (4)

セバスチャン、といえば・・・

サッカーのアジア杯、日本対カタールをNHKBS1で視聴していると、
しばしば「セバスチャン」という名前が連呼されていました。
カタールのFW、セバスチャン選手のことです。
かなり失礼で申し訳ないのですが、
私ども夫婦にとって、「セバスチャン」といえば、
どうも、「アルプスの少女ハイジ」の執事を思い出してしまいます・・・

【新春特価!】アルプスの少女ハイジ アルムの山(DVD) ◆28%OFF!

日本で「セバスチャン」の名は、
アニメ「アルプスの少女ハイジ」以降、すっかり「執事」の代名詞になってしまいましたね。
(ちなみに、世界名作劇場の『ペリーヌ物語』に出てくる執事の名も、
セバスチャン」ですね。こちらはかなりマイナーですが・・・)
親切さと紳士ぶりが、「アルプスの少女ハイジ」の本放送、再放送を通じて、
セバスチャン=執事」というイメージが、広く行き渡るようになったのでしょう。

【アニメ商品対象】世界名作劇場・完結版 ペリーヌ物語

先日、久しぶりに路線バスに乗ると、社団法人日本バス協会のポスターが貼っていました。
日本バス協会のキャラクターは、「セバスファミリー」で、
「セバスパパ」、「セバスママ」、そして「セバスちゃん」の3人家族です。
どんなキャラか、下記でご覧ください。
http://www.bus.or.jp/sebusfamily.pdf
「執事のように」お客様にサービスしますよ、という表れでしょうか・・・???

ところで、毎年1月20日は、実は「セバスチャンの日」なのです。
正式に言うと、「聖セバスチアノ殉教者」の記念日が、1月20日です。
セバスチャン」は、聖セバスチアノ(セバスティアヌス)にちなんだ名前です。

St012001

聖セバスチアノは、伝統的に、木に縛られて矢が体に刺さった姿で描かれます。
女子パウロ会のHPの「聖人カレンダー」1月20日のところで、
聖セバスチアノ殉教者」として紹介されています。
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/saint01.php

新約聖書には、「執事」という聖職名が出来てます。
(テモテへの手紙Ⅰ3:8~13新改訳・口語訳。ただし新共同訳では「奉仕者」。)
聖公会や長老派の教会などでは現在もこの名称が使われています。
単に「教会役員」を「執事」と呼んでいるところも多いようです。

聖セバスチアノが聖書的な意味での「執事」だったかどうかわかりませんが
(カトリック的に言えば、「執事」=「助祭」ですね)、
神に仕える「執事」であったのは確かです。

「聖セバスチアノの殉教」は、
トーマス・マンや三島由紀夫の小説でも言及されています。
ドビュッシーはオペラ『聖セバスティアンの殉教』を作っています。
宗教社会学者の鹿嶋春平太氏による『神とゴットはどう違うか』(現在は絶版?)という本の中で、
三島由紀夫と聖セバスチアノ、キリスト教との接点を実に興味深く論じていました。

そういえば、「セバスチャン」でもう一人有名な人がいますね。
音楽を通して神に忠実に仕えた「執事」、
ヨハン・セバスチャン・バッハです。
(J・S・バッハが世俗的な意味での「執事」だった、ということではアリマセン。)

Images

ちなみに、ドイツ語では、「バスチャン」ではなく、
バスチャン」という発音になります。

私も神に仕える「セバスチャン」でありたいと願っています。

記事を書いているうちに、
サッカー日本代表がカタール代表に勝ちました。やった~o(*^▽^*)o

2011年1月21日 (金)

おすすめWEB記事~中野剛志:TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる

小学校学習指導要領では、
小学6年の社会(日本の歴史)で学ぶ人物を42人挙げています。
織田信長やザビエル、徳川家康などとならんで、「小村寿太郎」の名も入っています。
高校の日本史においてではなく、小学校段階で教えるほど、重要な人物、というわけです。
「小村寿太郎」といえば、「関税自主権の回復」とセットで覚えることになっていますね。
明治44年(1911年)に日米通商航海条約が調印され、
関税自主権の回復」を果たしてから今年でちょうど100年。
奇しくもその100年目に、日本は自ら関税自主権を放棄しようとしています・・・
歴史から学ぼうとしない、愚の骨頂といえます。

THE JOURNALというサイト、半年ほど前からよく読むようになっています。
政治情報はとても参考になります(全部に賛同するかは別ですが・・・)。
最近の記事で、
中野剛志氏(京都大学大学院助教)の「TPPはトロイの木馬」という記事、
TPPの何が問題なのか、反対論の立場から鮮明に問題の本質を炙り出しています。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/tpp_5.html

記事の中から、特に面白い・興味深いと思った文をいくつか引用します。
詳しくは、ぜひ記事そのものをお読みください。


TPPは"徹底的にパッパラパー"の略かと思えるぐらい議論がメチャクチャです。

横浜で開国を宣言した菅首相はウィットに富んでいるなと思いました。横浜が幕末に開港したのは日米修好通商条約で、これは治外法権と関税自主権の放棄が記された不平等条約です。その後日本は苦難の道を歩み、日清戦争、日露戦争を戦ってようやく1911年に関税自主権を回復して一流国になりました。中国漁船の船長を解放したのは、日本の法律で外国人を裁けないという治外法権を指します。次にTPPで関税自主権を放棄するつもりであることを各国首脳の前で宣言したのです。

APECでは各国首脳の前で「世界の孤児になる」「鎖国している」と不当に自虐的に自国のイメージをおとしめました。各国は日本が閉鎖的な国だと思うか、思ったフリをするため、普通は自国の開かれたイメージを大切にするものです。開国すると言って得意になっているようですが、外交戦略の初歩も知らないのかなと。すでに戦略的に負けています。

私は今回のTPPを見ていて女性の反応に驚きました。男どもが開国ごっこ、龍馬ごっこをやっていて、その安っぽいロマンチシズムのせいで自分たちの大事なものが奪われるかもしれないと不安に思っているのでしょうか。

「明治の開国は関税自主権の回復であり今回はそれを放棄しようとしている」と言うと、多くの女性がまさにその通りと言ってくださいました。女性の方が戦略性というものには敏感なんでしょう。

─日本史を教えている高校教師が「幕末・明治の開国を教えるときは、1911年・小村寿太郎をセットにして教えるほど関税自主権は基本的で大事なこと」と言いました。関税をゼロにするという話に飛びついた政府やマスコミは歴史に何を学んでいるのか疑いたくなります

幕末の開国はペリーが武力で迫ったものですが、今回はそんなことはありません。世界第2位のGDPがあり、何度も言っているようにすでに開国しています。なぜ自爆しようとするのでしょうか。こんな平成の開国の歴史を、僕らの子どもや孫にどうやって教えますか。雰囲気で決めるようなこの時代を、将来、歴史の教科書でどう教えるのですか。

政治家が龍馬ごっこをやっているうちに、日本が滅びる・・・
こんな悪夢にならないように、「トロイの木馬」であるTPPを阻止し、
愛する日本を守っていきたいものです。
昨年の秋までは音沙汰なかったTPPに加入したいのなら、
解散総選挙して民意を問うべきです。
マスゴミも無責任な歓迎論を垂れ流すのはやめてほしいです。

NHK・恋する日本語「新たな出会いに」(2011年1月21日放送)

「垂り雪」(しずりゆき)、「夕轟」(ゆうとどろき)・・・
こういう詩的な言葉が日本語にあるのを、
この番組を観て初めて知りました。
NHKの新番組「恋する日本語」です。
上記の言葉は、造語ではなく、国語辞典に載っています。
電子辞書片手に視聴すると、より楽しむことができる不思議な番組です。

ドラマとしては、少し不思議な構成で、
NHKで言えば「名曲探偵アマデウス」に少し近い感じです。
ドラマを使いながら、「恋愛日本語」を知り、楽しむバラエティー番組、
と考えた方がいいかもしれませんね。

昨年8月のパイロット版(8月18日)がなかなかよかったので、
期待して観ました。
パイロット版よりもフォーマットが明確になっており、
次回も楽しみです。

ちなみに、ぜひ、「垂り雪」、「夕轟」、
ぜひ、辞書で調べてみてくださいね。

原作本もあります。


ミスと杜撰の神隠し?~msn産経ニュース【不明小中生のなぞ その後どこへ】

千と千尋の神隠し」なら、ちょっとコワイけど楽しいですが、
ミスと杜撰の神隠し」なら?・・・・

msn産経ニュースに、こんな特集記事があるのを見つけました。
【不明小中生のなぞ その後どこへ】(上・中)
全国で、住民票を残したまま行方不明になり、
就学しているかどうか確認できない小中学生(日本国籍)が、300人以上もいるそうです。
その実態と、教育委員会の事なかれ主義に迫っています。
特に(中)は、政令指定都市の教育委員会の怠慢を暴いています。

(上)のタイトルは、「全国で326人? 調査空洞化、実態は不明」。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110119/edc11011912120017-n1.htm
(中)のタイトルは、「ずさんな学校基本調査 19政令市中、17市が誤報告
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110120/edc11012014400019-n2.htm

今回この記事をあえて取り上げたのは、私にとって、身近に「消えた子供」がいたからです。

昨年、教会学校に、片親がフィリピン人の小学生の女の子が通うようになりました。
複雑な家庭事情があったようでした。Aちゃん、と仮に呼びましょう。
Aちゃんに最初会った時は、大人びた顔で、笑顔を見せることはありませんでした。
Aちゃんは教会学校に何度も通うようになり、
私や他の子たちと一緒に遊ぶうちに、子供らしい笑顔を見せるようになりました。
しかし、いつの間にか、教会学校に来なくなりました。
私は教会学校で発行しているニュースレターを、郵送でAちゃんの家に送りました。
すると・・・
最後に会ってから2ヶ月も経っていないのに、なぜか、差し出した郵便が、
あて所に尋ねあたりません」で戻ってきました。
その前月にもニュースレターを送りましたが、戻ってきませんでしたので、
その時は、きちんと届いていたのでしょう。
教会の外国人グループにも聞いてみましたが、
残念ながら、Aちゃんとその家族の転居先の手掛かりは見つかりませんでした・・・
(もちろん、必死になって捜そうと思えば、もっと手はあるはずですが・・・)
北海道のどこかにいるのか、日本のどこかにいるのか、
それとも遠い異国にいるのか、わかりませんが、
Aちゃんが無事でいるのを祈るばかりです。
(このケースが、「不明小中生」に入っていないことを願いたいです。)

