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2010年12月の41件の記事

2010年12月30日 (木)

年末年始のブログ休止のお知らせ(2010年)

年末年始の帰省のため、
12月31日から1月3日までブログを休止します。
1月4日から再開予定です。

今年1年、拙ブログをたくさんの方に読んでいただきました。
感謝します。
来年もよい1年でありますように・・・
皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように。

初めからのことを思い出すな。
昔のことを思いめぐらすな。
見よ、新しいことをわたし
(=主)は行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道を敷き
砂漠に大河を流れさせる。

(旧約聖書 イザヤ書43:18~19新共同訳)

来年はこんな1年になるといいですね・・・

2010年12月29日 (水)

NHK教育・福祉ネットワーク キラキラ40「母と私(1)連鎖“インナーマザー”」(12月29日再放送)

観る人の立場によって、さまざまな感想が出そうな内容でした。

12月29日再放送の、
NHK教育・福祉ネットワーク キラキラ40「母と私(1)連鎖“インナーマザー”」を観ました。
(積極的に観たい、というよりは、他に興味を惹くような番組がなかったので・・・)
10月に放送されたものの再放送です。
放送内容を、NHKの番組表から引用します。


40代女性を応援する「キラキラ40」。今回のテーマは「母と娘」。“仲よし親子第一世代”といわれる40代女性。ところが番組のアンケートでは、母親との関係に悩み苦しんでいる女性が多かった。“母親の期待に応えよう”と過ごした子ども時代の思い出が、その後、自分の子育てにも大きく影響を与えているという。自分の心の中の母親“インナーマザー”に苦しむ女性たちの姿を通して、新たな親子関係の可能性を考える。


番組では、母親との関係に悩む専業主婦の方が取り上げられていました。
母親に虐待されたわけではないのですが、
母親があまりに支配的だったので、結婚後も悩み、ついには鬱病になり、
自分の娘まで摂食障害になってしまった・・・
娘の摂食障害をなんとかするため、母親達の自助グループに入ってから転機が訪れ、
ついに、実の母につらかった気持ちを打ち明けて、スッとし、精神の独立を勝ちえ、
娘の摂食障害も治った・・・というような内容でした。
さらに詳しい内容については、番組HPを御覧ください。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/1010/101020.html


正直言って、観終えてから、かなり疑問がわきあがりました。
「NHKは40代の女性に実母を罵れ、と勧めているのか?」とさえ思えるような感じです。
確かに、親との確執を抱えている人は、意外と多いようです。
しかし、この番組で取り上げられたような事例が、すべての人にあてはまるわけがありません。
観る立場によって、もっと違った解決方法が出てきそうです。
たとえば・・・
・10代のうちに親に反抗していなかったから、後で悩むのだ。(E・エリクソン流の心理学者?)
・親を許せばいいのです。(キリスト教的解釈?)
・親は親、自分は自分。自分の人生の責任は、自分でとるもの。
親に原因をかぶせるのはおかしい。
などなど・・・

先日、NHKBSで、スウェーデン映画「秋のソナタ」という作品を放送していました。
イングリッド・バーグマン最後の出演作品です。
映画というよりは、非常に演劇的な構成で、
映画のほとんどは、1軒の家の中だけで展開されます。
家の外の世界は、わずかに数分、数シーン程度。
登場人物もとても少ないです。
牧師と牧師夫人(主人公)と、牧師夫人の母親、牧師夫人の妹(障がいを持つ)。他数人。
テーマは、母と娘の愛憎です。
映画の最後の方で、主人公である牧師夫人は、長年積もりに積もった怒りを、
面と向かって母親にぶつけます。
「あるがままの私を愛してほしかった!」
先ほどの番組を観ながら、つい、映画「秋のソナタ」を思い出してしまいました・・・
(映画「秋のソナタ」の内容については、以下を御覧ください。)
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11943/story.html

虐待されて育った人からみれば、「かまわれすぎ」というのは、ある意味、羨ましい世界ですし、
一般的な家庭で育った人からみれば、「ぜいたくな悩み」としか思えません。
人生、いろいろですね・・・
その人がその人らしく生きるには?
回答は、人それぞれが見出すしかありません。

日本テレビ系・「三谷幸喜のコトバのソムリエ ~人生を変える魔法の言葉~」(2010年12月28日放送)

なんとなくテレビをつけていたら、ついつい観てしまった番組です。
12月28日深夜放送の、
日本テレビ系「三谷幸喜のコトバのソムリエ ~人生を変える魔法の言葉~」は、
なかなか興味深い番組でした。
今のところ、単発放送のようで、レギュラー番組化するかはまだわからないようです。
番組HPから、放送内容を引用します。
http://www.ntv.co.jp/program/detail/122240242.html

三谷幸喜がTV初司会!コトバセラーのオーナー兼ソムリエである三谷が“偉人の名言ウラ話”や“語源ウソホントQ”等、コトバにまつわる素敵なエピソードでもてなします。ゲスト1対1のトークコーナーや三谷幸喜&夏目アナの生コントも注目です!これまで数々の映画やテレビの脚本を手掛けた三谷幸喜ならではの、“大人も楽しい 新しいエンターテインメント番組”です。

三谷幸喜さんの少しコワイ顔とともに、楽しみながらコトバの世界を味わうことができました。
東洋水産の商標である「マルちゃん」という語が、
メキシコでは「素早く」という意味としてそのまま使われているとか、
ブックオフの「お売りください」というキャッチフレーズの成立など、
興味深いものが多かったです。
ゲストとのやり取り等で、もう一工夫して、レギュラー番組化してもらいたいなぁ、と思いました。

2010年12月28日 (火)

2010年のニュースを振り返って~NHK・ニュースハイライト2010(2010年12月28日放送)

毎年、年末になると、こういう番組が放送されてるのを観て、
「今年も1年、終ったなぁ・・・」という感慨にひたります。
NHK総合で、「ニュースハイライト2010」という85分の番組が放送されていました。

「はやぶさ」のニュースから、日本の政治混迷や尖閣問題、北朝鮮の暴走、
猛暑と集中豪雨、円高、児童虐待と児童の自殺、日本人のノーベル賞受賞・・・
そして、チリの奇蹟の救出まで。
いいニュースから始まり、いいニュースで締めくくる、という構成は好感が持てました。
ちょうど、ソナタ形式の音楽で、途中の楽章が短調で深刻さを増しても、
最後は明るく終るような感じに似ています。
視聴者からの意見も紹介されており、親近感がありました。
社会不安を煽るような凶悪事件については、あまり言及されていませんでしたが、
懸命な判断だと思います。
なお、スポーツのニュースは除外されていました。

2010年のビッグニュースのベスト3は何か、というと、みなさんいろいろ意見があるはずです。
私は、少なくともこのニュースハイライトを見ただけで判断するなら、以下を挙げます。
(つまり、番組における報道の扱いと、印象に残る度合いで判断するなら)
1.「はやぶさ」の帰還
2.大阪の2児遺体事件とその後のマンション
(事件後、マンションの住民たちが近所同士でコミュニケーションをとるようになった。)
3.チリの奇蹟の救出
視聴者からも、さまざまな声が寄せられていたようです。
政治の問題もいろいろ取り上げられていましたが、
どうも「こんな失態、もう見たくない、聞きたくない」という無意識のブレーキが働き、
あまり印象に残りませんでした。

まじめに考えて、日本国内の政治的な話題で大きなものといえば、
1.鳩山内閣退陣、菅内閣発足
2.参院選で民主党惨敗
3.尖閣事件
4.民主党の「脱小沢」路線
5.沖縄の基地移設問題決まらず
あたりですかね・・・
(あまりに面白くないので、この話題はここまで・・・)

番組を観ていて、改めて気づいたのは、
自分の忘れっぽさでした。
「あっ、そういえば、こんなニュースあったよね・・・」というのもいくつかありました。
宮崎の口蹄疫とか、鳩ポッポ元首相とか・・・
当事者の方は大変だったでしょうが、イヤなことはさっさと忘れるに限ります。

私としては、今年は政治の話題よりも、スポーツの話題の方が印象に残りました。
バンクーバー五輪とW杯をTVで観ていた時間は、
今までの五輪とW杯の中で過去最長だったかも・・・

今年はノーベル賞受賞とか、いいニュースもいろいろありました。
来年は、もっといいニュースを聞きたいものです。

2010年12月27日 (月)

産経新聞の「【主張】問題教師 数より資質向上の優先を」(12月27日)を読んで

WEB版産経ニュースの【主張】欄を毎日読んでいます。
今日(2010年12月27日)の記事は、教育についてでした。
「【主張】問題教師 数より資質向上の優先を」と題して、
最近の教師の不祥事ニュースのダイジェストと、
はては民主党の35人学級実施政策への疑問なども述べていました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101227/crm1012270227008-n1.htm

この記事については、おおむね(7割ぐらい)賛成しますが、
35人学級への疑問や、やる気のない教師を排斥するだけの論調は、
あまり賛成できません。
やる気のない人を排除するだけでは、ボトムアップを図ることはできないでしょう。

確かに不祥事を起こす教師や、やる気のない教師も少なからずいます。
だからといって、記事の出だしのような言い方は、本当でしょうか?
学校の先生たちが、どこかおかしい。
これは、暗に「すべての」学校教師がおかしい、
と言っているのに等しい、侮辱的な発言です。
一生懸命がんばっている先生だって多いはずです。
公立校の教師は約90万人いるそうです。
そのうちのごく一部が不適切だからといって、
すべての」教師が人間失格のような言い方をされるのは心外ではないでしょうか。

問題なのは、教育技術を向上させる公式な制度がないから、
単なる思いつきみたいなもので漠然と教師生活を送るような教師と、
「教師は労働者だ!」と主張する教員組合でしょう。
勤務時間中に政治活動をやったりするのは論外です。

「教師は専門職だ!」と主張し、
教育のプロフェッショナルを目指して日々向上に励むのならいざ知らず、
「教師=労働者」なら、ますます教師への信頼を失わせるだけです。
公立校の教師も、塾の講師のような多面的な評価システムによって、
やる気がある人とない人で給料や待遇に大きな差がつくようになれば、
質は向上すると思います。
どうやったらやる気が出て、戦前のように尊敬・信頼されるような魅力ある職業になるか?
そちらを考え、必要であれば教育予算を上積みできるような政治が望ましいものです。
教育予算をケチったら、国の未来は危ないのです。
(かといって、システムを変えずに人だけ増やすのなら、【主張】の意見は的を得ています。
税金泥棒が増えるだけかもしれません。)

【主張】の意見では、現状のシステムのまま、
今いる教師に更なる負担を強いるだけのような気がします。
抜本的な教育制度の見直し、特に教員養成のあり方を問い直す必要があるといえましょう。

2010年12月26日 (日)

旧約聖書のヨセフ物語と、映画「ショーシャンクの空に」~希望の物語

最近、書店で、
平野耕一牧師著の『世界中で語り継がれている希望物語』(鳥影社)という本を見つけ、
購入しました。

この本は、「希望」をテーマに、
旧約聖書のアブラハムからモーセ、ヨシュアの物語について書かれたものです。
その中で、映画『ショーシャンクの空に』について、何度か言及しています。
その「はじめに」というところには、このような一文があります。


 ハリウッド映画の名作と言われた『ショーシャンクの空に』は、この本の中に登場する聖書のヨセフ物語に非常に似ています。このビデオはレンタルで一年間以上も米国第一位を続けました。
 作者のスティーブン・キングは、米国でもっとも巧みに物語を展開させる作家として知られ、その作品は三十五本も映画化されました。その彼自身が聖書をよく調べていることを認めています。

(同書P.2から引用)
 

実は、まだこの映画を観たことがなかったので、
とても興味を持ち、DVDを借りてクリスマスの夜に妻と一緒に観ました。
冒頭から、物語に引き込まれるような、見事なストーリー展開でした。
いろいろな伏線が、小道具が、最後の大脱獄に見事に結びついています。
観終わった後は、すっかり打ちのめされてしまったような感覚でした。
傑作、という名に値する作品といえましょう。

DVD

Blu-ray


映画の感想については、
たくさんの人がブログやAmazonのカスタマーレビュー(100件以上)などで書いています。
今回は、旧約聖書のヨセフ物語との関連と、「希望」というテーマで書くことにします。

平野耕一牧師の『世界中で語り継がれている希望物語』P.162~163では、
旧約聖書のヨセフの入獄体験と関連した話として、
ショーシャンクの空に』のエピソードを書いていますので、引用します。


希望の特質 21 希望は消すことのできない音楽

 ヨセフの人生は、十七歳までお坊ちゃまをやって、十年くらい奴隷をやって、その後三年間は監獄生活です。さすがのヨセフも、その心は当然、恨みと憎しみと苦みで満たされたであろうと想像します。ところが、そうはならないのです。それでもヨセフは希望をもち続けるのですね。希望という音楽はヨセフの心から消え去ることがありませんでした。

 作家スティーブン・キング原作が『ショーシャンクの空に』として一九九四年に映画化されました。主人公のアンディは、妻とその愛人を殺害した容疑で捕らわれ、無罪の訴えも空しく、終身刑の宣告を受け、ショーシャンク刑務所へ送りこまれます。
 アンディは終身刑でも、自由な人生を取り戻す希望をもち、それを捨てませんでした。そして銀行家だった手腕を生かし、警察署長や看守の納税書を無料で作成してやり、その見返りとして、刑務所の中に図書館を作ります。また、出獄する者たちのために、教育を始め、高校卒業資格が取得できるようなサービスを自主的に始めます。
 アンディは友だちになったレッドに話します。
 「看守たちがどんないやがらせを行い、いじめようとも、俺の心の中には、彼らが消し去ることができないメロディーが鳴っている。」
 「その音楽の名前は何ていうのだい。」
 「希望だよ。希望と言う音楽は、誰にも消し去ることはできないのだ。」
 「希望は危険なものだ。ここで希望をもった奴らをたくさん見てきたよ。彼らはみな発狂した。」
 「それでも、俺は希望を選ぶよ。」
 やがて、二十年の監獄生活から、アンディは脱出に成功します。豪雨が降りしきる真夜中、脱出した彼は空に向かって両手を突き上げ、雄たけびを挙げます。自由になった喜びを爆発させた感動的なシーンでした。

 妻を殺したという濡れ衣を着せられて終身刑を言い渡され、看守からいじめ抜かれても、アンディの心に鳴り響く希望の音楽は、誰も消すことが出来なかったのです。
(同書P.162~163から引用)


「希望」についてアンディとレッドが語るこのエピソード、
映画の中でも印象的なものの一つです。

平野牧師は、映画『ショーシャンクの空に』のエピソードを語ったすぐ後(上記のすぐ後)、
旧約聖書のヨセフの話に戻ります。


 ヨセフは監獄にいても、いつか夢が実現するという希望を捨てなかった。だから、監獄の中でも立派にふるまい、できることは何でもやった。意図したわけではなかったが、監獄長の信頼を勝ち得ていた。恐らく、囚人たちの信頼も勝ち得ていたに違いない。彼は思いやりをもって囚人たちに使えていたのだ。
 監獄長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは監獄でもすべてのことを管理するようになった。彼はここでも、天才的な管理能力を発揮したのだ。

(同書P.163~164から引用)


映画『ショーシャンクの空に』の主人公アンディと、旧約聖書のヨセフの入獄体験が、
重なり合って見えますね。

ヨセフは兄弟たちに奴隷としてエジプトに売られ、
侍従長ポティファルに引き取られ、そこで管理する能力(神様からの祝福)を発揮して、
主人の全財産を管理するまでになりますが、
ポティファルの妻に言い寄られたのを拒んだが故、
無実の罪で牢に入れられてしまいます。
牢獄においても、神様の祝福により管理する能力を発揮し、ついには、
監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。
(旧約聖書 創世記39:22~23新共同訳)という状況になりました。

目に見える状況は絶望的でも、希望を失わない、というのが、大きな力になります。
アウシュヴィッツ強制収容所での悲惨と苦悩を描いた、
ヴィクトール・フランクルの名著『夜と霧』(みすず書房)の隠れたテーマは、
「希望を持ち続けることの大切さ」です。
強制収容所で希望を失った者は、自ら自暴自棄な行動を取り、死に急ぐことになりました。
ほんのわずかな希望でも、もち続けることが、自分を大切にすることにつながります。

ヨセフの苦悩(兄弟に裏切られ、奴隷として売られることや、入獄体験など)について、
詩編105:16~18には、こういう記述があります。

主はこの地に飢饉を呼び
パンの備えをことごとく絶やされたが
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された
主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。

(詩編105:16~18新共同訳)


「今、なぜこんなに苦しいのだろう」、と時々思うことがありますよね。
苦悩の意味は、そのときにはわからないことがほとんどです。
しかし、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28新改訳)ことを信じ、
感謝していまあるがままを受け止めるとき、
神様は次のステップをたぶん用意されているはずです。

希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

(新約聖書ローマの信徒への手紙5:5新共同訳)

2010年12月25日 (土)

クリスマスの讃美歌 天なる神には(讃美歌114)・ああベツレヘムよ(讃美歌115)※midi付

クリスマスの讃美歌で代表的なものといえば・・・
「きよしこの夜」(讃美歌109)や「もろびとこぞりて」(讃美歌112)、
あるいは「あめにはさかえ」(讃美歌98)、「まきびとひつじを」(讃美歌103)、
「あらののはてに」(讃美歌106)、「神のみ子は今宵しも」(讃美歌111)・・・
いろいろありますが、今とても心に響いているのが、今回紹介するこの2曲です。
「天なる神には」(讃美歌114/讃美歌21・265/新聖歌80)と、
「ああベツレヘムよ」(讃美歌115/讃美歌21・267/新聖歌84)です。
しっとりとした名曲です。
両曲のmidiを、クリスマスプレゼントとして皆様に贈ります。
讃美歌114・讃美歌115の楽譜に基づいていますが、
一部装飾音を付け加えています。
下に歌詞を掲載していますので、
ぜひmidiを聞きながら、口ずさんでみてください。
あるいは、静かなBGMとしても活用できると思います。
ピアノ音だけで構成しています。

midiは下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
なお、上は讃美歌114番、下は讃美歌115番です。
英語タイトルで表記しています。

「20101225_it_came_upon_the_midnight_clear.MID」をダウンロード

「20101225_o_little_town_of_bethlehem.MID」をダウンロード

ところで、讃美歌と讃美歌21では、同じ曲でも、
微妙に(時にはかなり)歌詞が違うことが多いです。
今回は、讃美歌114と讃美歌21・265、讃美歌115と讃美歌21・267を比べてみましょう。

(讃美歌114/讃美歌21・265)
※下線部は讃美歌21で変更、( )内は讃美歌21での歌詞
1.
「天なる神には みさかえあれ、
地に住む人には 安き(平和)あれ」と、
み使いこぞりて ほむる歌は、
静かにふけゆく 夜にひびけり。
2.
今なおみつかい つばさをのべ、
疲れしこの世を おおい守り、
かなしむ都に なやむ(里)に、
慰めあたうる 歌を(調べ)うたう。
3.
重荷を負いつつ 世の旅路に
悩めるひとびと、かしらをあげ、
はえあるこの日を たたえうたう
たのしきうたごえ ききていこえ。
4.
み使いのうたう やすき(平和)きたり、
ひさしく聖徒の 待ちしくにに、
主イェスを平和(われら)の 君とあがめ、
あまねく世の民 たかく歌わん。

(讃美歌115/讃美歌21・267)
※下線部は讃美歌21で変更、( )内は讃美歌21での歌詞
1.
ああベツレヘムよ などかひとり(小さな町)
星のみ匂いて ふかく眠る。(静かな夜空に またたく星)
知らずや、今宵 くらき空に(恐れに満ちた 闇のなかに)
とこよのひかりの 照りわたるを。(希望の光は 今日かがやく)
2.
ひとみな眠りて 知らぬまにぞ(マリアを母とし 生まれたみ子)
み子なるキリスト 生まれたもう。(星々かがやけ、語り告げよ。)
あしたの星よ、うたいまつれ、(みつかい歌え この喜び、)
「神にはみ栄え、地に平和」と。
3.
しずかに夜露の くだるごとく、(人はみな眠り 気づかぬまに)
めぐみの賜物 世にのぞみぬ。(天よりくる。)
罪ふかき世に かかるめぐみ(心低くし 主を迎えよ、)
天より来べしと たれかは知る。(罪ある世界の 救い主を。)
4.
ああベツレヘムの きよ(い)み子よ、
今しもわれらに くだりたまえ。(今こそわれらは 心ひらく。)
こころをきよめ 宮となして、(すべての罪を とりのぞく主、)
今よりときわに すまいたまえ。(共に宿る神、インマヌエルよ。)


讃美歌114→讃美歌21・265では、わずかな変更ですが、
讃美歌115→讃美歌21・267では、大幅な変更ですね。
讃美歌115は美文調ですが、讃美歌21・267は、
できるだけ元の歌詞を生かそうとした結果なのでしょうね。

よいクリスマスを!
Merry Christmas!!!

主のご降誕、おめでとうございます!(2010年)

主のご降誕、おめでとうございます!

今年のクリスマスは、見事なまでにホワイトクリスマスとなりました。
讃美歌21・254番には、「小鳥も飛び去る冬のさなか」というクリスマスキャロルがあります。
まさにそのような光景でした。
ちなみに、その讃美歌の1番は、このような歌詞です。

小鳥も飛び去る 冬のさなか、
星よりまばゆい み使いらの
喜びの声が 響くよ、森の中。
(くりかえし)
「この日イェスは生まれた。
イン エクセルシス グロリア」。

なお、この讃美歌、ト短調の暗~い感じの曲です。
歌詞のタイトルで印象深い、というだけで、好きな讃美歌ではありません。

今回は、写真を2枚つけてみました。
1枚目は、さっぽろホワイトイルミネーションを撮ったものです。
「海」のイメージだそうです。

20101225_at_sapporo_1

2枚目は、我が家の窓から撮った写真です。
先ほど引用した、「小鳥も飛び去る冬のさなか」というイメージにぴったりです。
数日前に撮影しました。

20101225_at_sapporo_2_2

いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。

(新約聖書ルカによる福音書2:14新共同訳)

皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

2010年12月24日 (金)

AKB48もマリア様に祈る?~日本聖書協会のメールマガジンから

12月23日に、日本聖書協会から、メールマガジンが来ていました。
冒頭に、「へぇ~」と思わせる文章が書かれていましたので、転載します。

 今年、流行語大賞になるほど大ブレイクし、小・中学生からその親の世代 にも人気のAKB48に「MARIA」という歌があるのを知りました。マリア へ、いつも近くにいてお守りくださいと呼びかける秋元康氏による作詞は、 あちこちが聖書に似て非なるものになっています。プロテスタントの人は マリアを信仰者の模範として尊敬しますが彼女に向かって祈ることはあり ません。ただ、キリスト者もそうでない人も、心の底で求めているもの (歌詞から繋げば、過去を償わせ明日への希望に向かわせる存在への祈り) は一緒なのではと改めて思わされました。(以下省略)

AKB48ファンの方には申し訳ありませんが、私は全然興味が無いので、
そういう曲がある、ということ自体知りませんでした。
どんな歌詞だろうかと調べてみました。
下記をクリックして御覧ください。(転載はしません。)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1428821239

私としては、日本聖書協会の方の意見に同感です。
しかし、どうしてカトリック信者でもない人たちが、
聖母マリアに祈りたくなるのか、少し不思議でした。

考えてみると、一般の人にとって、聖母マリアの存在は、
カトリック信者が抱く「母」というイメージよりはむしろ、
西洋的な「観音様」か、
あるいは「優しいおばあちゃん」というイメージなのかもしれません。
最後の審判時のキリストのように、裁く存在ではなく、
誰でもやさしく受け入れ、「あるがままを愛し、慈しんでくださる」存在・・・
実の母親だと、口うるさく叱ったりしますが、
祖母は、たいていの人にとって、甘えさせてくれる存在ですね。
(「おじいちゃん」もそういう存在なのでしょうが・・・
私は残念ながら、おじいちゃんという存在がいなかったので、実感としてよくわかりません。
父方、母方の祖父どちらも、終戦前後に他界したそうです。)

まぁ、少なくとも、カトリック信者にとっては、
AKB48の「MARIA」という歌は、
やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。
(新約聖書ルカによる福音書9:50新共同訳→イエス様の言葉)
というところでしょうか。

今日はクリスマス・イブ。
サンタクロースとケンタッキーの日ではアリマセン。
キリストのご降誕と、聖家族を思い巡らしてみたいものです。
教会に行ったことがない人、教会からしばらく足が遠ざかっている人は、
ぜひ、思い切って教会に行ってみてはいかがでしょうか?

2010年12月23日 (木)

NHK・BSベスト・オブ・ベスト「サウンド・オブ・ミュージック マリアが語る一家の物語」(2010年12月23日再放送)

NHKで2006年放送の、「サウンド・オブ・ミュージック マリアが語る一家の物語」。
実はこの番組、観るのはこれで3回目です。
再放送にも十分耐えうるすばらしい構成でした。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」や「菩提樹」、「続・菩提樹」、
世界名作劇場シリーズの「トラップ一家物語」のモデルとなった、
実在のトラップ一家の歴史について、
トラップ家の次女マリアさん(放映時、92歳!)へのインタビューを中心に、
貴重な映像と証言を交えて構成されています。
特に、どちらかというとあまり知られていない、渡米後の一家の生活について、
多く語られています。
マリア・フォン・トラップ(母)の「サウンド・オブ・ミュージック」原作以降の、
一家の話も知ることができて、とても興味深いものでした。
インタビューを受けたマリアさんは、
なんとパプアニューギニアで宣教師として長年働いていたそうです。
そして、80歳を過ぎてから、養子をもらい、「母」となったこともふれています。

「トラップ・ファミリー・ロッジ」は、もし機会があれば、ぜひ行ってみたいと思いました。
実に美しいところです。
すばらしい番組を作ってくれたNHKに感謝です。
BGMとして、「サウンド・オブ・ミュージック」の有名な曲を静かに使っていたのも好印象でした。

「サウンド・オブ・ミュージック」及びトラップ一家関連の記事を以前にいくつか書いていますので、
よろしければ御覧ください。

『サウンド・オブ・ミュージック』①~アニメ「トラップ一家物語」
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-cbb1.html

『サウンド・オブ・ミュージック』②~原作
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-366b.html

『サウンド・オブ・ミュージック』③~映画
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-f33a.html

映画「菩提樹」、「続・菩提樹」
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-8bba.html

トラップ一家物語(完結版)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-be98.html

NHK・BSベスト・オブ・ベスト HV特集 伝説のミュージシャンたち「カーペンターズ」(2010年12月23日再放送)

最近、NHKBSで、「BSベスト・オブ・ベスト」と題して、
過去のすばらしい番組をいろいろ放送しています。
特に今日は、祝日なので、いい番組が目白押しでした。

午後4時半から放送の、
「BSベスト・オブ・ベスト HV特集 伝説のミュージシャンたち『カーペンターズ』」は、
とてもすばらしい番組でした。
私の妻はカーペンターズの曲がとても好きです。
カーペンターズの名曲とともに、その活動をたどるこの番組は、
とても見ごたえがあったはずです。
私ももともと、カーペンターズの「トップ・オブ・ワールド」や「イエスタディ・ワンス・モア」は好きでした。
妻と結婚してから、カーペンターズの他の曲も聴くようになりました。
カレンの独特な歌声・・・
憂いと孤独の影がありながら、温かさがある、比類のないステキな歌声は、
何度聴いてもすばらしいです。