先ほどの(上)の記事には、さいたま市教委の原因推測が書かれています。

市教委は、DVなどで母子で身を隠した▽借金などのため一家全員が夜逃げした▽保護者が子供を連れて出国した-の「いずれかではないか」と推測するだけだ。

その一方、教育委員会や学校からは、警察に相談や捜索願は出されないそうです。
いじめ問題と同じく、「事なかれ主義」を貫き、保身を図るつもりなのでしょうか?
不明の小中学生が何万人もいるわけでもないのに、
初歩的な統計ミスや杜撰な報告をするのは、怠慢以外の何者でもありません。
ミスと杜撰の神隠し」で終ってはいけないのです。
少なくとも、実態を把握するぐらいはきちっと仕事してほしいものです。

2011年1月20日 (木)

数字をどう読むかによって見えてくる現実は違う~「内向き志向」と言われる若者と日本の犯罪件数、就職氷河期

たとえば、1万円札を1枚持っていたとします。
これを「事実」とすれば、
「真実」は3通り(あるいは、それ以上)出てくるでしょう。
・1万円「」持って「いる」・・・客観的な事実
・1万円「」持って「いる」・・・肯定的な見方
・1万円「しか」持って「いない」・・・否定的な見方
「事実」は一つですが、それをどう解釈するかで、「真実」が違ってみえてきます。

1月19日のNHK・おはよう日本では、
ジャパンシンドロームを乗り越えろ③若者の内向き志向 “負の連鎖”を断て
という特集を放映していました。
なかなか興味深い内容でしたが、
ただ、この「ジャパンシンドローム」シリーズ、かなり無理があるようにも思えます。
相当裕福な家庭や、超優秀な若者にしかあてはまらないようなものを、
「日本の抱える問題」として無理やり提示しているように思えるからです。

番組中では、「若者の内向き志向」ということを如実に示す数字の一つとして、
日本人の海外留学生生数の減少を挙げていました。
08年に海外の大学などに留学した日本人の数は6万6833人。
前年比11.1%減、8323人減で、4年連続の減少となり、
減少幅は過去最高、と報道されていましたね。
だからといって、この数字をもって、
「日本の若者は内向き志向だ」と決めつけていいのでしょうか。

「東洋経済」オンライン版に、興味深い記事がありました。
日本人の海外留学生数は増加!若者は内向き志向にあらず」という見出しです。
http://www.toyokeizai.net/business/management_business/detail/AC/982429fb948bbed1b8190fd3849ffcba/page/1/
詳しくは記事そのものをぜひ読んでいただきたいですが、
若者全体の内向き志向が強まっているのではない。内向き志向を強めている若者が増加している一方で、海外志向も強まっている。即ち、海外志向の二極化が進んでいるのだ。「ゆとり教育を受けた草食系の若者が、内向き志向を強めている」というのは、いかにもありそうな話であるが実態は違う。
(記事から引用)
と、一般的に流布している俗説を、数字の見方を変えて見事に論破しています。

数字の見方、といえば、もう一つ。
「日本の治安は悪化しているか?」と問われたら、
たいていの人は、「凶悪犯罪が増え、治安が悪化している」と答えると思います。
しかし、実態はどうなのでしょうか?
先日、全国の警察が認知した刑法犯の数が発表されました。
実は、刑法犯の総数は年々減っている、というのが実態です。
(もちろん、性犯罪など部分的には増えているものもありますが・・・)
これについては、まず新聞記事自体を読んでみてください。
日本経済新聞2011年1月14日記事「刑法犯、23年ぶり低水準 昨年6.9%減の158万件に
(※記事はリンクできないようです。)
これを受けて、宗教法人「生長の家」総裁、谷口雅宣氏が、
実に適切なブログ記事を書いています。
日経新聞が日時計ニュース?
(2011年1月14日の記事です。「谷口雅宣 小閑雑感」で検索してみてください。)
一つの事実に対して、各新聞社で、違ったアプローチをしているのがわかります。
マスゴミは、とかく世の中を暗いものとして見たがりますよね・・・
データは一つなのに、暗い・否定的なものをことさら強調したがる悪い癖があります。

少し古い記事(2008年)ですが、
凶悪犯罪増加の誤解を解くページ」というブログの、
日本の凶悪犯罪は減少してます。」という記事はおすすめです。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/515564/
感情的・主観的に現象を見るのではなく、
客観的に、冷静に、数字を眺めてみると、
日本って、ホントはすばらしい安全な国である、というのを再認識できます。
マスゴミに踊らされて、「日本は危険な国」と思い込むから、
ますます人々の愛と善意は冷えていくわけです。
そろそろ、日本を悪く言い続けるのは、やめたいと思いませんか?

数字をどう読むかによって、見えてくる現実は違ってきます。
ここ数日間、新聞・テレビで大きく取り上げられている、
大卒の就職内定率は68.8%、過去最低で就職氷河期・・・という話題。
しかし、ちょっと考えてみてください。
100人中約69人は就職できている、ということですよね。
(話を単純化するため、100人という単位で考えてみます。)
残りの31人ばかりに目を向けていると、不満しか見えてきませんが、
就職内定が決まった大卒者が69人「」いるわけです。
「寄らば大樹の陰」的発想で、大企業ばかりに目を向けず、
本当に人材を必要としている中小企業などにも視野を広げれば、
大卒者の就職内定率だってもっと向上するはずです。

同じ現実を見るなら、肯定的に見たいものです。

2011年1月19日 (水)

報道STATION~【特集】理想と現実…新人教師の苦悩(2011年1月19日放送)

1月19日の報道STATIONで、
【特集】理想と現実…新人教師の苦悩を放映していました。
新聞の番組欄見出しで知り、興味を持って観ました。
番組HPから、放送内容を転載します。
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=10732

採用1年目の教師の退職者がここ数年急増している。厳しい採用試験に合格し、希望に満ちて立った教壇。そこで何が起きているのか。実は、新人教師には、初任者研修という研修が義務付けられている。1980年代に体罰やいじめが問題化したことで、教師の資質向上が叫ばれ、政府は初任者の研修を強化。さらに、1年間を仮採用期間とした。研修は、事務的なものから授業の進め方など多岐にわたる今では、校内で300時間、校外で25日間かけて行われる。さらに、研修後に必ず、報告書を提出しなくてはならない。新人教師は、毎日の授業の傍ら、この報告書の作成に多くの時間を費やしている。ある現役新人教師の1週間を追った。そこから見えてきたのは、希望を打ち砕く過酷な現状だった。

報告書作成や保護者対応に追われ、
帰宅していからも、教材作成に追われ、
悪戦苦闘している新人教師の姿をとらえていました。
自殺した新人教師や、精神疾患になった教師の数にも触れていました。

報告書作成が多すぎするのは問題ですね。
それとは別に、番組を観て気になった点・・・
算数の教材作り(黒板に貼る物)を、わざわざ手書きでやっていました。
手書きじゃないと、温かみがない、などと「指導」されたそうです。
こんなところに、時間をかける必要が、本当にあるのでしょうか?
周りの教師たちが、教科書を使わないで、貼り物やら手製プリントを使うと、
やる気がある教師、とみなしているのではないでしょうか?
教科書を、教科書どおり教える、という事が、
当たり前になるなら、余計な貼り物を作成するのに費やす時間を省けるし、
「エコ」にもつながるのではないでしょうか。
報告書や保護者対応以外にも、結構ムダが多いから、時間が足りないのでしょうね。
あと、将来的には、小学校においても、教科担任制を導入すべきでは、とも思います。

番組では、精神的に追い詰められていた新人教師が、
仲間に悩みを打ち明け、支えができたことによって、
なんとか未来に希望が持てそうかな、というところで終わります。
ぜひ、この新人教師さん、がんばってほしいものですね!

女性教諭、児童の両親提訴~埼玉県での事例

読売新聞夕刊に、こんな記事がありました。
女性教諭、児童の両親提訴…抗議連続で不眠症」(2011年1月18日)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110118-OYT1T00438.htm

埼玉県内の市立小学校の女性教諭が、担任の女児の両親から繰り返しクレームを受け、不眠症に陥ったとしたとして、両親に慰謝料500万円を求める訴訟を、さいたま地裁熊谷支部に起こしたことが分かった。
(記事冒頭を引用)

MSN産経ニュースでは、同じ事件を少し違った角度で報じています。
「嫌がらせで不眠症」小学教諭が児童の両親提訴 親から「最低の先生」と…埼玉
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110118/trl11011812180030-n1.htm

J-CASTニュースでは、教育評論家によるコメントも載せています。
モンスターに反撃始めたのか 先生が保護者を訴える異常事態 (J-CAST)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_monster_parents__20110118_4/story/20110118jcast2011285828/

時事通信のニュースでは、
さらに、教諭が給食指導中に児童の背中に触れただけで、暴行容疑で県警に被害届を提出したという。
という一文もあります。事実だとすれば、かなり異常です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110118-00000042-jij-soci

比べて読むと、少しは立体的に事件をとらえることができるはずです。
まずは記事そのものをお読みください。
そういえば、この事件、18日夕方の民放TVニュースでも報道されていました。

上記の記事で読む限り、教師が保護者を訴えたのは、
少し残念ですが、やむをえなかったことなのではないかと思います。
(500万円の慰謝料、というのが妥当かどうかはわかりませんが・・・)

みなさんは、この事件、どう思いますか?
教師が児童の両親を訴えて裁判なんかするべきではない、という意見がある一方、
当然、裁判すべき、という意見もあるでしょう。
教師がメンタル的に弱すぎるのでは、という見方ができるかもしれません。
一方、教師だって一人の人間です。
罵倒され続ければ心が傷つき、病んでしまいます。
世の中、残念ながら、愛と善意だけではどうしようもない事もあります。

私としては、裁判を始めたからには、
ぜひ教師側が裁判に勝訴してほしいと願っています。
理不尽な親からの要求に、きっぱりと「NO!」といえる公立学校になってほしいからです。
(ただ・・・そもそも、裁判沙汰にならないような手はなかったのでしょうかね・・・)
サービス業の論理である「お客様は神様です」的な発想は、
公教育にはあてはめるべきでない、と考えます。
「クレームを言った者勝ち、ごね得勝ち」など許さない社会を、
教育の場から実現してもらいたいものです。