番組の3分の2は、サクセスストーリーで、貴重な映像も多く、
観ていて楽しいものでしたが、
残り3分の1は、カレンを死に追いやった拒食症と、最期の日々についてでした。
それにしても、アメリカでは、800万人の摂食障害の人がいる(2005年放映時点)と知り、
とても驚きました(拒食症は摂食障害の中に含まれます)。
1960年代前半までは、どちらかというと、マリリン・モンローのようなグラマラスな女性が魅力的でしたが、
1960年代後半からは、やせ細ったようなスタイルの人が「魅力的」ということになりました。
その影響なのか、1970年代後半には、「摂食障害」というものが顕在化してきたそうです。
番組の中では、現代の摂食障害の人の発言も少し紹介されていました。

カレンの映像は、1970年代後半、特に1980年に近くなるにつれ、
やせこけて、痛々しい感じがしました。
早すぎる死(享年32歳)はとても残念です。
番組の最後で、兄のリチャードさんが、
「今もメロディはあふれているのに、それを歌う声がない・・・」というようなコメントをしていました。

カーペンターズの曲で、あえてベスト3を選ぶとしたら・・・
1.青春の輝き
2.イエスタデイ・ワンス・モア
3.トップ・オブ・ザ・ワールド
でしょうか・・・
我が家にはベスト盤CDが1枚ありますが、どれも好きです。
1970年代の曲なのに、古さをあまり感じさせません。
また、ビートルズなどの原曲よりも、非常に洗練されているのも魅力です。
「トップ・オブ・ザ・ワールド」などは、最近洗剤のCMでも使われていますね。
「青春の輝き」は、某有名企業の電話の保留音として使われていました。

拒食症などの摂食障害について、日本ではどれくらいいるのか、というのを調べると、
あまりはっきりした数字は出てきませんでした。
10代~20代の女性で、10万人あたり15~20人ぐらいいるらしい、とのことです。
精神科医の和田秀樹氏が、名著『テレビの大罪』で指摘しているとおり、
「『ウエスト58cm幻想』の大罪」というのは、とても大きいでしょう。
テレビでダイエット特集を組む一方、
統計にも出てこない摂食障害患者を増やしているのですから・・・


読売新聞北海道版・「道産子の学力向上へ―教育座談会」を読んで

12月22日の読売新聞北海道版で、
「道産子の学力向上へ―教育座談会」という記事がありました。
2面にわたる、読み応えのあるものでした。
読売新聞のWEB版で掲載があります。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1263447647981_02/news/20101222-OYT8T00339.htm

今回は、この記事の中で、特に注目したところを引用し、コメントしてみます。
4人の中でやはり浮いているのは、北教組の委員長・林氏です。
4人の発言で、特に注目していただきたいところには、下線をつけています。
(引用は記事全体ではありません。記事全体は上記リンク先でどうぞ。)

座談会の参加者は以下のとおりです。

(参加者)
【牧口 秀徳氏】 前札幌市立新光小学校長
【高橋 教一氏】 北海道教育委員会教育長
【林   秀彦氏】 北海道教職員組合 中央執行委員長
【村山 紀昭氏】 前北海道教育大学長

――2007年に復活した北海道の全国学力テストは4年連続で不振。この現状をどう見るか。

 〈高橋〉 結果を厳しく受け止めている。単に点数や全国順位が低いのではなく、漢字の書き取りや四則計算の正答率が低いなど、基礎学力が身についていない。放課後の補習、長期休業期間の学習サポートをする学校は増えているが、全国に比べて十分でない。学力テストの結果には、子どもの学習習慣や生活習慣も密接に関係している。テレビを見たりゲームをしたりする時間が長く、1時間以上家庭学習をする子どもが少ないなどの問題が北海道にはある。子どもたちが将来どんな仕事に就こうとも、グローバル化の流れに無縁ではない。それに対応できる人材を育てていかなければならない。

〈林〉 北海道の子どもが学びの面で多くの課題を持っているのは事実だが、学力テストだけを他の都府県と比較して「不振続き」とする議論は生産的ではない。都府県との比較は、学校現場の点数競争をあおる恐れがあり、自己肯定感を持てない子どもを生み、全体の学力低下を招く心配もある。最も危惧するのは、学校がテスト対策の授業に傾くことだ。テストの点数より、学びの質を問うことが大切ではないか。学びの力を一律の尺度で評価する危うさがある。

――学力向上のために学校や教員はどうすべきか。

〈高橋〉 学校全体として学力向上の目標と重点とすべき指導の共通認識を持つことが必要だ。個々の教員の優れた指導を参考に、個人でなく学校全体として取り組む。家庭や地域の支援も必要だ。ただ家庭や地域も教育力の低下が指摘され、効果的にアプローチしていく必要がある。

〈林〉 学校は共同体という点では、教育長に同意する。その上で、まず少人数学級の実現が第一だ。教員の目が届くだけでなく、子ども同士の学びあいを容易にする。次に教職員の多忙を解消すること。教員の病気休職者の7割以上が心の病という実態は深刻だ。子どもたちとじっくり向き合える時間と環境を作るべきだ。どの学校も真剣に取り組んでいるのに、学力調査の結果だけで学力ととらえるのは間違いではないか。学力テストに課題があっても不登校はゼロ、という学校を評価していい。

〈村山〉 確かに先生はがんばっているが、「不登校はゼロ」ということをもってよしとすべきか。学校は「学んで社会的に自立する」ためのものだ。そのための土台になるのが、小中学校の基礎的な知識や学びの姿勢、習慣だ。これが弱いことが、北海道の子どもの生きる意欲、たくましさが落ちていることにつながっている。学力をつけるという基本的な目標が明確でない学校があるのは気になる。いじめや不登校をなくすことも大事だし、教員の勤務条件の改善や組合活動も大事だが、そういう先生が家庭を含めて子どもの学習の面倒をみる一番教育熱心な先生であってほしい。

〈牧口〉 学級は「20坪の密室」だ。意欲的な教員は自分の授業を公開し批評されることをためらわないが、公開に消極的で向上心に欠ける教師もいる。学力の二極化が言われるが、教師格差、教室格差と呼ぶべき、教師の二極化が起きている。校長は優れた指導技術や指導方法の共有化に努めるなど、教員の指導力を底上げする校内体制を強いリーダーシップで作ることが大事だ。子どもの学力状況から見た課題を正確につかみ、習熟度別授業など組織としての体制を作る。学校管理職の資質は学校の質や学校差を左右する。

 ――習熟度別授業の実施率が北海道は低い。

 〈高橋〉 大事なのは、子どもの学力に応じたきめ細かな指導だ。習熟度別授業は子どもの自尊心を傷つけるという拒否感が強かったが、全国的には優れた事例が蓄積され、効果が実証されている。子ども一人一人の理解度を考えない授業で教えたことにするのは、子どもがかわいそうだ。各学年で基礎となる学力を身につけさせてから進級させるのが学校の使命で、習熟度別授業が有効な手法なら、導入を検討すべきだ。実際にあった話だが、14÷7ができない中学生がいて、よく聞いてみたら、6の段以上の九九ができなかった。かけ算は小2、割り算は小3だが、それができないまま学年が進行し中学校へ行く。それではいけない。

〈牧口〉 習熟度別授業で差別教育が起きたという例は耳にしたことがない。学力の二極化が進み、四則計算ができない子どもがいる問題をこれ以上放置できない。教員が組合と保護者との間の板挟みになり、苦しんでいる現状を見てきた。北教組が習熟度別授業に反対する方針は見直すべきだ。

 〈林〉 学校5日制については、子どもを地域に返し、地域の教育力を高めるという当初の理念を大切にすべきだ。習熟度別授業が子どもたちの学ぶ力を底上げするのか疑問であり、検証が必要。教育先進国とされるフィンランドは、少人数学級や子どもの学びあいを大切にし、必ずしも習熟度別授業を取っていない。基礎基本を定着させる練習も否定しないが、「わかる、できる、使える」の学習過程を大切にしようと言っている。ただ暗記させて「わかる」を飛ばすのは問題だ。

――学力テストが今年から悉皆(しっかい)調査(全校調査)から抽出調査に切り替わったが、希望参加した学校が多かった。

 〈牧口〉 抽出調査でも北海道の教育状況は統計的に把握できるが、各学校の学習状況の把握、学校ごとの努力の経年評価がしにくくなった。札幌市が希望参加を見送ったのは残念だ。学校ごとに学力を測り、課題をはっきりさせるには、悉皆調査が欠かせない。行政のきめ細かな対応にも役立つ。何よりも結果的に子どもの利益につながる。読売調査でも道民の7割が悉皆調査を支持している。

 〈林〉 端的に言えば、学力テストは中止すべきだ。北海道で札幌以外の全校が参加したのは、突出した数字だと思う。希望した学校は、なぜ希望したのか。子どもの学びや育ちにどう活用されるのか。検証と説明責任を果たしてほしい。

 〈高橋〉 学習指導要領で目指す学力が、どの程度身についたかを全国調査で測ることが、なぜ悪いのかよくわからない。いたずらに点数や順位を争うべきではないが、教えっぱなし、学びっぱなしではだめ。どの程度身についているかを子どもや学校の絶対値として測り、全道・全国の相対値を見ながら、絶対値を高めていく努力をすることは、子どもたちにプラスになる。そういう意味で私は悉皆調査にすべきと思っている。

 〈村山〉 全国テストで学力の到達点を測ることは、国際的にも否定されていない。個々の学校の状況がつかめないのは非常に問題があり、悉皆でやるべきだ。ただ、現場の忙しさを考えれば、数年に1回でもいいと思う。大事なのは結果を教育に生かすこと。北海道の学力は、問題が多すぎる。教員、行政、地域、大学がそこに共通の認識を持ち、議論を始めるべきだ。


この記事の抜粋は、既に読売新聞北海道版に掲載されています。
(以前、記事を書いています。よろしければ御覧ください。)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-eecd.html

今回、座談会の詳細をじっくり新聞で読んでみると、
改めて、北教組の考え方の問題点がわかりました。

北教組側の主張は、
・学力テストは中止すべき。
・学力テストに問題があっても、不登校0ならそれで評価されるべき。
・習熟度別授業は必要ない。
(あと、いろいろありますが、省略します。)

北教組の林氏の発言の中に、
学力テストに課題があっても不登校はゼロ、という学校を評価していい。」というのがあります。
私はこれを読んで、童謡の「めだかの学校」を思い出しました。
めだかの学校は・・・みんなでおゆうぎしているよ。
学力なんかたいしたことないよ、学校は楽しければいいんだ・・・
学校が、勉強なんかせず、保育園や児童会館みたいに遊んでいるだけなら、
もしかすると、不登校なんか起きないかもしれません。
しかし、それでは学校とはいえませんね。

また、「不登校0」というもっともらしい主張、よく考えてみましょう。
北教組は、数年前の滝川いじめ自殺を発端にした、
連鎖的ないじめ自殺問題が社会問題になった時でさえ、
「いじめ調査に協力するな」と組合員に指示するような団体です。
いじめや不登校に目を背けているだけかもしれません。
(個々の良心的な教師は多いのかもしれませんが・・・)

読売新聞の調査によると、
「北海道の教職員の労働組合が熱心に取り組んでいると思うこと」
という質問に対して、
50%の道民は、「待遇や権利の主張」と回答した、とのことです。
下のグラフを御覧ください。(座談会記事から転載)

201012223721501n

私腹を肥やす悪徳政治家みたいなイメージですね・・・

北教組内の良心的な先生が、この記事を読んで、
早く目を覚ましてほしいな、と思わずにはいられません。

2010年12月22日 (水)

映画「旅するジーンズと19歳の旅立ち」

NHKBS2で、映画「旅するジーンズと19歳の旅立ち」を放送していました。
これは、「旅するジーンズと16歳の夏」の続編です。
(ちなみに、「旅するジーンズと16歳の夏」については既に記事を書いていますので、
よろしければ下記をクリックして御覧ください。)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-fe5a.html

続編ものなので、前作よりはあまり面白くないかな~と予想していましたが、
あいにく、予想は当たってしまいました・・・

もちろん、主役4人の成長と友情の話は、それなりに面白かったです。
特に終盤はなかなかよかったです。
前作を観て気に入った人は、観る価値があります。
ただ、新鮮味に欠けることは否めませんでした。

ところで、NHKで海外映画を放送する場合は、たいてい字幕スーパー付ですが、
この作品と、前日に放送された「旅するジーンズと16歳の夏」、どちらもなぜか吹き替えでした。
オリジナルの英語版は副音声で入っているとはいえ、
海外ドラマと同じ吹き替え扱いでいいのか、ちょっと疑問でした。
(妻は、シェイクスピア劇を演じるところだけ、英語音声に切り替えていました。)
せめて、それなら、他の海外ドラマと同様、
字幕放送をつけてくれたらもっとよかったのに・・・と思いました。
ただ、吹き替え版の声優さんたちはどの人もうまかったと思います。

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真夜中のコワ~イ間違え電話

先日の深夜1時頃でした。既に私たちは寝ていました。
突然、電話が鳴り響きました。
夜中に電話が来る、というのは、実にイヤなものです・・・

私が電話に出ました。
(私)(間違い電話の可能性があるので、受話器を取ってから数秒沈黙の後)もしもし?
(相手)(年配の女性?)ちょっとお迎えに来てくれない?
(私)はぁ?どこにかけてますか?
(相手)(数秒沈黙の後、通話は切れました。)

結局、間違え電話でした。
ある意味、間違え電話でよかった、ともいえましょう。
どこかのタクシー会社と間違ったのか、
あるいは、夫か恋人等と間違えてかけたのか?
事実はわかりません。

再び布団に入ってから、少し想像、というよりも妄想を巡らしてみました。
「お迎え」という語を、こういうタイミングで聞くと、
普通の意味の「お迎え」ではなく、違う意味にもとれますね・・・

以前、「いま、会いにゆきます」という映画・ドラマがありましたね。
あの作品は、死者が現世に戻ってくる、という話でした。
それなら、「いま、迎えにゆきます」なら?・・・
「貞子」的な話になりそうですね・・・
夜中の1時に電話が鳴ると・・・
・・・コワイのでやめておきます。

クリスマスの讃美歌 もろびとこぞりて(讃美歌112/讃美歌第二編246)※midi付

もろびとこぞりて むかえまつれ・・・

クリスマスの讃美歌として有名な「もろびとこぞりて」。
今回は、この曲のmidiを作ってみました。
私の好きなクリスマス讃美歌の一つです。

もろびとこぞりて」は、
讃美歌112番と、讃美歌第二編246番があります。
讃美歌112番は、一般的に知られている版です。
讃美歌第二編246番は、讃美歌112番にデスカントをつけたものです。

今回、讃美歌第二編246番の版で楽譜入力を行い、
録音(=midi作成)に際して、デスカントなし版(=讃美歌112番)と、
デスカントあり版(=讃美歌第二編246番)の2種類を作ってみました。
お好きな方で聴いてみてください。
和音や装飾音をごく一部付け加えています。

ちなみに、讃美歌112番/讃美歌第二編246番の冒頭の歌詞は、
もろびとこぞりて むかえまつれ」ですが、
讃美歌21版(261番)では、
もろびとこぞりて いざ、むかえよ」となっています。
どちらがいいのでしょうね・・・
部分的には、讃美歌21版の歌詞の方がいいところもありますよ。

midiは下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
なお、「1」は讃美歌112番、「2」は讃美歌第二編246番です。

「20101222_joy_to_the_world_1.MID」をダウンロード

「20101222_joy_to_the_world_2.MID」をダウンロード

2010年12月21日 (火)

みことばが2Dから3Dになる時・・・苦しみの時こそ、神様の愛に触れるチャンス!

先日の朝、いつもどおりお祈りの時間に御言葉を読んでいると、
普段なら読み過ごしてしまうところが、急に心に響いてきました。
その箇所とは、新約聖書の「テサロニケ人への手紙Ⅱ」1:5です。
読んで心に響いたエマオ出版訳で引用します。
(その迫害と苦しみは、)あなたがたを神の御国にふさわしい者にしようとしておられる神の正しいご判断のしるしです。実に、その御国のためにあなたがたは今苦しめられているのです。
まさに、2Dが3Dになるような、そんな感覚、とでも言いましょうか・・・
心の中のモヤモヤが、一気にスッキリするような、神様の愛を感じました。
言葉のどこが、と言われると、ちょっと答えに困ってしまいますが・・・

参考までに、新共同訳と新改訳の同じ箇所も引用します。
(新共同訳)
これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。
(新改訳)
このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。

自らの良心に従って、正しいことを行ったのに、人から非難されることがあります。
そういう時こそ、こういう御言葉が、慰めになります。
特に、信仰上での苦しみならなおさらです。
良いことで非難されるようになったら、「神様に選ばれているしるし」だ、と解釈できたら、
既に問題のほとんどは乗り越えたも同然です。
あとは、神様の正しい裁きに任せればいいだけです。

私は冒頭の御言葉によって、心に深い平安を与えられました。
弱いときにこそ、神様の愛がしみじみとわかります。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
(新約聖書 マタイによる福音書5:10~12新共同訳)
キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ3:12新共同訳)
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
(新約聖書 ペトロの手紙Ⅰ4:14新共同訳)

皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

2010年12月20日 (月)

NHK・にっぽん紀行 「大人の心に響きます~名古屋・夜の紙芝居~」(2010年12月20日放送)

まるで短編小説集のような、余韻が残る味わい深い好番組でした。

12月20日放送にNHK総合で放送された、
にっぽん紀行 「大人の心に響きます~名古屋・夜の紙芝居~」。
タイトルに偽りはありませんでした。
確かに、「大人の心に響き」ました!

番組HPから放送内容を引用します。

 名古屋市内の繁華街で、仕事帰りのサラリーマンやOLに向けた一風変わった“出前の紙芝居”が静かな人気を集めている。日中のしがらみから解放されて人生を見つめ直す夜。そっと心の琴線を揺さぶる大人向けの物語を求め、老若男女、様々な人々が集まってくる。
 紙芝居を演じるのは、商社マンを辞め岐阜県の寺の住職になった宮地直樹さん。檀家を回る中で人生に絶望し自死する人が多いことに驚き、心疲れた大人が生きる元気を取り戻すきっかけになればと、6年前に紙芝居を始めた。自作の物語のテーマは「童心に帰る」。忘れかけていた幼少の頃の記憶、ふるさとの風景、家族との絆など、宮地さん自身の経験も踏まえて選ばれた題材は、挫折したり人生に疲れたりした時に、頑張ろうと思えるものだ。
 人生を積み重ねた大人たちが時を忘れて夢中になる不思議な紙芝居。人々は何を思い、なぜ心惹かれていくのか。名古屋の夜の酒場を舞台に、紙芝居に魅せられる人々が織りなす人間模様を見つめる。

宮地さんの紙芝居は、人生の縮図のようで、
深いけれども「説教くささ」を感じさせず、
見る者の心に眠っている「清らかな思い出」を呼び覚まします。
紙芝居を見ながら、大人が涙を流している光景も映し出されていました。
そうして、心が癒され、新たな元気をもらう、という様子自体が、
あたかも短編小説のような味わいでした。
私も、その紙芝居を実際に見てみたい・・・
そう思わせるような、良質な番組構成でした。

各国語による「クリスマスおめでとう」※カード印刷用Excelファイル付

先日、私の所属教会で、教会学校のクリスマス会を行いました。
子供達の出席は、20名程度。
皆様方の教会学校でのクリスマス会と比較すると、
ささやかなものだと思います。
しかし、子供達と保護者、スタッフを含めて約40名程の出席者の国籍(親の国籍も含む)は、
実に多様でした。
日本、フィリピン、中国、アメリカ合衆国、タンザニア、リトアニア、ポーランド、ペルー、アイルランド。
計9カ国でした。
クリスマス会では、最初から最後まで日本語で進めましたが、
通訳が必要な場合は、私の妻や他のスタッフが英語で対応しました。
(日本語以外では、英語が共通語、ということになっています。)

今回、各国語による「クリスマスおめでとう」カードを、皆様に紹介します。
計10ヶ国語で、「クリスマスおめでとう」という言葉が書かれています。
出席予定者の国籍、言語を考慮して、あらかじめ作り、
別の「クリスマスおめでとう」というカード(厚紙)の裏面に貼り、
クリスマス会当日に配りました。
特にリトアニアの方からは大変喜ばれました。

作成は、「Google翻訳」を使いました。
日本語で「クリスマスおめでとう」と入力し、
翻訳したい言語を選択するだけで、あっという間に翻訳完了!
実に便利な時代ですね。
世界の主な言語(数十カ国語)に対応しています。
なお、エクセルファイルですので、
教会の実情に応じて、適宜追加・修正・削除して使ってみてください。

ちなみにリトアニア語での「クリスマスおめでとう」、
どう発音するのですか、とそのリトアニアの方に後で聞きましたが、
ちょっと難しい発音でした・・・
残念ながら、忘れてしまいました・・・

教会に英語圏以外の外国人がいる場合、
こういう形で「クリスマスおめでとう」と伝えると、
喜ばれると思いますよ。

「20101220_merry_christmas_card.xls」をダウンロード

2010年12月19日 (日)

時が良くても悪くても・・・教会学校で試される信仰

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ4:2新改訳)
この御言葉、とても好きです。

教会学校を何年もやっていると、年に何回か、
開始時間になっても子供達がまったく来ない、ということがあります。
そういう時に、必ずこの御言葉を思い出し、奮起します。
時が良くても悪くても

今日も、残念ながら、かつ「恵みとして」、この御言葉を思い起こす時が来ました。
開始時間になっても、子供達は誰もいない・・・
私と妻だけが会場にいました。

開始時間を5分だけ遅らし、それが過ぎたら、
たとえ子供が一人もいなくても、通常通りプログラムを始めよう、と決意しました。
結局、5分たっても誰も来ませんでした。
私は通常のプログラム通り進め、
特別に祈りました。
「『時が良くても悪くても
主よ、あなたは『みことばを宣べ伝えなさい。』とおっしゃりました。
今、子供達が一人も来ていないことも感謝します。
みこころであれば、子供達を来させてください。」
祈った後、教会学校で現在使っているテキスト、
『聖書のおはなし』を、子供達の代わりに妻に読み聞かせ始めたところ、
なんと・・・
奇蹟が起こりました!!!
突如、子供達が6人も来てくれました。
神様に感謝です!
改めて、最初からプログラムをやり直しました。

今回はクリスマス間近なので、「イエス様の誕生」というお話を読みました。
私が子供達に読み聞かせようとすると、
子供達から「私、読みた~い!」という声が出てきたので、
朗読してみたい、という子に、1人1ページずつ読ませてみました。
私は、子供達の朗読を聞きながら、幸せを感じました・・

既に、一足早く教会学校でクリスマス会を行っていますし、
プログラム自体も少し遅れが出ていたので、
今日は余計な説教をせず、簡単な2つの質問と、
ルカ2:14を暗唱させて、教会学校の前半プログラムを終えました。

上記の祈りは、もちろん魔法の言葉ではありません。
しかし、神様は私たちの信仰をきちんと見ておられます。
信仰にしっかりと立つ時、神様は必要な力と助けを必ずお与えになりますよ。
目に見える現実に打ちひしがれるのではなく、
「神にできないことは何一つない。」(ルカ1:37新共同訳)ことを信じ、
希望し続ける・・・
いつか必ず、実を結びます!

すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

(新約聖書 テサロニケ人への手紙Ⅰ5:18新改訳)

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2010年12月18日 (土)

議論は人を変えるか?~ブログのコメントについての考察

旧約聖書の「箴言」には、「舌」という単語が19回出てきます。
(※新共同訳、口語訳による。)
そのうちから、今回のテーマにふさわしい御言葉を1か所引用します。

忍耐強く対すれば隊長も誘いに応じる。穏やかに語る舌は骨をも砕く。
(旧約聖書 箴言25:15新共同訳)

イソップ童話の「北風と太陽」の話はご存じですよね。
北風が力づくで旅人からマントを脱がせようとしますが、結局出来ず、
太陽が旅人を温めると、旅人は自分からマントを脱ぐ、という話です。
対人関係の機微を実に巧みに寓話化していますね。

議論する際、相手を攻撃すればするほど、
相手は頑なになっていきます。
ましてや、その人に対する人格攻撃まで始まったら、
もはやまともな議論とは言えません。
人は往々に、議論して相手を負かしたら、相手が変わると思いがちですが、
そんなことはほとんどないと言っていいでしょう。
北風の実力行使と同じです。

しかし、箴言25:15のように、やさしい言葉、穏やかな言葉で、
相手に敬意をもって話していくうちに、
相手の意見が変わることがあります。
太陽の温かさが、自分で自分の意見に固執しなくさせる、といえましょう。

ところで、さまざまな人のブログを読むと、いろいろなコメントがついていますね。
「AはBである」という主張をする人に対して、
「AはCである」という意見の人がコメントし、
ひどい場合はボロクソに人格攻撃しているようなものさえ見かけます。

しかし、果たしてそこまで言われたからといって、
「AはBである」という主張を曲げるでしょうか?
たいていは、変わらないはずです。
癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。
(旧約聖書 箴言15:4新共同訳)
気力を砕く
つまり、相手にイヤ~な思いをさせるぐらいはできましょうが・・・
私がよく読む精神科医の和田秀樹氏のブログなどは、
本人あてに嫌がらせのようなメールが頻繁に届くそうです。
相手を説得しようとする、愚かで不毛な努力・・・
力づくで相手を変えようとしても、変わることはないのに・・・
ほしいのは、「癒しをもたらす舌」です。

私がそういうブログを読んだ場合は、一切コメントしません。
ただ見て通り過ぎればいいのです。
「世の中には、ヘンな人がいっぱいいるなぁ・・・」と。
読んでいるだけ、時間のムダといえましょう。
通行人が自分に関係のない争いに興奮するのは 犬の耳をつかむようなものだ。
(旧約聖書 箴言26:17新共同訳)

私なら、自分と同じような意見や、すばらしいと思えるような記事にのみコメント投稿します。
私が「AはBである」と思っていても、
その人にとっては、「AはCである」というのが真理なのでしょう。
また、そう考える権利は、犯罪に値するようなものを除いて、保障されるべきでしょう。
余計な議論を仕掛けるよりは、争いを避けるのが大人の態度と言えます。
議論で人が変わる可能性は、きわめて低いといえましょう。

もうちょっと具体的な例で考えると・・・
たとえば、仏教の熱心な信者の方のブログに、
「あなたの信仰は間違っている!」と私が書いたとして、
その人が、考えを変えるでしょうか?
(そもそも、そんな失礼なこと、私はしませんが・・・)
また逆に、誰かが私のブログに対して、
「キリスト教は外国の邪教だ!」などとコメントしてきても、
私は無視するだけの話です。
コメントだからといって、すべてを掲載する義務はありませんし、
また、コメントに答える義務もありません。
私の意見が気に食わないなら、
「時間の無駄でしょうから、もう二度と読まない方がいいですよ。」としか言いようがありません。
どっちが真理かを論争しても無駄で、
その人と私、それぞれ真理とするものが違うのです。
それならば、自分の考えに共鳴する人を捜し求めればいいだけの話です。
聞く耳のある者は聞きなさい」(イエス様の言葉~マルコ4:9他新共同訳)
ということです。
もっと言えば、「変わりたい」と願っている人しか、変わることはできない、とも言えましょう。