(追記)
テレビ番組で、保護者側からのICレコーダーでの録音が公開された、
という情報提供をいただきました。
情報提供には感謝いたします。
しかし、その文面からのみ判断しますと・・・
教室に、ICレコーダーを持ち込んで密かに録音していた、という自体が、
異常さを物語っている、と思わずにはいられません。
教師にも、非はあったのかもしれませんが、やりすぎでは、と思います。
私は裁判官ではありませんので、どちらの言い分が正しいのか、
真実はわかりません。裁判所の判断を待つばかりです。
「教師の方に問題がある!」と思われる方もいらっしゃるはずです。
そう思われるのは自由です。
判断はご自身でお願いします。

2011年1月18日 (火)

NHK・名曲探偵 アマデウス「ヴェルディ“レクイエム”」

今回の「名曲探偵」は、ヴェルディの「レクイエム」でした。
番組内のドラマは、いつになくシリアス調でした。
なかなかよかったと思います。
別の番組みたい・・・
(ちゃんと、ラストシーンでは、コミカルに戻りましたが・・・)
音楽の構造や壮麗さを再認識することができました。
テナーの方が結構すばらしい美声を披露していましたね。

ヴェルディの「レクイエム」といえば、
死人もびっくりして起き上がってくるのでは、と思えるほど激しい「怒りの日」の部分が有名ですね。
三大レクイエム(他はモーツァルト、フォーレ)の中で、一番知られている曲といえます。
「怒りの日」の冒頭は、バラエティ番組やドラマ、CM(たしか、タイヤだったかな・・・)、アニメ・・・
いろいろな場面で効果的に使われており、たぶん一度は耳にしたことがあるはずです。
長野パラリンピック(だったと思いますが・・・オリンピックの方?)でも、
アトラクションのところで使われていて、びっくりしたことがあります。
暴力的な響きで、一度聞いたら忘れられないですよね・・・

私はショルティ指揮VPOのCDを2度も買ったことがありますが、
結局、好きになることはできませんでした。
(今は手元にありません。)
激しすぎる曲ですね・・・
宗教曲の衣をまとったオペラのようです。

ところで、「怒りの日」の部分は、はたして、聖書的・信仰的といえるのでしょうか?
死後の不安を煽るようなテキスト・・・
実は、当のカトリックでも、第二ヴァチカン公会議以降は、葬儀ミサにおいて、
「怒りの日」は省かれるようになっています。福音的な進歩といえましょう。
モーツァルトやヴェルディなどによる、レクイエムにおける「怒りの日」は、
既にコンサートホールだけのものです。

従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
(新約聖書ローマの信徒への手紙8:1新共同訳)
これが、クリスチャンの確信です。

「怒りの日」の中で主に哀願する哀れな信者のようになる必要はありません。
最後の審判と地獄の業火におびえる信仰は、
中世の教会の歪んだ信仰の産物にすぎないのです。
(もっとも、プロテスタントでも、そういう信仰が今も続いているところが多々ありますけど・・・)
「救われた!」という確信こそ、聖霊様と共に歩んでいることこそ、
おどろおどろしい終末論を超えた天の壮麗な世界を見る鍵です。
死んでから天国に行けるかと不安になるよりも、
今、ここで、天国への道を歩み続ける方が幸いなのです。

また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。
「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」
“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。
その行いが報われるからである。

(新約聖書ヨハネの黙示録14:13新共同訳)

2011年1月17日 (月)

NHK・おはよう日本(2011年1月17日放送)~特集・シリーズ 「ジャパンシンドロームをのりこえろ」(1) 老後の安心で経済に活力を

朝から、なんとも寒々とした、むなしい光景を見せつけられました・・・

NHKの「おはよう日本」で、特集として、
シリーズ『ジャパンシンドロームをのりこえろ』(1)老後の安心で経済に活力を
というのが放送されていました。

特集冒頭では、都内のマンションに住む、
ある独り暮らしの高齢女性の年越しの様子が映されていました。
紅白歌合戦を一人テレビの前に座って、カップラーメンをすする寂しい光景・・・
彼女は貯金が5000万円あり、年金として月25万円もらっている、とのこと。
高級そうな毛皮のコートを着て、近所で買い物する様子も映し出されました。
一見すると、安泰な老後、としか思えませんが、
そんな彼女の口から、「老後(この先)が不安・・・」というつぶやきを聞きました・・・
「・・・・・・・・・」唖然とするしかない発言でした。
こういうレベルの人で、「生活が不安」と言ったら、
今ぎりぎりの生活をしている人などは、どうすればいいのでしょうか?
哀れを通り越して、滑稽とさえ思えました(ゴメンナサイ・・・)
クリスマス・キャロル』のスクルージさながらです。
ちょっとこれは極端な例なので、NHKは、
もっと一般的な例を挙げるべきではなかったか、と思います。

特集においては、高齢者がどうしてお金を安心して使わないのか、
その原因として、「つながり」の希薄化を挙げていました。

日本では貯蓄が消費にまわらないので、
不況が長引いています。
政治不信や社会保障への不安、つながりの希薄化(無縁社会化)などで、
高齢者の財布の紐をゆるめることができないようです。
そのうち、「オレオレ詐欺」に引っかかったりと、
結局「死に金」となってしまうことが多いみたいです。

日本の景気回復は、貿易ではなく、内需拡大しかないと考えています。
精神科医の和田秀樹氏のように、相続税100%化せよ、とか、
財産をもっと生前に使い果たすのを奨励する制度・生き方が必要ですね。
人生を楽しむ生き方を知らずして、お金だけ貯めこむのは、悲惨です。
全国の「タイガーマスク」さん達のように、
人を助けたり、喜ばせたりする方にお金を使うなら、なおすばらしいことでしょう。

今回の特集を見て、旧約聖書の「富」に関する御言葉を思い起こしました。

ある人に神は富、財宝、名誉を与え、
この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。
しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、
他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ。

(旧約聖書コヘレトの言葉6:2新共同訳)
財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは
乏しくても主を畏れる方がよい。

(旧約聖書箴言15:16新共同訳)

ところで、「ジャパンシンドローム」って、何?という疑問がありますね。
最近出来た造語で、
人口減少からくる負のスパイラル(経済的窮乏化)」だそうです。
NHKが熱心に「布教」しているようです・・・

題名のない音楽会~ひかりの国からぼくらの国へ~ウルトラマンがやってきた!(BS朝日では2011年1月15・16日放送)

ウルトラマンがオーケストラを指揮!
実におもしろいシーンを観ることができました。

クラシックの長寿番組「題名のない音楽会」で、
ひかりの国からぼくらの国へ~ウルトラマンがやってきた!」と題して、
ウルトラマンシリーズの主題曲などをオーケストラ演奏していました。

番組中の白眉は、交響詩「ウルトラセブン」からの抜粋演奏でしょう。
作曲者である冬木透氏臨席のもと、
オケが勇壮で重厚なメロディーを奏でており、
「ウルトラセブン」抜きでも純粋に音楽を堪能できる見事な作品に仕上がっていました。
司会者の佐渡裕さんがコメントしていたとおり、
まるでワーグナーの楽劇みたいな響きがありました。
映像を観ると、オケ編成はすごいものでした。
金管セクションは通常編成の数倍の厚み。
ピアノまでオーケストラの楽器として加えられていました。
冒頭の部分は、まぎれもなく「ウルトラセブン」そのものですが、
それ以降は、題名を隠せば、よほどのコアなファンでない限り、
「ウルトラセブン」の曲とはわからないのではないでしょうか。
子供向けだからといって、手を抜かない本格的な作りだったからこそ、
何十年も親しまれる作品となったのでしょうね・・・

なお、番組の公式ブログで、指揮者の佐渡裕さんが、
今回放送時のコメントを書いています。
ウルトラマンやウルトラセブン、冬木透氏などのかわいらしい絵がステキですよ。
http://blog.tvasobi.jp/entries/view/daimei/11591

ちなみに、「冬木透」をウィキペディアで調べてみると、
蒔田 尚昊」という名に行き着きます。
蒔田尚昊(まいた しょうこう)氏が、映画・テレビの音楽を担当する時に、
「冬木透」という名を使う、とのことです。
さらに項目をみていくと、なんと讃美歌も作曲しているとは・・・
カトリック・プロテスタント問わず広く讃美されている、
ガリラヤの風かおる丘で」(讃美歌21・57、典礼聖歌388、新聖歌40)です。
私もこの讃美歌は何度も教会で歌った事があり、好きな讃美歌の一つです。
なんとウルトラセブンが讃美歌につながっているとは・・・

日本ではキリスト教人口は少ないですが、
いろいろな分野で、クリスチャン達が「地の塩・世の光」として活躍しているのですね・・・

2011年1月16日 (日)

北海道教育界の「黒船」となるか?~運動方針に「学力向上」・・・道商連(読売新聞北海道版2011年1月16日朝刊記事)

運動方針に「学力向上」・・・道商連
読売新聞北海道版に、こういう見出しの記事が載っていました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110115-OYT8T00841.htm

記事の概要は、
北海道商工会議所連合会は、2011年の運動方針として
「次世代を担う児童・生徒の学力向上など人材教育の充実」を加えたことを明らかにした。

というものです(記事冒頭を引用)。
短い記事ですので、詳しくは、本文そのものをお読みください。

北海道新幹線の延伸を!とかの主張ならともかく、
「学力向上」を、北海道商工会議所連合会(道商連)が道知事に協力要請する、
というのは異例というか、危機感の表れですね。
学力の地盤沈下が著しい北海道では、
このままでは優秀な人材を確保できなくなる恐れがある、ということですね。

未だに学力テストに反対する北教組がのさばる北海道の教育界。
魑魅魍魎や、はびこった蜘蛛の巣を、
ビジネスの論理で、思い切ってきれいにできればいいですね・・・
「鎖国」状態さながらの北海道教育界の「黒船」になってほしいものです。
道内を14地域に分けた総合振興局・振興局ごとに、
学力テストの平均成績を競わせるとか、いろいろできることはあるはずです。

2011年1月15日 (土)

「世の光」としての教会~NHKBS1・関口知宏のオンリーワン「命のSOS!自殺志願者を救え~和歌山県・白浜町」(後編)(2011年1月15日放送)

闇夜に輝く教会の十字架は、本当に、「世の光」となっていました・・・

NHKBS1の「関口知宏のオンリーワン」という番組で、
命のSOS!自殺志願者を救え~和歌山県・白浜町」(後編)を1月15日に放送していました。
前編は先週放送していましたが、私は最後のところだけ観ただけで見逃してしまいました。
それでも、今回(後編)だけでも十分満足できました。
白浜バプテスト教会の藤藪庸一牧師と、
自殺防止に取り組むNPO法人・白浜レスキューネットワークの取組を紹介していました。
(藤藪庸一牧師が白浜レスキューネットワークの理事長も兼ねています。)
白浜といえば、有名な三段壁があり、自殺が多い場所としても知られていますね・・・
(だいぶ前に、観光で1度行ったことがあります。)

NHK番組表HPから、放送内容を転載します。


年間350万の観光客が訪れる和歌山県白浜町の三段壁には、自らの命を絶とうとする自殺志願者もやって来る。その命を救おうと立ち上がったのが、藤藪庸一さん。断がいに「いのちの電話」の看板を立て、自殺志願者を保護。共同生活を通じて社会復帰を目指す活動をしている。保護したのは、400人以上。24時間対応の電話は、月200件に上ることもある。自殺志願者と真しに向き合う藤藪さんの活動に関口知宏が迫る。後編
(※前編も同じ見出し。後編→前編となっているだけ。)


番組では、三段壁で自殺をしようとして思いとどまった人たちを教会で保護して、
社会復帰を目指す取組を紹介していました。
夜には教会の会堂が宿泊所となっていました。
番組内ではキリスト教色を出すところはほとんどありませんでしたが、
会堂の中にある十字架と、闇夜に輝く教会の十字架が、
無言ながらも力強く、「世の光」としての教会を証していました。
ここにホンモノの生き方、真理がある!
凡百の説教よりも、生きた教えがあります。
NHKでこういう地道な活動を取り上げてくれたのは、実にうれしいことです。

番組中では、昨年1年間だけで、
白浜レスキューネットワークが自殺を思いとどまらせた人数が紹介されていまいた。
その数、なんと93人・・・
それにしても、自殺志願者数と、自殺者数の多さには、心が凍る思いです・・・
昨年の日本での自殺者数は3万2千人以上。
静かな「戦争」が20年も続いている、異常な状況は、いつになったら終わるのでしょうか?

番組中で紹介されていた藤藪牧師の取組ですばらしいな、と思ったのは、
社会福祉士や警察など、地域との連携で自殺予防に取り組んでいることです。
教会だけで抱え込まず、地域と協力したからこそ、実を結ぶ取組になったのでしょうね。
そういう姿勢もすばらしく、同様な取組を始めようとする教会のモデルケースになるものでしょう。

藤藪庸一牧師は、昨年の11月に、この取組についての本を出版しています。
「自殺志願者」でも立ち直れる』(講談社)という本です。
私は今回この記事を書くに当たって初めて知りましたので、
まだ読んでいませんが・・・

【送料無料】「自殺志願者」でも立ち直れる

わずか20分ほど(前編を入れても40分ほど)の番組ですが、
キリスト教を静かに、しかし力強く証する番組に仕上がっていました。
白浜バプテスト教会のHPは、以下です。
http://www.aikis.or.jp/~fujiyabu/
白浜レスキューネットワークのHPは、以下です。
http://www.aikis.or.jp/~fujiyabu/nrsv1.htm

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

(新約聖書マタイによる福音書5:14~16新共同訳)


余談ですが・・・
同じ夜に、NHKBShで、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂とミケランジェロについて、
1時間半の番組をやっていました。
絵画ファン、西洋史ファンには見ごたえのある番組といえましたが、
ローマ教皇自ら戦争をしたり、免罪符を売って金儲けをする姿は、
教会の姿として、ひどいものでした。
決して「世の光」とはいえませんね・・・
(もちろん、これは中世の話ですが・・・)

2011年1月14日 (金)

NHKBS1・BS世界のドキュメンタリー「<シリーズ グローバル化する食>続・食いしん坊がゆく! 汗と涙と養殖エビ」(2011年1月13日深夜放送)

エピを通して、世界が見えてきました・・・
NHKBS1の「BS世界のドキュメンタリー」で、
<シリーズ グローバル化する食>続・食いしん坊がゆく! 汗と涙と養殖エビ
という番組を放送していました。
寝る前に、なんとなく適当にチャンネルを選局していたら、
たまたま放送しており、思わず見入ってしまいました・・・
(おかげで、寝る時間が遅くなったのは、言うまでもありませんね・・・)

番組HPから、放送内容を転載します。


「安くて便利な」食品に慣れ親しんだイギリスの若者6人が、アジアの生産現場を体験するシリーズの続編。
今回 彼らが連れて行かれたのは海ではなく、インドネシアのジャングル。現地の作業員たちと同様、水道もベッドもないバラック小屋で寝泊まりし、エビの養殖池に腰まで浸かってひたすら泥をかき出す重労働を命じられる。慣れない作業にメンバーは四苦八苦しながらも頑張るが、監督は彼らの仕事ぶりが遅いと不満の様子。若者たちは養殖池の維持にどれほどの労力がかかっているかを実感する。
次に6人はエビの水揚げと出荷作業で充実感を味わうが、それも束の間、次の日の早朝にはエビを工場へと運ぶ。そして自分たちの重労働に対して支払われる金額が、いかに少ないかを知る。さらに彼らは工場でエビの皮をむく仕事を8時間続けることに。3秒に1尾むき、エビが少しでも傷んではいけない。それがイギリスの消費者の要求だからだ。あまりの厳しい指導に彼らは人間らしい扱いを受けていないと激怒するが、それこそが消費国が彼らに要求していることだと痛感する。


実は、この番組には「前編」があるのですが、私は観ていません。
食いしん坊がゆく! ~汗と涙とツナ缶と~」という題です。
こちらも番組HPから転載します。
今回観た番組の出演者の背景がうまくまとめられています。


ファスト・フードやレトルト食品が大好きなイギリスの若者6人が、おなじみの食品であるツナ缶が生産されているインドネシアの現場を訪れ、作業を体験しながら「安くて便利」な食品がどのように作られているのか、その実態を目の当たりにする。
旅に出るのは20代前半の男女。家庭の味よりもハンバーガーやフィッシュアンドチップスなどのファスト・フードが大好きなマノス、本当は料理人になりたかったという料理好きな銀行員ジョシュ、できるだけ原型を止めない加工食品しか食べないというジェスなど。みんな、自分たちが日々食べているものがどこで、どのように生産されているかということに何の関心もない。
インドネシアではツナ缶工場の従業員の自宅や寮に住み込み、工場で魚をさばく作業を行う。作業場は高温多湿で魚の臭いが立ちこめ、仲間の一人は気を失ってしまうほど過酷。メンバーの一部は漁も体験。狭い船内に12時間もすし詰めにされて漁場に着き、長時間の重労働をこなしても、漁師たちの賃金はわずか7ポンド(約950円)と聞いたマノスは、自らの食べ物についての考え方を恥じる。同じ頃、ツナ缶工場で働いた賃金を受け取ったジェスたちもその少なさに驚き、「安い食べ物」の実態について考え始める。


さて、今回観た「続・食いしん坊がゆく! 汗と涙と養殖エビ」の方に話を戻しましょう。

番組は、イギリスで快適な生活を送る20代の男女各3人ずつが、
インドネシアでエビの養殖・加工を現地の人と一緒に働きながら体験する、というものです。
エビの養殖池で、高潮の被害を防ぐために、池の中の泥を使って堤防を作ることを命じられたり、
エビの加工工場で、朝から晩までエビの殻向きをしたり・・・
かなり過酷な労働体験を強いられます。
しかも、賃金は現地の人とまったく同じ。

堤防作りのところは、何日も、朝から晩まで泥まみれになって働いて、
得たのはたったの数百円(日本円換算)・・・
許可を得て、マックで昼食を買うと、あっという間に汗と涙の賃金は、消えてしまいました。
実際に体験した若者達はもちろんのこと、視聴者も、
賃金格差の問題を考えずにはいられません。

エビの殻むき工場では、ついにあるメンバーが反抗的な態度を取る始末。
機械のような速さと正確さを求められる工場で、人間らしく扱ってほしいと要求しますが・・・

番組では1週間の期間限定の体験だから、地獄のような日々が終れば、
また快適なイギリスに戻ることができます。
しかし、現地の人は、おそらくその仕事をずっと続けるのでしょう。
スーパーで1パック何百円で売られるエビ。
そのエビが、食卓にあがるまでに、たくさんの人の苦労があるのです。
番組では環境破壊の問題についてはあまり触れられていませんでしたが、
そこまで扱うと、かえって若者たちの苦労が観念化してしまうので、
さんざんな目にあった、というところでとどめてよかったと思います。

我が家では、冷凍のエビ(ブラックタイガー等)を買う機会はあまりありません。
それでも、今後スーパーで冷凍エビを見かけたら、
今までとは違った目で見るかもしれませんね・・・

エビの養殖の実態については、新書の中で「古典的」な位置を占めるようになった、
村井 吉敬氏の『エビと日本人』、『エビと日本人2』(岩波新書)があります。
こちらは環境破壊とかの問題も詳しく論じています。
興味のある方はぜひお読みください。

エビと日本人

【送料無料】エビと日本人(2)


番組とは直接関係ないですが・・・

TPPに参加することを日本政府は目指していますね。
マスゴミも自動車メーカーなどの産業界の後押しで、
歓迎ムードです。
しかし一方、農業は壊滅的な打撃を受けます。
自動車やテレビは食べることはできませんし、なくても生活できますが、
食がなければ、生きていくことはできません。
食料自給率を軽視して、貿易だけを優遇するあり方は正しいのでしょうか?
(私は専門家ではないので、あまり詳しく論じられませんが・・・)
万が一、周辺有事があった場合、兵糧攻めにあうかもしれません。
他国に食糧供給を依存しすぎるのは、独立国家とは言いがたいですね。

日本の食文化と食のあり方を見直し、支えるために、
小学生か中学生の授業として、
全員に農業体験を年に1、2週間ずつ、
教育の一環として行ってはいかがでしょうか?
「教育」という形で、日本の農業を保護するわけです。
農村の活性化にもつながりますし、
新規雇用も創出できるのではないでしょうか?
子供達の農業体験が、「もったいない精神」を喚起し、
ムダに捨てられる食料品や食べ残しも大幅に減るでしょう。
農業を愛する人がもっと増えるかもしれません。
行事としてつぶれるか、息抜き程度で終る
「総合的な学習の時間」を有効活用できるチャンスかもしれません・・・

参考までに・・・
タイムリーでおもしろうそうな本です。まだ読んでいませんが・・・
『TPP反対の大義』(農文協)です。
詳細は、以下で。
http://an.ruralnet.or.jp/?p=516

【送料無料】TPP反対の大義

日本でも、配偶者をほめることが当たり前になるように・・・

NHKの「クエスタ」というクイズ番組を観ていたら、
ゲストとして、俳優の市村正規さんが出演していました。
クイズ回答者のタレントさんたちが、市村さんに、いろいろ質問する場面がありました。
(質問をして答えを導く、という変わったクイズ番組なので・・・)
「奥さんのどこが好きですか?」という質問に対して、
市村さんは、実にセクシーな口調で、「エブリシングeverything・・・」と答えていました。
実に・・・いいですね~
ちなみに市村さんは現在61歳。奥様はソニーのCMでおなじみの篠原涼子さんです。
まさに、「ごもっとも!」な発言です。

日本では、伝統的に、自分の妻(あるいは夫)をほめる習慣がありませんね。
他人に家族を紹介するとき、照れくさそうに、
「ウチの愚妻です。」とか、「ウチの愚息です。」などと、身内を貶めるのが通常です。
古くは、江戸時代の学者、貝原益軒が『和俗童子訓』にて、
人に三愚あり。我を ほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」と書いています。
(もっとも、貝原益軒以前からあった言葉なのでしょう。)
妻や子を人前でほめるのは、愚かなこと、と現代でもみなされていますね。

しかし私は思うのです、
なにも篠原涼子さんのような美女でなくても、
妻を(夫を)ほめることが、日本でも当たり前になってほしい!と・・・
もう若くなくても、結婚した時とは体型が変わっていても、髪の毛が薄くなっても・・・
世界でたった一人の、かけがえのない愛する人・・・
愛の奇蹟ですよ!