一番いいのは、余計な議論はしないことです。
D・カーネギーの名著『人を動かす』の中に、
議論に勝つ最善の方法は、この世にただひとつしかないという結論に達した。その方法とはーー議論を避けることだった。なぜかといえばーー仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?ーーやっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。 ーー「議論に負けても、その人の意見は変わらない」。
(同著P.159から引用)という名言があります。
まさにそのとおりです。
(「手帳2.0」というブログで、ちょうどこの箇所を紹介しています。
上記引用はそのブログからです。)
http://www.kitami.tv/subnote/2007/05/post_201.html

新約聖書にも、議論を避けることについて書かれています。
愚かで無知な議論を避けなさい。
あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。

(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ2:23新共同訳)

今回このテーマでいろいろ調べてみると、
実に参考になる記事を見つけました。
炎上せずに議論に勝つ方法」というものです。
http://katabami.org/su-kaku/45/
興味のある方はぜひお読みください。

私も時折論争的な記事を書きますが(教育や政治など)、
当然、すべての人に普遍的に支持される意見でない場合があります。
「アイツの意見はひどい間違いだ、まったくオカシイ!」と思われることもありましょう。
そういう場合は、「なんてバカな奴・・・最低だ」とでも、心のうちで思ってくださって結構です。
ただ、私を説得しようとコメントをくださっても、相手にしない場合がある、
ということを、あらかじめご了承願いたいのです。

人を動かす新装版

2010年12月17日 (金)

クリスマスの讃美歌 The snow lay on the ground/雪はつもり(讃美歌第二編127)※私訳とmidi付

”The snow lay on the ground”/雪はつもり(讃美歌第二編127)という讃美歌、ご存知ですか?
あまり有名なものではないですが・・・
(私としても、すごく好きな曲、というわけではありません。)
イギリスのクリスマス・キャロルだそうです。

私の所属する教会の聖歌隊で、今年もこの曲を歌うことになりました。
日本人と外国人が一緒にやっている聖歌隊なので、
1番は英語、2番は日本語です。
音取りCD作成用に楽譜入力をしました。
今回、クリスマスが近いので、楽譜とmidiを公開します。

楽譜は、2種類あります。
1種類目は、聖歌隊で今年実際に歌うバージョンです。
1番は英語、2番は讃美歌第二編・127番の1節を使用しました。
なお、メロディラインや伴奏は、讃美歌第二編掲載のものと異なります。

「20101217_the_snow_lay_on_the_ground_2010ver.pdf」をダウンロード

2種類目は、英語の歌詞(1、3、4番)と私訳です。
実は、昨年もこの曲を練習していましたが、歌詞はすべて英語だけでした。
当時、日本語訳詞があるかどうか確認せず、
勢いで日本語訳詞を作ってみました。
後で、讃美歌第二編に既に訳詞があるのを知り、少しがっかりでしたが・・・
今年使用しているものと、若干メロディラインが異なります。

「20101217_the_snow_lay_on_the_ground_my_original_version.pdf」をダウンロード

私の訳と、讃美歌第二編の訳をそれぞれ掲載します。
なお、私訳では英語の歌詞にあわせて、2番が4番になっていますが、
比較のために2番ということにしています。


(私訳)
1.ゆききらめき 星ふる
  主イェスが生まれた夜
  きたれ、あがめよ 主を
  きたれ、あがめよ 主を
2.かいばおけの玉座で
  神の子は輝けり
  きたれ、あがめよ 主を
  きたれ、あがめよ 主を
3.聖ヨセフは やさしく
  主イェスと御母(みはは)見守る
  きたれ、あがめよ 主を
  きたれ、あがめよ 主を
(おりかえし)
  きたれ、あがめよ 主を
  きたれ、あがめよ 主を


(讃美歌第二編~新見宏訳)
1.雪はつもり 星冴え、
  主イェスは生まれましぬ
  きたりておがめイェスを、
  きたりておがめイェスを。
2.きよき母の やどせし
  み子イェスひととなりぬ。
  うしうまひつじ ともに
  まぶねのみ子をおがむ。  
3.かたえに立ち やさしく
  ヨセフはみ子をまもる。
  みつかいたちもくだり
  よろこびの歌うたう。
(おりかえし)
  きたりておがめイェスを、
  きたりておがめイェスを。


伴奏付のmidi版は、以下からダウンロード願います。もちろん無償です。
なお、このmidi版は、今年聖歌隊で歌う版と伴奏が少し異なります。
聖歌隊で歌う版の楽譜の伴奏部分が、スカスカな感じがするので、
讃美歌第二編掲載版の伴奏部分を可能な限り取り入れています。

「20101217_the_snow_lay_on_the_ground_2010ver.MID」をダウンロード

2010年12月16日 (木)

東京都の青少年健全育成条例、改正は当然!

東京都の青少年健全育成条例改正案が、可決されました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101215/lcl1012150901000-n1.htm
これは、東京都の公式説明によると、
「子供(18歳未満の者をいう。)を悪質な性行為の対象とする漫画やアニメなど(以下「漫画など」といいます。)を、子供が買うことのないよう、書店などのいわゆる「成人コーナー」に置いてもらおうとするものです。」
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/04/DATA/20k4q500.pdf
(上記リンクは、今年6月に否決された方の説明ですが、
主なところは変わっていないようです。)
つまり、端的に言えば「18禁扱いを増やすよ」、というものであって、
すべての人に対して発売禁止」というわけでは決してありません。
また、その対象も、きわめて限定的なもの、といえましょう。
今まで、このような条例がない方が、異常といえるほど、
当然の禁止処置といえるものでしょう。
本来、良識ある人間なら、賛成して当然です。
東京都議会の良識に拍手です!

しかし、この条例改正案について、
メディアやネット、出版社、人権派の人は猛反対。
「表現の自由を損ねる!」とか・・・
いったい何が問題なのか、については膨大なサイトで言及されています。
賛成の意見のブログ等を調べるのに少し苦労しました。
ネット上は反対一色といっていいほどなのですから・・・
新聞の社説でも、非難されています。
北海道新聞 12月15日社説
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/264601.html

反対意見の方は、論点を巧みにすりかえている事が多いです。
あたかも、「すべての人がわいせつな本を買えなくなる」とでも言わんばかりです。
だから、「表現の自由を守れ!」と・・・

もし、エロマンガは「すべての人が買ってはいけない」という条例なら、
まさしく、表現の自由の危機、といえましょう。
そういう条例なら、私も断固反対です。
しかし、「18歳未満の青少年に対しては、販売禁止」なら、大賛成です。
保護者の立場に立ってみたら、当然のことです。

酒やタバコを、18歳未満に売らないことや、
ポルノ映画は18禁であることに、意義を唱える人がいましょうか?
それとも、「将来どうせ酒やタバコをたしなむようになるのだから、
小学生も早い段階から酒やタバコをのんで鍛えておいた方がいい」と思いますか?
それじゃあ、セックスも、小中学生から慣れさせておくべきですか?

反対意見の中では、「家庭教育の判断に委ねるべき」というものもありました。
東京都議会議員 西崎光子氏の「活動報告」から引用します。
http://nishizaki.seikatsusha.net/index.php?case=6&action=1&cate=1137985049&id=1292223500
今、子ども達に真に必要なことは、悪質で俗悪な映像や出版物などを目にしても、きちんと批判できるように育てることであり、温室の中で育てても決して健全に育成されるものではありません。

家庭がきちんと機能しているなら、西崎氏の意見はまさに正論といえます。
しかし、現実はそうなっていません。
100円ライターの規制と同じようなものです。
法や条例で規制しないといけないほど、家庭のたががゆるんでいるのです。

何ヶ月か前、ある銭湯で、湯上がり後に、
たまたま置いてあったマンガを手に取りました。
少女マンガでした(タイトルは忘れましたが・・・)
小学生高学年~中学生向けのマンガなのでしょうが、
実にいかがわしいものでした。
こういうのを、誰でも気軽に買える社会、というのが、
本当に子供達の幸せを保証するのでしょうか?
(試しに、「まんはったん。 読売社説」というキーワードで検索してみてください。
これがまっとうにテレビに出せる内容だ、というなら、頭がおかしいです。)

反対の嵐が渦巻く中、東京都議会議員の方で、
きちんと賛成意見をブログに書いている方がいました。
自民党の三原まさつぐ議員です。
http://www.mihara-togi.net/101212
http://www.mihara-togi.net/101215
勇気ある行動は賞賛に価します。
罵詈雑言のコメントがたくさん書きこまれていますが、
読むに値しないものがほとんどです。

一般の方では、「ジョルジュサンド」氏のブログは一般人の良識を代弁しています。
「ジョルジュサンドのブログ」~「東京都青少年健全育成条例改正案に賛成である!
http://ameblo.jp/hidemasahououji/entry-10735749072.html

読売新聞12月15日朝刊社説では、良識ある意見が表明されています。
先ほどの、道新の社説とぜひ読み比べてみてください。
都青少年条例 露骨な性描写の規制は当然だ(12月15日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20101214-OYT1T01203.htm
(※12月17日追記 産経新聞12月16日の社説でも、この問題を取り上げています。
読売新聞よりもスッキリとした書き方です。)
【主張】都性描写規制条例 子供を守る当然の改正だ
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101216/lcl1012160321001-n1.htm

カネもうけができれば勝ち、エロでも酒でもタバコでもパチンコでも・・・
本当に、日本はこれでいいのでしょうか?
良識がきちんと働かないのであれば、法や条例で強制的に規制するしかないのです。
「表現の自由」よりは、「公共の福祉」の方を私は選びたいです。

2010年12月15日 (水)

「練り上げ」どころか「練り壊し」・・・算数の問題解決型授業は「教育」ではなく「狂育」

先日、たまたま某市の教育委員会勤務の方と、お話する機会がありました。
短い時間の中で、たまたまその方が「練り上げ」という語を使って、
あたかも理想的な教育法のように語っていました。
私はこの語を聞いてすぐさま、
「ああ、この人は問題解決型授業の信奉者なんだな」と思いました。
時間が限られていたので、あえてそこはスルーしてしまいましたが・・・

練り上げ」という言葉は、辞書には載っていません。
「練り上げる」という動詞であれば、掲載されています。
計画・文章などを何度も練り直して立派に仕上げる」(広辞苑)などの意味です。
練り上げ」とは、教育界では特別な意味をもっています。
特に使われる分野は、算数です。

教師の側からの、理想の使い方としては、
どちらかというと、哲学用語の「止揚する(aufheben)」に近い意味を持たせたいのでしょう。
多様な意見を出させ、よりすぐれた意見に収斂していく・・・というものでしょう。
しかし実際上の使い方は、児童・生徒が少しわかりかけたものを、
さらに混乱・迷わせることを指します。
(単に「まとめる」ではないことに着目。)

具体的な学習指導案を例に考えてみましょう。
埼玉県さいたま市の教育委員会のHPで公開されている、
学習指導案データベースに掲載されているものから選びました。
(「小学校 算数科指導案」のページで、
練り上げ」というキーワードがついているものが結構あります。)
http://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu.html
典型的な問題解決型の授業の一つです。
(なお、私は算数の問題解決型授業を問題にしているのであって、
作成者への個人攻撃の意図はまったくありません。
たまたま、公開されているページに氏名が明記されていただけのことです。)

引用ページは以下です。
http://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/19nendo/4/0150701402%E8%A8%88%E7%AE%97%E3%81%AE%E3%82%84%E3%81%8F.pdf

小4の算数の授業。TT付の教師2人がかりでの授業(おそらく研究授業)。
文章題で、
500円玉を持ってお店に行きました。
190円のチキンバーガーと150円のポテトを買いました。
お釣りはいくらでしょうか。
」という問題に、
1時間かけて取り組む」という教育実践です。

これ、わかる子にはあっという間に、暗算で解ける問題ですね。
たとえ最初わからなくても、解き方の基本を教えれば、
誰でも、解けるようになるはずの問題です。
そもそも、1時間かける必要があるのか、TTまでつける必要があるのか・・・
さらには、「教科書を読む」というところが私が見た限り、1回もありませんね。
「練り上げ」では、わからない児童の困惑顔が目に浮かびそうです。
少しわかりかけてきたのに、また光が遠くなっていく・・・
算数の問題解決型授業、という観点からすれば、
「すばらしい授業例!」となるのでしょう。
(私にとっては、結局何がしたいのか、よくわかりませんでしたが・・・)
しかし、理解の遅い子にとっては、ますます自分の能力のなさを自覚する機会となり、
出来る子にとっては、ばからしくてやってられない・・・
授業案を見て、そんな風に感じました。教師の自己満足ですね。
混乱させるだけなら、誰でもできましょう・・・
また、せっかく習い覚えたことを、どうして定着させようとしないのでしょうか?
それは、学習塾の仕事だ、とでも言いたいのでしょうか?
授業中に、練習問題を何度もやらずに、
どうやって児童は使いこなすことがでいるのでしょうか?
確実に学力低下が期待できそうな「スバラシイ」実践です。

これはほんの1例です。
しかし、日本の教育界を支配する呪縛であるともいえます。
教育委員会や学校長までが、算数の問題解決型授業に意義を唱える教師に対して、
さまざまな形の嫌がらせしたり、圧力をかけたりする場合が多いと聞きます。
また、教科書をきちんと教えようとするのも、
教師仲間では否定的に捉えられる場合がある、とも聞きます。
そうして、教師の犯罪的な指導法により、
算数嫌いが増え、児童は低学力化していく・・・
これは「教育」ではなく、「狂育」です!
日本の教育界から、「練り上げ」なる語がさっさと消えてほしい、と願わずにはいられません。

「問題解決型」の授業は、高校や大学などの高等教育機関で使えば、
有効な授業方法です。特に優秀な生徒には向いています。
しかし、基礎・基本を教えるところである小学校には、まったくふさわしくありません。
(教育大附属小学校などの、優秀な児童が集まるようなところなら別かも知れませんが・・・)
特に、公立小学校の算数においてこの方法を適用するのは、
児童に多大な知的犠牲を伴わせます。
健康にいいからと、小学生にワインを飲むことを強要するのに等しい、
犯罪的な授業方法である、といえましょう。