いつも読んでいる水谷潔牧師のブログで、先日とてもすばらしい記事がありました。
家族にとって一年で最も大切な日は?」(2011年1月11日)という題です。
この記事を読む前に、タイトルを読んでまず自分なりの答えを考えてから読むといいでしょう。
(記事については、ぜひ「小さないのちを守る会」HPからアクセスしてください。)
家族の中では、親子関係よりも、夫婦関係の方が比べ物にならないほど大事です。

私も、番組を観た後で、妻に、「君のどこが好き?・・・everything!」とマネしてみました(^-^;

旧約聖書の「箴言」を締めくくる31章では、見出しに「有能な妻」というのがあります。
ぜひ、箴言31章10節から最後までをご一読ください。
有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。」(箴言31:10新共同訳)
あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。」(箴言31:30新共同訳)
妻にささげる美しい言葉です。

妻を、夫をほめる言葉を、シャワーのようにお互いに浴びせ続けたら、
家庭は円満になるし、世の中はもっと幸せな人々が増えるでしょうね・・・

2011年1月13日 (木)

NHK・おはよう日本(2011年1月13日放送)~特集「広がる“庶民コレクター”  ~映画 ハーブ&ドロシー~」

朝から、実にすがすがしい生き方を垣間見ました・・・
2011年1月13日早朝の、NHKニュース「おはよう日本」で、
広がる“庶民コレクター” ~映画 ハーブ&ドロシー~」という特集を報道していました。

ハーブ&ドロシー』は、実在する現代アートコレクター、
ハーブ&ドロシーのヴォーゲル夫妻を追ったドキュメンタリー映画です。
現在(2011年1月)、東京などのミニシアター系の映画館で、上映中です。

ハーブ&ドロシーは、公務員生活(といっても、高級官僚ではありません。)を長年続けながら、
現代アート作品を長年コツコツとコレクションし続け、
新婚当初から住み続けている小さなアパートには作品があふれるほど・・・
コレクションの中には、億単位の値段がつくようになった作品も出てきました。
そういう作品を1枚でも売れば、大金持ちになることもできたのに、
夫妻は絵画を売らず、かえって全作品をさまざまな美術館に気前よく寄贈しました・・・
そして、今も、細々と年金生活しながら、同じアパートで暮らしているそうです。
(詳しくは、映画のHPを御覧ください。
HPは、「ハーブ&ドロシー」で検索してみてください。)

番組では、映画を見て夫妻の生き方に共感し、
アートコレクションを始めた人や、日本版「ハーブ&ドロシー」のような人も紹介されていました。

普通、美術コレクターといえば、お金持ちの道楽、というイメージですね。
しかし、普通の庶民だって、ハーブ&ドロシーのようになることができるかもしれません。
所有するところまでは・・・

真似ができない・難しいのは、コレクションし、既にすごい値がついている作品を、
無償で手放すところでしょう。
特集の最後のところでは、そのところに触れていました。
美術館に貢献した人、というところに夫妻の名前が書かれているのを、
夫妻は見あげて満足している・・・
そこで映画は終わるそうです。
これこそ、「衝撃と感動のラストシーン!」というものでしょう。
短い特集の中でも、夫婦愛と純粋な美術愛、惜しみない心のすばらしさが伝わってきました。

金の亡者やエコノミック・アニマルばかりになった世の中だからこそ、
現代の奇跡の物語に共感を呼ぶ人が多いのでしょうね。
お金よりも、もっと名誉や家族愛が尊ばれる世の中になればいいですね。

アメリカ映画なのですが、監督は日本人の佐々木芽生(めぐみ)氏です。
経歴をみると、札幌市出身とのこと。現在はNY在住だそうです。

北海道では、4月に札幌の映画館で上映予定です。
機会あれば、ぜひ見たい映画です・・・
NHKさん、教えてくださり感謝です!

(おまけ)
私はまだその映画を観ていませんので、既に観た人の感想ブログも紹介します。
スペイン・ジュエリーのセレクトショップ、「モナド」の仕入れ担当の方が書いた記事です。
http://monad.txt-nifty.com/blog/2010/10/herb-dorothy-2d.html

ルターの教えよりも「藁の書簡」の方が大事~信仰と行いは切り離せない

関西で放送伝道を行っている、とある団体から、メールマガジンが来ました。
(あえて、引用元は明記しません。)
その中で、気になる一文がありました。特に下線部です。
新約聖書の構造について述べているものです。


聖書を読む場合、注意すべき点の一つに、聖句(テキスト)には軽重の差があるということです。もちろん「神の書葉」としての権威はすべてにありますが、それでも重要度に差があります。

宗教改革者Mルターが、ヤコブ書を指して「藁(ワラ)の書簡」と評したことは有名ですが、それを主イエスの教えやパウロの手紙などより重視することは間違いだという意味です。

最も大切なのは主イエスの言動と教えです。次は、信仰の教えの基礎となるパウロの手紙です。その他の手紙と黙示録とは、それらに矛盾しないように理解し、実践する必要があります。


プロテスタント的に言えば、間違ったところはないのでは、と思うかもしれません。
しかし、下線部から判断すれば、結局ルターとか他の説教者が述べた事が、
聖書よりも権威があることにならないでしょうか。
私にとっては、ルターの教えよりも「藁の書簡」と評された「ヤコブの手紙」の方が大事です。
たぶん、上記の文章は、キリスト教入門の方向けに書かれたものなのでしょう。
そういう意味では、概ね正しい記述といえます。
しかし、わざわざ「ヤコブの手紙」を貶めるような記述をする必要はあったのでしょうか?

使徒パウロは「律法の行いによっては神には義(正しい者、合格点)とは認められない」
とは主張していますが、
プロテスタントで否定的に使われる意味での「行い」を決して否定していません。
行いを強調する「ヤコブの手紙」や、
使徒パウロの教えを曲解しないようにと勧める「ペトロの手紙Ⅱ」が書かれたのは、
初代教会の頃から、
信仰があれば行いはいらない」と勘違いする人が多かったからでしょう。
さらに時代がくだって、宗教改革以降になると、
本来「律法の実行によっては義とされない」(ローマ3:20、ガラテヤ2:16)が、
行いは不要」と短絡的に片づけられてしまいました。
キリストの教えも、手が全く届かない精神論と化してしまいました。

カトリックでは、「信仰と行いによって救われる」と考えますが、
私は、どちらかというとウェスレー的な考えをとります。
信仰は行いによって全うされる」と。
信じていれば、行ないが伴うはずです。

ウェスレーの研究家として知られる、インマヌエル高津キリスト教会牧師の藤本満氏は、
アナロギア・フィデイとウェスレーの神学原則」という神学論文において、


外側の実質を修練によって培うとき、内側の信仰は強められる、すなわち「信仰は行いによって全うされる」(ヤコ2:22)というのが、ウェスレー神学である。*28 行いを通して、信仰はさらに強められる。律法は常に人の罪深さ、無力さを指摘する要因となり、人はより密接にキリストの福音に信頼するように導かれ、その結果、福音から律法を全うする力を受けるという。このように、律法は人を福音へ導き、福音は人を律法の成就へと導く。*29

と述べています。(※ *28、29は原注)
(詳しくは、下記を御覧ください。かなり長くて難しいですが・・・)
http://www.tkchurch.com/spboard/board.cgi?id=treatise&action=view&gul=5&page=1&go_cnt=0
信仰と行いは切り離せない、と考えるべきでしょう。
ちょうどそれは、幼虫が成虫になるような、性質の変化を伴うもの、ともいえます。

使徒パウロの言葉で締めくくります。
キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
(新約聖書ガラテヤの信徒への手紙5:6新共同訳)
たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
(新約聖書ガラテヤの信徒への手紙6:9新共同訳)

2011年1月12日 (水)

「模倣犯」ならぬ「模倣善意」の前に・・・おすすめブログ記事「全国の伊達直人さんへ」(釧路キリスト福音館・山形牧師)

ここ数日、新聞やテレビのニュースで、珍しく、善意のニュースがトップを飾っています。
全国各地で、「タイガーマスク=伊達直人」なる方々から、
児童福祉施設等に善意の贈り物が続々と届けられている、というニュースです。
これについて、本当は、「模倣犯」ならぬ「模倣善意」なら大歓迎、
というような記事を書くつもりだったのですが、
釧路キリスト福音館の山形牧師のブログ記事を読んで、
「ちょっと待てよ・・・」と思わされました。
全国の伊達直人さんへ」という1月11日付の記事です。
http://yamagata.fukuinkan.sunnyday.jp/?eid=1582211

山形牧師は、ご自身の児童養護施設体験から、
贈られる側(施設の子供達)の生活と心理を、まず理解してほしい、と要請しています。
ある特定の子達だけに贈られると、かえって贈られた子のいじめられる原因になるとか・・・
山形牧師は決して善意を否定しているわけではありません。
プレゼントというものは、贈られる側の立場もちょっと考慮しては・・・と述べているだけです。

新聞やテレビで、凶悪犯罪よりも、こういう善意のニュースが出る日々が続けばいいな、
と私も思います。善意の輪がもっと全国に広がり、「親切ブーム」みたいのが起きれば、
日本だって幸せな国になると思います。
聖書にも、
施すべき相手に善行を拒むな あなたの手にその力があるなら。
(旧約聖書 箴言3:27新共同訳)という言葉があります。
そういう力があるなら、善を行うのをためらわない方がいいのかも・・・
ただ、新聞やテレビで報道される限り、相手の立場よりも、
「善行が報道される」という快感が中心になっているのでは、
と思えるようなのがいくつかありました。
贈られる側に、本当に喜ばれるものなのか、というのも、考慮していただきたいものですね。

ちょっと脱線しますが・・・
たとえば日本の子供達が、
アフリカの貧しい国に、「千羽鶴を贈ろう!」と考えたとします。
千羽鶴をたくさん作り、アフリカまでの運送料の募金を募り、
実際に贈ったとします。
果たして、贈られた側は、喜ぶでしょうか?
受け取る側としては、生きるか死ぬかの瀬戸際に立つような貧しさで、
食料や医薬品とかならぜひ欲しいののに、
きれいだけど実用的ではない千羽鶴など、かえってがっかりするのではないでしょうか。
贈る側は善意でも、贈られる側は善意と受け取れない場合もありますね。


山形牧師の記事の最後の方には、こんな一文があります。
全く同感です。


施す人の心の中に
少しでも
「私に感謝してもらいたい」
「ありがとうって言って、もらいたい」
という気持さえも起こらない
そんな領域の
施しの善意が
この日本に広がるならば
素晴らしい思いますね。

こんだけしてやっているのに
なんでありがとうの一つもないのか

というような
善意の押し付けという
風潮がなくなればいいなあと思います。


(追記)1月12日の読売新聞朝刊にて、
1人目はタイガーマスク世代?善意の連鎖反応」と題した記事の最後に、
こういう文章があります。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110112-OYT1T00110.htm

大規模災害などでは、多くの善意が寄せられる日本。中央大の山田昌弘教授(53)(家族社会学)は「見知らぬ人を助ける日常的な『寄付』の文化は希薄だったが、徐々に浸透しており、今回の盛り上がりもその流れの中にあるのではないか」と見る。

 ただ、評論家の大宅映子さん(69)は「一過性のブームで終わると、ただ良かったね、というだけの話になってしまう」と懸念、「助け合いを社会的に定着させていく動きにつなげていくべきだ」と、寄付への税制優遇などのさらなる整備を提言した。寒風にどこへ行くのか伊達直人。

一過性のブームで終わらず、日本にも寄付の文化が根付くといいですね・・・


(おまけ)
産経新聞の【産経抄】1月12日では、
鳩山元首相に、「伊達直人」ならぬ「管直人」で、御母堂からの「子ども手当」を使っては?
などと皮肉たっぷりに書いています。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110112/plc1101120307002-n1.htm
皮肉効きすぎ、かな・・・

善意の贈物、ついには「本人なりすまし」やら、「タイガーマスク」をかぶって市役所に来るなど、
そろそろやりすぎが鼻につくようになっているかも・・・

2011年1月11日 (火)

NHKBSh・チネチッタの魂~イタリア映画75年の軌跡~(2011年1月4日・11日放送)

NHKBShで、1月4日(11日再放送)放送の、
「チネチッタの魂~イタリア映画75年の軌跡~」は、
イタリア映画史をテンポよくまとめた、実に興味深い番組でした。

映画監督の井筒和幸さんを旅人として、
イタリアのハリウッドとでも言うべき、ローマのチネチッタの撮影所をめぐって、
ロッセリーニ、ヴィスコンティ、フェリーニといった往年の巨匠や、
「ニュー・シネマ・パラダイス」、「海の上のピアニスト」のトルナトーレ監督など、現在活躍中の人、
そして、映画学校で学ぶ人々まで、チネチッタの魅力をあますところなく紹介していました。
小道具やセットなど、映画ファンならぜひ見たいようなところがかなり映されていました。
アメリカ映画の「ベン・ハー」は、実はローマのチネチッタで撮影されていた、
というのはオドロキでした。

NHK番組表から、放送内容を転載します。


欧州最大の映画撮影所「チネチッタ」。コンピューターグラフィックス合成映像全盛の米ハリウッドとは対極をなす、イタリア芸術の伝統を受け継いだ映画作りで知られる。フェリーニ、ヴィスコンティといったイタリア映画黄金時代の巨匠たちが、次々と名作を生み出してきた。映画監督・井筒和幸が“旅人”となり、チネチッタ75年の歴史と“夢の砦(とりで)”の秘密を解き明かし、マエストロたちの映画に賭けた“魂”を見つめる。


番組の中で一番多く出る映画は、名画『道』です。
確かに、イタリア映画の代表的な作品の一つですね。
『道』とフェリーニ監督を番組の核とした構成は見事でした。
イタリア映画の魅力をよく伝えた内容となっていました。
CG全盛時代であっても、職人・芸術家魂がチネチッタには残っているようですね。

あえて、余計かな、というのは、井筒監督の代表作『パッチギ!』を、
チネチッタ内の映画学校で上映し、井筒監督が質疑応答するところ、ぐらいでしょうか・・・
NHKは反日がお好きなのかな、というのがチラっと伺えた一コマでした。
そこ以外は大変満足の行く放送内容でした。

希望の讃美歌~「一羽の雀(心くじけて)」(新聖歌285)※midi付

自分なんて、生きている価値があるのか・・・
時々、自分が石ころよりも無価値に思えるような時はありませんか?
そういう時こそ、絶えず揺れ動く人からの価値づけではなく、
変わることのない永遠の愛で私たちを導いておられる、
神様に目を向けてみませんか?

讃美を通して、神様の愛が実感できるかもしれません。
今回は、「一羽の雀(心くじけて)」(新聖歌285・インマヌエル讃美歌500)を紹介します。
midiを作成しました。
「20110111_his_eye_is_on_the_sparrow.MID」をダウンロード

歌詞を味わってみましょう。
マタイ福音書のイエス様の御言葉、
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
」(マタイ6:26新共同訳)がベースにあります。

「一羽の雀(心くじけて)」 (新聖歌 285番)
1.
心くじけて 思い悩み
などて寂しく 空を仰ぐ
主イエスこそ わが真(まこと)の友
(折り返し)
一羽のすずめに 目を注ぎ給う
主はわれさえも 支え給うなり
声高らかに われは歌わん
一羽のすずめさえ 主は守り給う
2.
心静めて 御声聞けば
恐れは去りて 委(ゆだ)ぬるを得(え)ん
ただ知らまほし 行く手の道
(折り返し)


ちなみに、英語の原詩はこうです。
(ウィキペディアから転載)


一番
Why should I feel discouraged, why should the shadows come,
Why should my heart be lonely, and long for heaven and home,
When Jesus is my portion? My constant friend is He:
His eye is on the sparrow, and I know He watches me;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me.
リフレイン
I sing because I’m happy,
I sing because I’m free,
For His eye is on the sparrow,
And I know He watches me.
二番
"Let not your heart be troubled," His tender word I hear,
And resting on His goodness, I lose my doubts and fears;
Though by the path He leadeth, but one step I may see;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me.
三番
Whenever I am tempted, whenever clouds arise,
When songs give place to sighing, when hope within me dies,
I draw the closer to Him, from care He sets me free;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me.


His eye is on the sparrow, and I know He watches me.
神様がすべての悩みも不安もご存知です。ちゃんと見ていてくださいます。
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ5:7新共同訳)

2011年1月10日 (月)

クリスマスを舞台にしたファンタジー映画2作~「天使のくれた時間」&「素晴らしき哉、人生!」

遅まきながら、クリスマス映画の紹介です・・・

天使のくれた時間

ニコラス・ケイジ主演の「天使のくれた時間」という映画をDVDレンタルで観ました。
なかなか素敵なラブストーリーです。
愛ある家庭以外のすべてを手に入れている主人公が、
クリスマスの夜、不思議な青年との出会いを通して、
別な人生を体験する、という物語です。
豪華だけど寂しい自宅マンションのベッドで眠った主人公は、
目覚めると、13年前別れたはずの恋人と結婚して、2児のパパになっています。
仕事はタイヤ販売・・・ささやかで、庶民的な幸せばかりです。
何がなんだかさっぱりわからないけど、
主人公はだんだん新しい「現実」を受け入れていきます。
それでも、元の「現実」であるNYでの豪華な生活を何とか取り戻そうと努力していきますが・・・

映画を途中まで観ていると、たぶん「夢オチ」かな・・・というのは予測できました。
最後のシーンちょっと前は、ちょうど最初のシーンの裏返しです。
結末は、どうなるのか、「想像におまかせします」、というのが余韻があってよかったです。
夢オチとはいえ、夢で見た「現実」を自分の選択で実現しよう、とするところは、
安易な解決でなく、現実的です。

別の「現実」に行くきっかけとなる、割のあわない交換(価値がない宝クジを200ドルで買うところ)は、
実に象徴的なシーンといえましょう。
家庭愛以外のすべてがそろった生活と、
家庭愛はあるものの、豪華ではない生活、あなたなら、どちらを選びますか?
私なら、「愛がなければ、無に等しい」(聖書のことば)と考えますけど・・・
なお、この映画、原題は"The Family Man"で、直訳すれば「家庭人」、「家庭の男」。
日本語のタイトルの方がずっとロマンティックでステキですね。


素晴らしき哉、人生! [DVD]

「天使」がクリスマスに現われて、別な人生を見る・・・という映画といえば、
往年の名作アメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」があります。
この映画は、私にとっては今まで観た映画の中でも確実にベスト10の中に入ります。
冒頭で天使の声がしますが、天使が実際に出てくるのは、ラスト近くです。
クリスマスの夜に追い詰められて自殺を考えようとする主人公。
まず、その人のこれまでの生涯が描かれます。
非常に感動的なエピソードが多数あります。
そして、物語は自殺をしようとする場面に戻ります。
天使が現われ、主人公の願いどおりに、その人がまったく存在しなかった世界を、
主人公に見せます。
この展開、意外さでは、数ある映画の中でも屈指のものではないかと思います。
ラストシーンはとても感動的で、タイトルどおり「素晴らしき哉、人生!」と叫びたくなります。
人生のかけがえのなさ、というのを強く感じさせる、非常にすばらしい作品です。