2010年12月14日 (火)

学力向上を妨げる北教組~読売新聞北海道版朝刊記事から

12月14日読売新聞北海道版の朝刊1面には、
道教育長・北教組委員長、異例の直接討論 「学力観」違い鮮明
と題する記事が載っていました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20101214-OYT8T00024.htm
読売新聞社主宰による教育座談会についての記事です。
高橋・道教育長と林・北教組委員長(と他2名)が異例の対談をしたものです。

記事の要点のみ引用しましょう:
高橋氏らが学テの結果について「全国平均を大きく下回っている。基礎学力が身についていない」と危機感を表明したのに対し、林氏は、基礎学力の定着の必要性を認めながらも、「他府県との比較は競争をあおる。学力調査の結果をもって(学力を)とらえるのは違う」と述べ、学テを一律に学力の指標とみる見方に反対した。学力観の相違も鮮明になった。
一部で実施している子どもの習熟度別にグループ指導する習熟度別授業について、高橋氏らは「(子どもの)自尊心を傷つけると拒否感が強いが、理解が十分ではない子どもに指導する姿勢は大事だ」と肯定した。これに対し林氏は「(教育先進国の)フィンランドは必ずしも習熟度別授業をしていない。学力を底上げする効果は疑問」と述べた。
2007年に復活した学テで、北海道は毎年、小学6年が最下位レベル、中学3年が40位前後と低迷。今年も全国平均を下回り、小6は国語と算数のA(基礎)・B(活用力)の4教科すべてで最下位レベルだった。
(註:学テ=学力テスト)

なお、対談詳細は、22日の読売新聞北海道版朝刊に掲載されるそうです。

対談について、読売新聞社としてコメントをつけていますので、引用します。
手元の紙面では、34面に掲載されています。
子供の現実 見つめよ」という題です。
(こちらは道内版のみの記事なので、残念ながら、読売新聞HPでは読むことができないようです。)

 道教委と北教組は長く対立してきた。古くは1960年代の学力テスト実施や主任制を巡る対立。近年は時間外勤務などの条件に関する協定書(46協定)を道教委が破棄し、北教組が反発した問題。今年に入ってからは、北教組の違法献金事件を契機に、道教委が教職員の服務規律調査を実施したことに、北教組は「不当労働行為」「憲法違反」と反発している。
 対立の材料が尽きない中で、置き去りにされてきたのが北海道の子どもたちの学力問題だったといえす。別の言い方をすれば、これまで教育行政に「何でも反対」の姿勢が色濃かった北教組は、学力問題にどう向き合おうとしているのか。これが、今回の座談会での注目点の一つだった。
 結論的にいえば、林委員長から、基礎基本の定着や学力向上への学校の統一した対応の必要性が語られた点で、学力をめぐる議論の「共通の土俵」に足をかけたとの印象を持った。他方、林氏は、基礎基本の定着が、国際学力調査(PISA)で測定されるような「活用力」に直結するようなものではなく、そもそも相対比較するような学力認識は競争をあおるもので、学力テストは中止すべきだーーーとも強調した。習熟度別授業に否定的な姿勢も含め、他の出席者との違いは際立った。
 学力観をめぐり様々な議論があるのは当然だ。だが、子どもたちが将来、グローバルな競争社会にさらされ、これに対する人材育成と学力対策が求められている現実を忘れてはならない。(北海道支社編集委員 笹森春樹)
 

いろいろコメントしたいことがありますが、
あきれて物も言えない・・・といいましょうか。
代わりに、精神科医の和田秀樹氏の最近のブログ記事から、
学力低下問題について、ちょうど適切な文章がありますので、引用します。
下線部は私が特に「そのとおり!」と思ったところです。
http://ameblo.jp/wadahideki/day-20101209.html

 やっと2009年のPISA調査の結果が明らかになった。
 世界平均を切っていた読解力などがもちなおし、数学力などでも多少改善の兆しがみられるようだ。
 ただ、一つ注意してほしいのは、それでも数学力などはアジア最下位だし、3分野で初参加の上海がトップに立っている。もはや日本の子供たちは中国や韓国の子供たちに学力で太刀打ちできなくなっている。国際競争力は給料の安さとか税金の安さと考えているアホが多いせいで、いちばんの国際競争力である教育レベルがどんどん犠牲にされていく。
 これでどうやってほかのアジアの国に勝てるというのか?日本はヨーロッパのようなブランドをもっていないから、技術水準で勝つか、賃下げ競争で勝つかしか活路がない。後者を選べば、最終的には中国も韓国も北朝鮮を工場にするだろうから(金政権が倒れたらの話だが)、北朝鮮以下の賃金で頑張らなければならないことになる。しかし、この学力で技術競争で勝てるのだろうか?
 それ以上に問題なのは、「社会生活を営む上で支障があるレベル」とされる低学力層の割合が、日本は三つの分野とも1割を超えていた。上位10か国・地域の中では目立って高いということだ(YOMIURI ONLINEによる)。
 学力の階層分化が前から問題になっていたが、底辺層の学力の低さは本当に問題である。
 彼らをどう食べさせていくというのか?高齢者が人口の3割というより深刻な問題だろう。
 可哀想だから落第をさせないというのは、大人になってから余計可哀そうな目に子供を合わせることになる。
 きちんと社会に出て生きていけるレベルの学力をつけるまでは卒業させないとか、いい加減に無試験で大学に入れるとかをやめないと、普通に働いている人間は、そうでない人間のためにどんどん犠牲を払うことになる。

北教組のような組織がまだ存在している自体、北海道の恥といえましょう。
「アリとキリギリス」のキリギリスのような教育観では、
将来的に、児童を低学力という不幸に陥れます。
(将来の夢が「生活保護を受けること」みたいなことに・・・)
教育界自体には、自浄能力がありません。
保護者や一般市民が、もっと教育の問題に目を向け、
外側から、北教組のような教育観を糾弾しない限り、現状は変わりません。
だからこそ、声をあげていきたいものです。
教育をきちんと受ける権利は、子どもの幸福につながります。
アホな理想論によって、その権利をメチャクチャにされたままでいいのでしょうか?
低学力で苦しむ児童こそ、教育上の被害者です。
確かな教育を保障することによって、
子どもたちが、明るい未来を描けるようにしてあげたいですね。

主の祈り(カトリック・聖公会共通)(22)【自作曲】

約1ヶ月ぶりに「主の祈り」シリーズです。

今回は、カトリック・聖公会共通の「主の祈り」への作曲の、
第22番目を紹介します。
ロ短調の曲で、「灰色」のイメージです。
ちょっと憂鬱かも・・・
今年の7月に与えられたものです。
(前回紹介した(21)とほぼ同時期の、双子のような存在です。)
神様に感謝!

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20101214_lords_prayer_cath_epi_ver_no22.MID」をダウンロード

「20101214_lords_prayer_cath_epi_ver_no22.pdf」をダウンロード

2010年12月13日 (月)

実相寺昭雄演出によるファンタジックな「魔笛」~BS日テレ・読響Symphonic Live 深夜の音楽会(2010年12月12日放送)

なんとも楽しい演出でした!
12月12月放送のBS日テレ・「読響Symphonic Live 深夜の音楽会」では、
実相寺昭雄演出によるモーツァルトのオペラ「魔笛」第2幕を放映していました。
新国立劇場での二期会公演の収録です。
アニメっぽい衣装や、ウルトラ怪獣まで出てくる奇想天外な演出は絶賛に値します。
(ピグモン、メトロン星人、ジャミラ、シーボーズ、テレスドン、カネゴン等)
タミーナ役とパパゲーナ役の衣装は萌え~、という感じデス。
主役のタミーノは日本的な衣装を着ていましたが、
これは奇をてらったものではなく、実は設定に忠実なようです。
ウィキペディアによると、
日本の狩衣を着たタミーノが大蛇に襲われ」という記事が出てきてビックリ!
回転する舞台とか、見ていてとても楽しかったです。
夜の女王は、なんとなく紅白歌合戦の小林幸子さんを連想させました(*^-^)
歌唱もなかなかよかったです。
視覚的に飽きがこない、ワクワク感たっぷりのものでした。

「魔笛」は、最初と最後が面白いですが、
どうも中間部は、つまらないです。
怪しげな宗教団体の宣伝みたい・・・
実はそれほど好きなオペラではありませんが、
この演出ぐらい楽しいなら、見る価値がありますね。
冗長な部分はカットして、見所だけ抜粋した編集になっていたのがよかったです。

オペラは地方ではなかなか見る機会がないので、ぜひこういう企画を、
NHK以外でも放映する機会を増やしてもらいたいものです。

一人一票、という当たり前を実現する必要~2010年12月12日の新聞意見広告

12月12日(日)の読売新聞には、
”清き0.2票”は、ガリレオ裁判より不条理!」と題する意見広告がありました。
紙面1面丸ごと使った、ある意味画期的な広告でした。
ただ、エキセントリックな表現と、いったい何をしたいのかが、
よく読まないと明確でないのが、ちょっと残念かな、と思いました。
(特に後半)
もうちょっと、表現に工夫が必要だったと思います。

意見広告の要旨は、
1.1票の格差が5倍という違憲状態となっている所がある。
2.違憲状態を是正できない最高裁判所裁判官を、国民審査できちんと審査しよう。
3.あなたの選挙権は何票の価値か、ぜひ知ってください。
というものでしょう。

新聞広告によれば、北海道民の1票は、
鳥取県民の1票に対して、0.21票分の価値しかない、とのことです。
(参議院選挙の場合)
北海道民5人分の投票で、鳥取県民1人分の投票とようやく同じ価値を持つ・・・
これはあきらかにおかしいですね。
一番問題なのは、何度も違憲判決が出ていながら、
1票の格差を一向に是正しない、国会でしょう。
国会議員にとっては、死活問題だからです。
1票の格差が是正されたら、メシの食い上げになる人が続出するからなのでしょう。
また、国会議員を通して利権を持っている人たちにも、脅威なのかもしれません。
国をより良くするのではなく、利権をむさぼるだけの国会議員なら不要です。
名古屋市の河村たかし市長のような心意気を持つ人こそ、国会議員にふさわしいです。

民主党か自民党か、はたまた第三極か、という問題も大事ですが、
国民の基本的な権利である選挙権が正当に行使される、という根本的な問題は、
もっと大事なことだと思います。
住んでいるところによって、1級市民(一人1票)から5級市民(一人0.2票)というのは、
明らかにおかしいからです。
アメリカ合衆国では、1票対0.993票の選挙権の価値の不平等でさえ、
違憲・無効とされたそうです。
それなら、日本の現状は、革命に値するようなものではないでしょうか。
日本国民の大多数は、あまりにも、自分の正当な権利に無頓着といえます。
欧米では「沈黙は金」ではなく、「沈黙はバカ」だそうです。
黙っているのは、現状を容認しています、というメッセージを発していることになります。
一人一人が声を上げねば、現状は変わりません。

この意見広告は、「一人一票実現国民会議」という組織が出しました。
ぜひ、みなさんも、ご自分の選挙権の価値を1度確かめてみてはいかがですか?
一人一票」で検索してみてください。

2010年12月12日 (日)

ひとりのみどりごが(イザヤ9:5)【自作曲】

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、
「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。

(旧約聖書 イザヤ書9:5新共同訳)

クリスマスの時によく読まれる、
旧約聖書におけるキリスト降誕の預言の代表的な箇所ですね。

今回は、このテキストへの作曲を紹介します。
テキストは、上記のとおり、
旧約聖書イザヤ書9:5新共同訳です。
(新改訳等のプロテスタントの聖書では、9:6です。)

日本語のテキストでは、
驚くべき指導者」(新共同訳)、
不思議な助言者」(新改訳)等と訳されている箇所、
英語では、”Wonderful  Counsellor”と訳される事が多いです。
だから、「イエス様はすばらしいカウンセラー」である、ともいえるわけです。
心を病んでいる方にこの話をすると、「なるほど~」と納得する場合が多いですよ。
実際のカウンセラーにただ話を聞いてもらうのは、時間制限付で結構高い料金を支払います。
しかし、”Wonderful  Counsellor”なる方に、
「祈り」という形でカウンセリングを受けると、
時間制限はありませんし(24時間年中無休!)、
タダですし、最高の解決方法を見いだしてくださるはずです。

イザヤ書9:5(9:6)の箇所は、
ヘンデルの「メサイヤ」でもとりあげられ、すばらしい合唱曲の一つとして親しまれています。
英語のテキスト(KJV)で引用してみましょう。

For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.
(Isaiah9:6 KJV)

今朝起きて外を眺めると、雪景色が広がっていました。
わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。」(詩編51:9新共同訳から)とか、
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも 雪のように白くなることができる。
(イザヤ書1:18新共同訳から)
などの御言葉を想起しました。

雪は静かに降り積もり、街を白く染めます。
神の愛そのものであるイエス様も、静かにこの世に来られ、
いつの間にか世界を変革されました。
クリスマスの時期、キリスト降誕の神秘を、
イザヤ書などを通して、思いめぐらしてみませんか。

作品の解説に移ります。
この曲は10年以上前に与えられたものです。
高貴さの調、ホ長調の曲です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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2010年12月11日 (土)

NHK・ミューズの微笑み FEEL#10・木田金次郎美術館-北海道-(2010年12月11日再放送)

土曜日の午前中、テレビを何気なく見ていると、
NHK教育で、「ミューズの微笑み」という番組を放送していました。
各地のユニークな美術館を放送する番組です。
今回は、北海道・岩内町(積丹半島の方にあります。)の、
木田金次郎美術館を紹介していました。
私は、この美術館には残念ながらまだ行ったことがありません。
ニセコ方面に行った際に、美術館の前を素通りしたことはありますが・・・