私やあなたが、この世にまったく存在しなかったとしたら・・・
映画の主人公のような立派な人物でなくとも、
きっとどこかで、いろいろな人の役にたっているはずです。


そういえば、昨年の日本での自殺者数は、またまた3万人を越えた、と報道されていましたね。
これは完全に、「静かな戦争」といえましょう・・・
ということで、自殺予防に役立つ本を紹介します。
新潟青陵大学教授の碓井真史氏が著した、
あなたが死んだら私は悲しい 心理学者からのいのちのメッセージ』(いのちのことば社)です。
著者は著名な心理学博士であり、クリスチャンです。
参考になれば幸いです。
http://astore.amazon.co.jp/usuimafumi-22/detail/4264028671

【送料無料】あなたが死んだら私は悲しい

2011年1月 9日 (日)

釧路から全国へ~超高齢社会 新しい“縁”をみんなで創ろう(1月9日付・読売社説)

1月9日(日)の読売新聞社説は、
超高齢社会 新しい“縁”をみんなで創ろう」と題して、
北海道の地方都市・釧路市でのユニークな取組を紹介していました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110108-OYT1T00943.htm
釧路市のNPO法人「わたぼうしの家」が週1回行っている、「地域食堂」についてです。

社説の要点は、
1.長寿社会になったが、地縁血縁が薄れて、孤立した高齢者が多くなった。
2.NPO法人「わたぼうしの家」の地域食堂の取組と効果
3.政治・行政の取組への提言
の3つです。
詳しくは、ぜひ記事をお読み下さい。
なお、読売新聞がなぜこの団体を取り上げたのかといえば、
昨年の「読売福祉文化賞」受賞団体だからです。

道東の地方都市・釧路市で、全国でも先進的な取組が行われている、というのは、
北海道民として実に誇らしいことです。
NPO法人「わたぼうしの家」については、「わたぼうしの家」で検索してみてください。
ブログもやっていますよ。
12月30日の記事「豊かさとは何だろうか?」は読んで考えさせられました。
http://pub.ne.jp/wataboushinoie/?entry_id=3391830

便利な世の中になった反面、人とのつながりが薄れた現代。
かといって、「三丁目の夕日」や「ゲゲゲの女房」、「サザエさん」の時代に戻るわけにはいかない・・・
答えは、一人ひとりが、優先順位をどうつけるか、なのでしょうね・・・

2011年1月 8日 (土)

NHK教育・スーパーオペラレッスン バーバラ・ボニーに学ぶ歌の心

NHK教育の「スーパーレッスン」シリーズ、といえば、
世界的なピアニストなどによるマスタークラスの様子を楽しむ事ができる、
実に贅沢で豪華な「趣味(実用)講座」です。
たまに視聴すると、なかなか面白いものです。
しかし、あまりにもレベルが高すぎるので、音楽大学在校生・出身者でないと、
ついていくのはまず無理でしょうね・・・
「趣味悠々」のレベルでもやっと、という一般視聴者には、夢のような話です。
それでも、超一流の演奏家・ダンサーはこういうところを見ている、
というのを知るには絶好の機会です。

2011年1月からの「スーパーレッスン」は、声楽です。
講師は、アメリカ出身の名ソプラノ、バーバラ・ボニーさんです。
レッスンを受ける人たちは、既にそれなりのキャリアを積んでいる人たちのようです。
プッチーニの「ラ・ボエーム」の曲を演じつつ歌わせ、発声のポイントなどを伝えていきます。

25分の短い番組の中で、レッスン生が最初に歌った時と、最後に歌った時では、
当然、声の輝きや歌い方に違いが出てきました。
的確な改善点の指摘は、なるほど・・・と思わせられました。
(一般のレベルからすると、最初に歌った時のレベルでさえ、実にうらやましいほどですが・・・)
少しは声楽をかじったことのある私ですが、
ほんのパン屑程度でも、最上級のレッスンのおこぼれをいただきたいと願いつつ、
見続けようと思いました・・・・

バーバラ・ボニーさんの歌声は、北海道のKitara(札幌コンサートホール)で聴いたことがあります。
声楽のコンサートとしては、今まで聴いた中でベスト3に入るくらいにすばらしいものでした。
コンサートのパンフレットにサインをもらい、今でも家のどこかで「お宝」として眠っているはずです。
この人のCDでは、R・シュトラウスとメンデルスゾーンの歌曲集がすばらしいです。
ピアノ伴奏版の「4つの最後の歌」を収めたCDは今でも持っています。
(もっとも、やはりピアノ伴奏版より、オケ版で聴きたかったな、というのは否めませんが・・・
なお、現在廃盤のようです。)
メンデルスゾーンの「歌の翼に」は、彼女の録音が最高ではないかとさえ思います。
純白の輝き、という形容詞がぴったりでした・・・

NHKさん、すばらしい企画をありがとうございます!と言いたくなるような番組です。
声楽ファンや声楽家(を目指す人も)は必見ですね。
なお、番組HPは、「NHK スーパーレッスン」で検索してみてください。
番組テキストは書店で売っています(雑誌扱いです)。

 NHK スーパーオペラレッスン バーバラ・ボニーに学ぶ歌の心


(1月21日追記)
今回で3回目。
NHK番組表から放送内容を一部転載します。

第3回も、プッチーニの人気オペラ「ボエーム」から。
第4幕の「古い外とうよ」など、哲学者コルリーネ(バス)の歌を中心に、
テクニックと表現を学ぶ。

前2回よりも、声楽レッスンとして、見ごたえがありました。
バスの受講生は、発声練習からやらされることになってしまいましたが・・・
見ている側としては、発声のヒントをいっぱい得ることができました。
「もっと太りなさい」などとアドバイスされたり・・・
私もバス・バリトンの声なので、受講生をまねて一緒に発声練習などをやってみました。

(1月28日追記)
4回目は、バリトン(画家マルチェッロ役)のレッスン。
テノール(詩人ロドルフォ役)の方よりも、素晴らしい声量があり、
「主役食い」になっていました。
レッスンを通じて、高声部がより強く、輝かしく発声できるようになった以外は、
もう十分なほど、素晴らしい声を披露していました。
「少しやせたい」とバリトンのレッスン生が言うと、
「やせたいなんて言ってはダメ」とたしなめられました。
オペラの専門誌の表紙を飾るような見栄えのよさよりも、
オペラ歌手は声が勝負!ということなのでしょうね。

(2月4日追記)
5回目は、ソプラノ(ムゼッタ役)のレッスン。
かなりすばらしい声の持ち主でした。
今回のレッスン終盤、なんとグランドピアノの蓋の上に乗って、
「ムゼッタのワルツ」を歌う、という「荒治療」が楽しかったです。
羞恥心を越えて、コケティッシュなムゼッタになりきって歌う、というのが、
レッスンの白眉でした。
媚態の限りを尽くすムゼッタを演じるために、レッスンといえども、
ここまでやらせる、というのがスゴイ!

(2月25日追記)
8回目は、シューマンの歌曲も取り上げていました。
ネコのように、「ミャウミャウ」と歌ってみて!というのは、実にユニークでした。
思わず笑ってしまいましたね・・・
前半のレッスン生、テノールの人は、「ボエーム」の最高音が出るようになりました。
実に輝かしい声でした。

2011年1月 7日 (金)

書評:平野耕一著『世界中で語り継がれている希望物語』(鳥影社)

希望が失われ、閉塞感に満ちている現代日本だからこそ、
ぜひ、多くの方にこの本を読んでいただきたい、そう思わずにはいられません。

平野耕一著『世界中で語り継がれている希望物語』(鳥影社)は、
「希望」をテーマに、旧約聖書の創世記~ヨシュア記の人物たちの生き様と、
希望をもつことのすばらしさと困難を見事に描いています。
著者はキリスト教の牧師ですが、
キリスト教の人向けに書かれたような内向きの本ではありません。
日本の人口の1%にすぎないクリスチャンよりも、99%のその他の人々、
特に、希望を失っている人のためにこそ、この本は書かれています。
村上龍氏の小説『希望の国のエクソダス』の有名な言葉、
この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない
というような状況から、希望をつかむことができます。

著者は「はじめに」というところで、本書と聖書についてこう述べています。


 この本では、読者の皆さんが聖書を通して「希望」について読み解くために、少しばかりの手がかりを提供できれば、と私は考えています。聖書は二千年以上にわたる歴史的、民族的、また時代的な背景をもっていますが、そのメッセージはイスラエルの歴史、民族、時代を超えて、普遍的な価値をもっており、そのために、今も世界中の人々に意味のあるものとみなされています。
 事実、聖書は、あらゆる本を凌駕して、世界的なベストセラーです。聖書のことばが数千年という時間のテストに耐えて、古びることも、滅びることもなく、人々に語り続けているからです。人々は、登場人物の生き様から励ましを受け、忍耐を教えられ、希望を燃え立たせられるのです。
 実に聖書こそは、人々に「希望」を与えるために書かれた本なのです。始めから、終わりまで、すべての記述の根底に「希望」がよどみなく流れているのです。
 また、聖書の中で、神は「希望の神、God of Hope」と呼ばれています。聖書が描く神の本質は「希望そのもの」という存在なのです。この希望の神が、暗闇の中にうごめく私たち人間を、希望で満たそうとしているのです。

(同書P.20~21から引用)


旧約聖書のアブラハム、イサクとヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュアを、
「希望」という観点から捉え、分析し、
どんな困難があっても忍耐し、
31の「希望の特質」を語っています。
これは、特定の宗教を信じているか否かに関係なく、普遍的なものでしょう。

私が特に惹かれたのは、ヨセフとモーセのところでした。
ヨセフの物語は旧約聖書の中でとても好きな箇所ですが、
「希望」という視点でこの物語を見ると、
現実の生活における有意義な気づきを与えられました。
また、モーセのところに出てくる、「奴隷の特徴」(P.192~195)の記事は、
現代の日本人にとって耳の痛い話です。

私はこの本を、帰省中の列車の中で普段よりもゆっくりと読みました。
妻はどちらかというと読むのが遅い方ですが、この本は珍しく一気に、
しかも私よりも早くに読み終えてしまいました。
妻もこの本を「すばらしい!」と絶賛していました。

同じ著者による『希望とは何ですか』(いのちのことば社)もあわせてお読みください。
また、映画『ショーシャンクの空に』についても、たびたび言及されていますので、
もしこの映画を観ていない方は、ぜひ御覧になってください。
(『希望とは何ですか』と『ショーシャンクの空に』については、
既に記事を書いています。)
書評:平野耕一著『希望とは何ですか』(いのちのことば社)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-ebe1.html
旧約聖書のヨセフ物語と、映画「ショーシャンクの空に」~希望の物語
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-2f5d.html

希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

(新約聖書 ローマの信徒への手紙15:13新共同訳)

世界中で語り継がれている希望物語

希望とは何ですか

ショーシャンクの空に(DVD)