木田金次郎(1893-1962)の名は、北海道で美術に興味がある人なら、
たいてい知っていると思います。
また、有島武郎の小説『生れ出づる悩み』の主人公のモデルとしても知られています。
私にとっては、正直言って、今までは彼の絵を観て心に響くものがありませんでした。
しかし、今回この番組を視聴して、木田金次郎の生き方の一途さを知り、
彼の作品に興味を持ちました。
木田金次郎美術館にも、いつか機会があれば、行ってみたいな、と思いました。

番組では、有島武郎との出会いと交流、
家業の漁師を捨てて絵に没頭したことと、
1954年の岩内大火により、作品のほとんどを焼失した後、
再び精力的に作品を描き続けたことなどを、
資料と家族へのインタビュー等で構成していました。
その不屈さは驚嘆しました。
彼の画風はゴッホとセザンヌを足して2で割って、荒々しい北海道風にしたもの、
という感じです。

番組HPは以下です。
木田金次郎の作品の一部も観ることができます。
http://www.nhk.or.jp/muse/p4_feel10.html
木田金次郎美術館」については、ぜひ検索してみてください。
下記サイトでは、木田金次郎をモデルにした小説『生れ出づる悩み』と、
木田金次郎について簡潔にまとめています。
番組中でも紹介していた、モイワの風景の写真もあります。
http://www.zusi.net/meisaku/umare/umare.htm

「ハイジ」実写版2作品

先日、TSUTAYAに行くと、オーストリア・西ドイツ合作による、
実写版の「ハイジ」を見つけました。
これは珍品!と思い、さっそく借りて、妻と一緒に観てみました。
1965年に制作されたもので、舞台は19世紀ではなく、
現代(といっても、制作された当時の・・・)になっていました。

クララがいるフランクフルトでは自動車が行き交い、
クララのお父さんはスーツ姿。
最後の方では、旅客機まで出てきます。
ロッテンマイヤーさんは、有能な美人秘書、といった感じ・・・
クララは印象が薄いです。
それよりも、原作からの変更点が大幅に多いことが気になりました。
たとえば・・・
クララが立てるようになるのが、フランクフルトでだったり・・・
(「アルプス関係ないじゃん!」とツッコミ入れたくなりますネ(*^-^))
ハイジがアルプスに戻るところで、映画が終ったり・・・
(ストーリー展開自体、原作のいくつかのエピソードの寄せ集めみたいなものです。)
ハイジ自体、デーテおばさんに「誘拐」されてフランクフルトに連れていかれます。
舞台を現代にしてみると、道義的な問題に気づいてしまった次第です・・・

ただ、この映画では、アルプスの風景がとてもすばらしいのと、
ハイジ役の少女がとてもかわいらしいのが、せめてもの救いといえます。
一応、白パンとソーセージとかのエピソードもありますよ・・・

「ハイジ」の実写版では、私は他に2種類観たことがあります。
一つは、2005年制作のイギリス映画です(後述)。
もうひとつは、小学生の時に、児童会館で観た記憶がある、というもので、
いつの映画(ドラマ)なのか、ちょっと不明です。
たぶん、アメリカものだったような・・・

2005年制作の「ハイジ」は、全体的に暗いトーンですが、
原作のストーリーをある程度きちんと描いています。
印象的なのが、ロッテンマイヤーさんを演じるジェラルディン・チャップリンさんの存在感です。
役としては最高かも・・・
ただ、難点は、隠れた名脇役といえる、背景のアルプスが、
険しく、気難しい印象で、景色を楽しめないことです。
それもそのはず、スイスやオーストリアで撮影されたのではなく、
東欧のスロヴェニアで撮影された、とのこと。
ストーリーとしては合格点ですが、背景で大きく減点かな、と思います。

ちなみに、「ハイジ」は過去に何回ぐらい実写映像化されたのでしょうか?
ウィキペディアの記事によると、9回とのことですが、
今回見つけたあるサイトによると、
スピンオフ的な作品も含めてなんと18種類にも及ぶそうです。
下記サイトにて、それらの映画の概要を説明しています。
http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file5_heidi/heidi_material/movie01.html
アルプスの少女ハイジという物語」というサイトの中の1ページです。
ハイジの原作や映画等の資料が豊富です。
http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file5_heidi/file500_heidi_top.html#Anchor255489

実写版を観ての結論は・・・
やっぱり、アニメ版の「アルプスの少女ハイジ」が世界的にみても最高!!!
ということでしょうか・・・
アニメ全編は20時間長なので、
比較のために劇場版とか、総集編で対比させたとしても、
アニメの方に軍配があがります。
「世界アニメ遺産」(というのはありませんが・・・)登録決定!

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2010年12月10日 (金)

NHK・クローズアップ現代「“再虐待”子どもたちを守れるか」(2010年12月9日放送)

12月9日放送のNHK・クローズアップ現代では、
“再虐待”子どもたちを守れるか」という題で、
深刻な児童虐待の問題について放送していました。
もうわが子を虐待しない、と誓ったはずなのに・・・
相変わらず繰り返される児童虐待。
児童相談所の取組についてスポットライトをあてている好内容でした。
番組HPから、放送内容を転載します。

子どもへの虐待を禁じた「児童虐待防止法」が施行されて今年で10年になる。社会の児童虐待に関する高まりと共に、児童相談所に寄せられる相談件数も増加の一途をたどり、昨年度は4万4千件を超えている。こうしたなか、いま深刻な問題になっているのが、いったん児童相談所で保護し、親への指導などを行った後に、再び子どもが虐待される「再虐待」が増えていることだ。NHKでは全国すべての児童相談所にアンケート調査を行った結果、去年1年間で8000人を越す子どもが「再虐待」にあっていることが初めて明らかになった。子どもの心により深い傷を残す「再虐待」を、なぜ防ぐことができないのか。これまで明らかにされてこなかった「再虐待」の実態を浮き彫りにし、対策を考える。

番組を視聴していて思ったことは・・・
児童相談所の取組だけでは、虐待、再虐待を防ぐことは不可能ということです。
もちろん、児童相談所の方々は非常な努力をしておられます。
頭が下がる思いでいっぱいです。
しかし、増え続ける虐待通報に対処しきれていない、というのが現状のようです。
法律上の壁もあります。
「虐待依存症」の親を防ぐのは、法律的な強制手段しかないのでは、とさえ思います。

番組の最後の方で、西澤 哲さん山梨県立大学人間福祉学部教授の西澤 哲氏が、
欧米の取組について少しだけ触れていましたが、
その部分をもう少し掘り下げた方が、
問題の解決に至らない日本での取組よりも、
根本的な制度改革につながるのでは、とも思いました。
虐待防止は、児童相談所だけではなく、
医療や福祉、教育などさまざまな分野の連携が必要です。

児童虐待の問題は単に「社会が悪い」、「教育が悪い」、「もともとの親のしつけが悪い」
などと単純化して考えることはできません。
複合的な要因が絡まって、虐待が発生するのです。

教育の面を考えれば、
最近安易な「できちゃった婚」が多く、また、安易な離婚や同棲により、
社会的に孤立した家庭が増え、それが児童虐待の素地になる場合が多いようです。
そのもともとは、
避妊の仕方とかしか教えない、偏向した性教育にも一因があるといえます。
(愛されていない子どもは、容易に性行動に走りやすい、との統計があります。)
また、あふれる性情報を興味本位で提示するだけのマスコミも大罪があります。
さらには、経済的な問題や、社会的つながりが希薄化していることなど、
虐待親自身の精神的疾患傾向とか、
考えるべき要因はいろいろあります。
とはいえ、「親も被害者なのだ」とか、「親もアダルトチルドレンなんだ」とかいっても、
問題の分析で終ってしまい、今苦しんでいる児童を救うことにはつながりません。
大切なのは、今、虐待を受けている子を救い出すことだけです。

悲惨な児童虐待を防ぐために、
簡単にできそうなことは(社会構造を根本的に変える、とかよりは「容易」という意味で)、
虐待親の一時的親権停止処分ができるように、民法を改正することでしょう。
子ども虐待防止運動を行っている「オレンジリボン運動」でも取り上げています。
http://www.orangeribbon.jp/info/npo/2009/12/post-91.php
(ぜひ、「オレンジリボン運動」で一度検索してみてください!)
部分的なものについては、最近のニュースでも報道さrています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101207-00000051-mai-soci
もうひとつは、教育において、性教育の際に、
「本当に愛しているなら、結婚するまで待つ」という教育を行うべきでしょう。
性の営みには、「責任」がつきものなのです。

アヴェ・マリアの祈り(試用版)【自作曲】

日本のカトリック中央協議会は、
現在の「聖母マリアへの祈り」の改定案として、
2010年12月8日(「無原罪の聖母の日」)に、
「アヴェ・マリアへの祈り」(試用版)を発表しました。
これはまだ「試用版」の域を出ないようですが、
おおむね、これで決まりなのかもしれません。
そのテキストは、以下のとおりです。
前半部分が大きく変更されています。


アヴェ・マリア、恵みに満ちた方 、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子(おんこ)イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、罪深(ぶか)いわたしたちのために、
今も、死を迎える時も祈ってください。
アーメン。

(2010年10月8日 特別臨時司教総会にて試用承認)


ちなみに、過去のバージョンを紹介してみましょう。

(文語体~天使祝詞)
めでたし、聖寵充ち満てるマリア、
主御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終の時も祈り給え。
アーメン。

(『公教会祈祷文』[1958年5月15日発行]より)

(口語体~聖母マリアへの祈り)
恵みあふれる聖マリア、
主はあなたとともにおられます。
主はあなたを選び、祝福し、
あなたの子イエスも祝福されました。
神の母聖マリア、
罪深いわたしたちのために、
今も、死を迎える時も祈ってください。
アーメン。

(『日々の祈り』[1993年9月15日発行]より)

口語体の「聖母マリアへの祈り」を改訂したいきさつについては、
カトリック中央協議会のサイトを御覧ください。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/20101208.pdf

私の感想としては、
確かに「アヴェ・マリア」という語は、
広く日本でも知られているとはいえ
(シューベルトのドイツ語の曲や、
バッハの平均律クラヴィーア集第1巻第1曲に、グノーがメロディラインをつけたものが有名ですね。)、
その部分をあえてラテン語表記する必要があるのかな、
というところが気になりました。
それなら、そのうち「神」も「デウス」(ラテン語読み)と表記するのでしょうか?
キリシタン時代みたいですね・・・
文語訳の「めでたし」の方がまだマシだと思います。
決定版ではとはいえ、日本の多くのカトリック教徒に愛唱されるものですから、
慎重な配慮を願うばかりです。

「アヴェ・マリア」のところの新約聖書の根拠は、ルカ1:28です。
天使は、彼女のところに来て言った。
おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。
」(新共同訳)
(※新改訳でも似たような表現です。)

とはいえ今回は、この試用版テキストに基づく作曲を紹介します。
「出来立て」です(*^-^)
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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2010年12月 9日 (木)

「サマリアの女」でストップせずに・・・過度な聖母・聖人崇敬の弊害

ヒルティの名著『眠られぬ夜のために』第二部の、
「十二月九日」のところには、このような記事があります。

 永いあいだに徐々に成立した聖母マリア崇拝を、カトリック教徒からふたたび奪いとることはできないし、またプロテスタントの信者にそれを強制することもできないであろう。このことが、教皇制とならんで、両教会の合一をさまたげている主な原因である。ほかのすべてのことは、現代では、まことのキリスト者なら、一致しうるであろう。そして今日、両教会のなかで多くの人びとが、なかば無意識に、十六世紀の宗教改革を、このような合同改革の趣旨で修正しようという考えに傾いている。しかし、(カトリックにあっては)聖母崇拝というのは、プロテスタントの救世主にたいする非常に親しい関係にかわる、埋合せなのである。というのは、カトリック教徒にとっては、救世主はもはや特別な人格を意味しないからである。そこで、彼らは別のだれかを必要とする。なぜなら、真に親しい愛をともなわぬ信仰はひとの心を満足させないし、また悟性にとっても常に薄弱な存在でしかないからである。最後に、教皇制であるが、これは、ちょうど聖アウグスティヌスやトマス・アクィナスがこころに描いたような教会、また、神にたいして純粋に個人的な、つまり集団的でない関係を決して持ちえない多くの人たちにふさわしい教会を徹底的に完成した制度だといえよう。だから、宗教改革でどちらの教派も勝利をおさめなかったのは、おそらくよいことであったろう。
(ヒルティ著『眠られぬ夜のために』第二部(岩波文庫)P.277~278から引用)

ヒルティはカトリックの信仰をかなり大目にみていますが、鋭く的確な分析ですね。
カトリックにおける聖母マリアの存在は、ちょっとやりすぎという面が否めません。
(なお、カトリックでは聖母や聖人は、「崇拝」ではなく、「崇敬」の対象です。
たとえカトリックといえども、信ずべきお方は、三位一体なる唯一のお方だけです。)

たとえば、「無原罪」。プロテスタントは当然認めませんが、
聖母を認めるハリストス正教会でも認めていません。
(そもそも、ハリストス正教会では、「原罪」というものを認めていませんが・・・)
これだと、聖母マリアはキリストよりすごい存在になってしまっています。
キリストとは別の「女神」みたいなもののようです。
(ちょうど、下の絵のような・・・「すべての民の御母」という御絵です。
キリストに代わって、聖母マリアが救世主になったかのような印象さえ与えます・・・)
Lady
聖母マリアは単独で尊い存在なのではなく、
キリストとの関係において独特な存在になるのです。

あるいは、「聖母・聖人のとりなしの祈り」。
神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、今も、死を迎える時も祈ってください。
(「聖母マリアへの祈り」から)
プロテスタント的にいえば、「祈ってください」と何十回も繰り返し聖母に祈るよりも、
自分が直接神様に祈った方がいいのでは、とさえ思います。
神様直通の「祈りのホットライン」を築くことの方が大事です。
(とはいえ、三位一体なる唯一なるお方を全面的に信頼できない段階での、
「方便」の価値はあるのかもしれませんが・・・)
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
(新約聖書テモテへの手紙Ⅰ 2:5新共同訳)