ショーシャンクの空に(Blu-ray)

2011年1月 6日 (木)

NHK・海外ドラマ「ソフィア・ローレン 母の愛 後編」(2011年1月5日放送)

NHKBShiで、1月5日に放送された、
「ソフィア・ローレン 母の愛(後編)」を観ました。
(前編の記事については、以下を御覧ください。)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/nhk201114-547a.html

NHK番組表HPから、後編のあらすじを引用します。
(番組HPは、「ソフィア・ローレン 母の愛」で検索してみてください。)


ロミルダは、借金で困窮したリッカルドに、お金を出す条件として娘マリーアの認知を求めた。マリーアと一緒に役場でリッカルドを待つが、約束の時間はもう過ぎていた…。一方、イタリア映画で次々と成功を収めたソフィアは、その人気でハリウッドへ進出。異国アメリカで撮影をするソフィアは、マリーアに一緒に来てほしいと頼む。ロミルダはマリーアの同行を認めるが、独りでイタリアに残されることを不満に感じていた。


後編には、ソフィア・ローレン役の人(マルガレット・マデさん)はほとんど出てきません。
背景に退いてしまった、といえましょう。
後編は、原作者であるマリーアの結婚を中心に、
母親ロミルダの深まる孤独と、母娘で繰り返される男運のなさが描かれます。

それにしても・・・
イタリア男性は、妻と愛人がいないと気がすまないのか、と思わされるほど、
(実際は、そういう人ばかりではないはずですが・・・)
母娘2代に渡って、女性関係にだらしのない男とつきあうことになるとは・・・
フジテレビ系の昼ドラも真っ青のドロドロ関係なのですが、
イタリア的にカラッとしているのは、せめてもの救いでした。
イタリアに憧れる私ですが、こういうところは、見習ってはイケマセンね・・・

マリーアの結婚相手は、ロマーノ・ムッソリーリ(既に故人)で、
あのムッソリーニの息子でした(史実)。
これまた、小説並の話ですね。
その娘は、アレッサンドラ・ムッソリーニさんで、現在、欧州議会議員とのこと。

今回印象に残ったのは・・・
マリーアが、実の父のところに行き、「母から離れなさい」と言われ、
別れ際に、父と握手するところでした。
ダメ男そのものといった実父ですが、最後には、娘のためになることを言ったわけです。

前編・後編とも、ドラマとしてはとても見ごたえがありました。
ソフィア・ローレンさんの演技は「すごい!」の一言です。

原題の「私の家は鏡でいっぱい」の意味、後編を見てようやく分かりましたよ。
マリーアの家は、鏡がいっぱいある、ということと、
「鏡は真実をうつすもの」というセリフ、そして、母と娘との関係を表すものなのでしょうね・・・
邦題の「・・・母の愛」も、考えてみるとなかなか本質を突いています。
「母の愛」は豊かなものですが、あまりに支配的なため、
人を窒息させてしまう・・・
「愛」という名の支配欲、というものを考えさせられました。

書評:ガエタノ・コンプリ著『キリストと聖骸布』(文庫ぎんが堂)

今回の記事で、ブログ記事数700本目です!
神様に感謝!
そして、読んでくださる皆様にも感謝です!


記念すべき700回目は、やはり信仰的な記事で飾りたいです。
そこで、今回は、ガエタノ・コンプリ著『キリストと聖骸布』(文庫ぎんが堂)を紹介します。
これは、紀伊国屋書店の文庫コーナーをぶらりと散歩していた時に見つけた本です。

著者のガエタノ・コンプリ氏は、カトリックの神父です。
昔、カトリックの伝道番組「心のともしび」に出演していたのを見たことがあります。
その人が、トリノの聖骸布を長年研究したいたというのは、今回初めて知りました。

トリノの聖骸布は、あらゆる角度から可能な限りの科学的な研究がされています。
無神論者でも聖骸布の価値を認める人がいる一方、
聖職者であってもオカルトのたぐいと決め付けて、最初から否定する人もいるそうです。
日本の新聞報道では、炭素14による年代測定で、「ニセモノ」という断定がされて以来、
久しく記事を見たことがないです。
しかし、それで決着がついたのか・・・

著者は冒頭、「はじめに」というところで、こう書いています。
本書を読んでくださる皆さんに申し上げます。聖骸布には先入観なしに挑戦してください。
聖骸布は、信仰の問題ではありません。
」(P.4から引用)
テレビに出てくる大槻教授並みに疑いの目で見てもいいかもしれません。
まずは、ぜひ本書を読んでみてください。
第一級のサスペンス・推理小説のように、状況証拠が次々と現われては否定されます。
最後に残るのは・・・

著者は非常に冷静に、さまざまな状況証拠を分析していきます。
どこにも、熱狂の影はありません。
穏やかで、理性的に、聖骸布の出自と、「聖骸布の人」は誰かを結論づけています。
こういうラテン的な明晰さ、私は結構好きです。

聖骸布はあくまで信仰の問題ではありません。
しかし、もし明確に、キリストのご遺体を包んだ布だとすれば、
キリスト教最大・最高の奇蹟である、「キリストの復活」を証言するものとなります。

私は、聖骸布の存在によって、「キリストの復活」を信じたわけではありません。
世界中の多くのクリスチャンも、聖骸布の存在如何ではなく、
「今、生きておられるキリスト」を体験したからこそ、信じているわけです。
ある意味、聖骸布が本物であろうと、ニセモノであろうと、
信仰自体には影響を与えることはありません。
そう、復活されたイエス様は、トマス(合理主義者の祖先?)に、
わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。
(ヨハネ20:29新共同訳)とおっしゃりました。
現代の我々にも、同じことを語られるでしょう。
しかし、合理主義者にとっても信じられるように、聖骸布を遺されたのかもしれませんね・・・

【送料無料】キリストと聖骸布

キリストの復活について、知的に(でも気楽に)もっと探求してみたい方なら、
次の本もおすすめです。
ビジネス書の著者として有名な、オグ・マンディーノの小説、
『キリスト・コミッション』(ダイヤモンド社)です。
400ページ以上もあるこの本ですが、
私は夜が明けるまで一気に引き込まれて読みましたよ。
(この本については、またの機会に・・・)

キリスト・コミッション

2011年1月 5日 (水)

NHK・海外ドラマ「ソフィア・ローレン 母の愛 前編」(2011年1月4日放送)

人生は映画よりも映画的、といったところでしょうか・・・

NHKBShiで、1月4日に放送された、
ソフィア・ローレン 母の愛(前編)」を観ました。
ソフィア・ローレン本人が、彼女の母親役(=ロミルダ)を熱演していました。
番組HPから、あらすじを引用します。
(番組HPは、「ソフィア・ローレン 母の愛」で検索してみてください。)


イタリアを代表するアカデミー賞女優ソフィア・ローレンが自分の母親役を熱演するローレン一家の波乱万丈の物語。原作はソフィアの妹マリーアの自叙伝。
1950年代のイタリア。かつて女優を夢見ていたロミルダは、2人の娘とナポリの町ポッツォーリの実家で質素に暮らしていた。娘たちの父親リッカルドは、姉ソフィアは娘と認めているが、妹マリーアは認知せず会おうともしない。さらにリッカルドから突然他の女性との結婚を知らされショックを受ける。そんなとき、ハリウッド映画「クォ・ヴァディス」のオーディションがあると知り、ロミルダは娘ソフィアとローマの撮影所へ向かう。


ドラマの前半は、映画スターを夢見て、ソフィアと母親がローマに行き、
苦しい生活に負けずに少しずつ映画などの仕事をもらいながら、
だんだんと成功していくサクセスストーリーです。
ソフィア・ローレンとその家族を通して、戦後イタリア映画史の縮図を見るようです。
後半は、ドラマの原作者であり、
ソフィア・ローレンの実妹であるマリーアの話が少しずつ大きくなっていきます。

このドラマ、昨年作られたそうですが、
ソフィア・ローレンさんの存在感が、他のどの俳優・女優よりも際立ちます。
(番組HPで写真があります。)
もう70代だというのに、まだ妖しい魅力を放ち、演技もすばらしいです。
物語自体も、まさにイタリア映画そのもの、という感じで、
後編が楽しみです。
日本語吹き替えの声も、なかなかよかったと思います。

番組の中で特に印象に残ったところは・・・
ローマでの駆け出し時代、下宿先では部屋で食事を作ってはいけなかったのですが、
母親が密かにトイレ兼バスルームのところで、娘ソフィアのためにパスタを作るところ。
思わず笑ってしまいますが、必死だったのでしょうね・・・
ローマに来て10年もしないうちに、下宿生活から豪華な家に住むのはサスガでした。

ソフィア・ローレンの父親との関係のところは、
まるでマルチェロ・マストロヤンニ主演の映画さながら、といった感があります。

ちなみに、原題には、「母の愛」という語は含まれていません。
イタリア語を直訳すると、「私の家は鏡でいっぱい」となります。

(2011年1月6日追記・・・後編記事はコチラ↓)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/nhk201115-b286.html

2011年1月 4日 (火)

謹賀新年2011

あけましておめでとうございます。
今年もこのブログを読んでくださり、ありがとうございます。
皆さまに神様の祝福と平安が豊かにありますように!

わたしたちの神、主の喜びが
わたしたちの上にありますように。
わたしたちの手の働きを
わたしたちのために確かなものとし
わたしたちの手の働きを
どうか確かなものにしてください。

(旧約聖書 詩編90:17新共同訳)

旅行先で撮った、新年にふさわしい写真を紹介します。

1枚目は、道東・鶴居村の鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリで私が撮影しました。
撮影日は2010年12月31日です。

20101231_tsuruimura

2枚目と3枚目は、十勝の浦幌町にある厚内駅で、停車中に妻が撮影したものです。
日の出(初日の出ではありませんが・・・)と、朝日を浴びる列車です。
明るい未来に向かって前進していくようなイメージです。
撮影日は2011年1月3日早朝です。

20110103_sunrise_at_atsunai


20110103_sunrise_and_train

私は鉄道ファンではないので、列車には詳しくありませんが、
根室本線(滝川~釧路間)で赤い列車が走っているのは、珍しいそうです。
(今回妻と一緒に乗車しました!)
現在のJR北海道カラー(白地に緑線)ではなく、旧国鉄カラー、とのこと。
詳しくは、以下のブログ記事を御覧下さい。
名取紀之氏のブログ「編集長敬白」~
「注目を浴びる最長の普通列車2429D。」(2010年5月15日)

http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/05/post_1260.html

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