私は聖母や聖人たちを否定するつもりはありません。
しかし、あまりにも過度な聖母・聖人は、まことの信仰への妨げになると考えます。
それらは、ヨハネ福音書の「サマリアの女」(4章)にすぎないのです。
(「仲介者」というよりは、「協力者」というべきでしょう。)
肝心なのは、
わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。

(新約聖書 ヨハネによる福音書4:42新共同訳)ということです。
私自身、信仰の初期には、聖フランチェスコと聖母マリアの存在は大きかったです。
しかし、まことの救い主を個人的に知ることにより、
別な仲介者はあまり必要を感じなくなりました。
ちょうど、自転車に乗り始めの幼子にとっては補助輪が必要ですが、
あとは自分でバランスがとれるから、補助輪が必要なくなるように・・・
あるいは、誰かの仲介で、偉い人と知り合いになれたとして、
その後は、仲介者を通してではなく、直接、個人的に、
その人と親しくなることができるのと同じように・・・
神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21新共同訳)
すると、天使はわたしに言った。
『やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、
この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。』

(ヨハネの黙示録22:9新共同訳)
求めるべきは、神御自身「だけ」です。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

(ヘブライ人への手紙4:16新共同訳)

眠られぬ夜のために(第2部)

2010年12月 8日 (水)

映画「ペネロピ」~あるがままの自分を受け入れる

最近、障害者の方々についていろいろ調べていたときに、
この映画を知りました。

映画「ペネロピ」は、5代前の先祖の呪いを受けて、
生まれつき豚の鼻を持ってしまった女性の寓話的な物語です。
呪いを解くには、名家の出身の人との結婚。
しかし、求婚者たちはペネロピの豚鼻を見ただけで逃げ出してしまいます。
(窓を破って逃げ出す、という大げさシーン・・・)
そんな中、ペネロピはついに家出してしまいます。
町の中で、最初はマフラーをして醜い鼻を隠していましたが、
しまいには、自分からカミングアウトしてしまいます。
町の人たちは、最初は好奇の目で見ていましたが、
だんだん彼女は人気者になりました。

映画の終盤で、豚鼻の呪いは不思議にも解けてしまいます。
あるがままの自分を受け入れ、愛するようになったから、
障がいが障がいでなくなった、という象徴的なシーンです。

豚鼻の呪い、というのは、コンプレックスの象徴ともいえますが、
(もっと鼻が高かったら、もっと目が大きかったら、もっと背が高かったら・・・)
同時に、障がいの象徴ともいえます。
障がいですら、その人の「個性」として受け入れる必要と、
障がいを障がいとしない社会づくり、というのを、
このファンタジックな映画を見て、改めて思わされました。

 ペネロピ

2010年12月 7日 (火)

いじめ自殺報道の内幕

テレビのいじめ自殺報道はワンパターンで、被害者の親と学校という単純な対立構図で描き、まるですべての責任が学校側にあるかのように非難する。なぜこんな単純な構図の報道ばかりが流されるのか。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20101206-7360/1.htm
学校でのいじめ自殺報道の内幕、というべき記事を見つけました。
週刊ポスト2010年12月17日号のものです。
記事のタイトルは、『いじめ自殺報道が常に「学校=悪」の理由「叩きやすいから」』。
テレビ報道の歪んだ姿勢がはっきりと出ています。
ぜひご一読してみてください。

そもそも、いじめは、「学校で」起きたのであって、
学校が」いじめたのではありません。
例外的なものを除いて、教師自らがいじめに加担したわけでもありません。
(監督責任というのはある程度問われるでしょうが・・・)
いじめたのは、同じクラスの子たちであり、
法的には、その保護者が責任を負うべきものでしょう。
にもかかわらず、テレビ局等によるセンセーショナルな報道は、
一方的に学校が悪と糾弾するばかりです。
これでは、社会が「学校を」いじめているようなものです。
学校を裁くばかりでは、問題の解決にはほど遠いと思います。
裁かれるべきは、家庭のしつけのはずですが・・・

2010年12月 6日 (月)

NHK「名曲探偵アマデウス」・ヘンデル「メサイア」※付:「メサイア」のおすすめCD

今回の「名曲探偵」は、ヘンデルの「メサイア」でした。
よくぞこの曲を取り上げてくれた!とまず拍手!!!
私にとっては、クラシックの声楽曲で最も好きな曲が、「メサイア」だからです。

番組では、楽しい構成の中にも、「メサイア」の本質である、
キリストの降誕、受難と勝利(復活・再臨)についても短いながら、きちんと触れていました。
罪の問題さえも・・・
また、ゴスペルの立場から見た「メサイア」というのも実に面白い視点だと思いました。

有名な「ハレルヤ・コーラス」などの「栄光」の部分のみならず、
特に第20曲"He was despised"など、
「メサイア」の「受難」の部分もきちんと取り上げ、
十字架の御業との関連を語っていたのがうれしかったです。
音楽を通して、福音を語っているからです。

番組中での「メサイア」の演奏団体は、
鈴木雅明さん率いる「バッハ・コレギウム・ジャパン」でした。
超一流です!
どこのホールで収録されたのかよくわかりませんでしたが、
非常に音響効果のいいホールだと思いました。
合唱も凛とした響きがあって、とても美しかったです。
見逃した方はぜひ再放送を御覧くださいね。

「メサイア」は昔10種類ぐらい聴き比べをしたことがあります。
聴くポイントは、有名な「ハレルヤ・コーラス」(第39曲)と、
第三部冒頭、"I know that my Redeemer liveth"(第40曲)、
全曲の最後を飾る"Worthy is the Lamb that was slain"(第47曲)の3つです。
モダン楽器演奏では、ショルティ指揮シカゴ交響楽団他、
ピリオド楽器(古楽器)演奏では、上述の鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン他が、
とてもすばらしい演奏です。

ショルティ指揮盤(全曲)
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」


鈴木雅明指揮盤(ただしハイライト盤)
ヘンデル:メサイア(ハイライト) [Import]

ショルティ指揮の盤は、バランスがとてもいいです。
重たくなりすぎず、変に「宗教曲」を強調しすぎず、
快活なテンポできびきびと曲の魅力を浮き上がらせています。
「ハレルヤ・コーラス」では理想の演奏といえます。
また、ソプラノのキリ・テ・カナワさんのクリーミーな声もステキです。
鈴木雅明さん指揮の盤は、「本場」のヨーロッパよりも「本場」といえます。
なぜなら、「魂」、「精神性」をすごく感じるからです。
たいていの古楽器演奏のは、ただの軽やかな音楽、で終っています。
「昔はこういう演奏だったんだ。へぇ~」・・・それでおしまい。
しかし、鈴木雅明さん指揮の盤は違います。
信仰者の響きがあります。

鈴木雅明さん指揮の盤では、「ハレルヤ・コーラス」は少人数なので、
迫力がやや物足りないですが、
(「ハレルヤ・コーラス」に限っていえば、
古楽器盤では、ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンのが、
ユニークな表現で魅力的です。⇒現在、絶版・・・)
"I know that my Redeemer liveth"では、
ソプラノの純白の歌声が天上的な響きを醸し出しています。
なお、私は全曲版よりは、むしろ抜粋版の方が好きです。
さすがに2時間半は長いので・・・

モダン楽器演奏では、カール・リヒター指揮ロンドン・フィルのを評価する人も多いですが、
ヘンデルがバッハになってしまったような、重苦しい演奏です。
バッハでは最高なのですけど・・・


カール・リヒター指揮盤(ジャケットがダリの絵・・・)
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」(英語版)

逆に、鈴木雅明さん指揮のは、「本業」のバッハ演奏よりも、
上述の「メサイア」やモーツァルトの「レクイエム」などの方が、
説得力があるように思えます。
(これは脱線でしたね・・・)

日本では、12月といえば「第9」が定番ですが、
欧米では「メサイア」が定番です。
12月と「第9」は、まったく関係がありませんが、
「メサイア」とクリスマスは密接な関係があります。

ハレルヤ
全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。
」(ヨハネ黙示録19:6)
この世の国は、我らの主と、
そのメシアのものとなった。
主は世々限りなく統治される。
」(ヨハネ黙示録11:15)
王の王、主の主」(ヨハネ黙示録19:16)
(引用はすべて新共同訳)
「ハレルヤ・コーラス」の歌詞の聖書箇所です。

「ハレルヤ・コーラス」だけなら合唱団で何度か歌ったことがあります。
「メサイア」は、私にとって、特に作曲面で大きな影響を与えています。
聖書の言葉だけで美しく、ドラマティックで表現力ある讃美の歌を作りたい、
というのが、私の願いです。

2010年12月 5日 (日)

NHK・「永遠のヒロイン その愛と素顔『ビビアン・リーを探して』」(2010年12月4日再放送)

ヴィヴィアン・リーといえば、映画「風と共に去りぬ」。
その実生活は、まさに映画のスカーレットそのものといった印象さえ受けます。
(番組タイトルでは「ビビアン」ですが、
以下、タイトル、引用を除き「ヴィヴィアン」で統一表記します。)

NHKハイビジョンで、12月4日に、
「永遠のヒロイン その愛と素顔『ビビアン・リーを探して』」という番組を再放送していました。
先週の月曜日に放送された際にも、途中から視聴しました。
今回も始まって15分ぐらいのところからの途中視聴です。

番組の内容については、NHKの番組表から引用します:

「風と共に去りぬ」のスカーレット役でトップ女優の座をつかんだビビアン・リー。美しさゆえに、はかなく、名優ローレンス・オリビエとの愛に破れ、晩年は肺結核と、そううつ病に苦しみ、悲劇の最後を遂げたとされる。しかしビビアンは、本当に悲劇のヒロインだったのか? 最後まで「スカーレット・オハラ」を背負い続けたビビアン・リーの愛と苦悩の日々を、彼女の血を受け継ぐひ孫ソフィアの心の旅を通して描く。

ヴィヴィアンのひ孫、ソフィアさんが、ヴィヴィアン・リーの姿をたどる、というこの番組、
これ自体が、1本のドキュメンタリー映画のような構成になっています。

ヴィヴィアンの生涯そのものが、まるで映画のようです。
インドでの裕福な生活、修道院の寄宿舎で育った学童期、
結婚と出産に溺れず、夢を追い求め、ついに映画デビュー。
生涯の最愛の人といえるローレンス・オリヴィエとの出会い。
劇的な、「風と共に去りぬ」スカーレット役への大抜擢。
ローレンス・オリヴィエとの結婚生活と破綻、病との闘い、
そして晩年の幸福・・・
事実は小説以上に、映画以上にドラマティックでした。

番組の最後の方では、ヴィヴィアンの事実上最後の夫(結婚はしていませんでしたが)、
俳優ジョン・メリヴェールとの穏やかで幸福な日々についても語られていました。
ジョン・メリヴェールの名は今回初めて聞きましたが、
ヴィヴィアンへの献身的な愛にはとても感動しました。
死ぬまで、ヴィヴィアンは前夫ローレンス・オリヴィエの写真を身辺に置いていたり、
時折精神的な発作が起きたりと、普通なら愛するのが難しいはずですが、
彼はあるがままのヴィヴィアンを受け入れていました。
ヴィヴィアンも穏やかな晩年を送ることができたようです。
すばらしい愛情の持ち主だと思いました。

ヴィヴィアン・リーの映画は、
「風と共に去りぬ」は10回ぐらい観ています。
後は、「哀愁」を2回ほど、映画館で観ています。
その他の映画は残念ながらまだ観ていません。
機会があれば・・・

風と共に去りぬ

2010年12月 4日 (土)

映画「亀は意外と速く泳ぐ」

上野樹里さん主演のコメディ映画、
亀は意外と速く泳ぐ」が、12月3日深夜に放送されていました。
たまたま起きていたので、ちょっとだけ観るつもりだったのが、
ついつい全部観てしまいました。
観終わったら午前3時・・・(CMがやたら多いので、かなり引き延ばされていました。)
「♪わかっちゃいるけどやめられない」みたいなものデスネ(^-^;

普通の専業主婦(夫は単身赴任中)で、
日頃から「影が薄い」主人公、「片倉すずめ」が、
あるきっかけで、「スパイ募集」の広告を見つけます。
スパイの仕事は「平凡に暮らすこと」!
そうなると、「平凡であること、目立たないこと」が、
スリルとサスペンスに満ちたものになります。
スーパーで買い物をするのも、福引を引くのだってドッキドキ・・・
映画終盤には、ついに主人公が目立つ存在になってしまいます。

主人公のまわりの人たちは、「影が濃い」人ばかり。
蒼井優さん演じる友人の「扇谷くじゃく」は最たる存在。
ド派手でぶっとんだ役です。
ラーメンを「そこそこの味で」作り続ける(おいしすぎると目立つので・・・)店とか、
公園で50人くらいで不思議な体操をする公安警察とか、
小ネタが満載です。
セリフで笑わせる、というよりは、
妙な人たちを組み合わせるアンサンブルの「ずれ」から生じる笑いですね。
また改めて観てみたいと思いました。

さすがに妻は途中で観るのをリタイア・・・
私も、終りごろはかなり眠かったですよ。

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2010年12月 3日 (金)

映画「魔法にかけられて」~「よろこびの魔法」をかけられてしまう傑作

12月3日に、日本テレビ系の「金曜ロードショー」で、
ディズニー映画「魔法にかけられて」を放送していました。
既に妻と一緒に映画公開時に観ていますが、
改めて観ても、その面白さ、楽しさ、すばらしさは色褪せていませんでした!
今回も、妻と一緒に爆笑しながら観ていました。

全編、過去のプリンセス・ストーリーのパロディが満ちあふれていて、
それらが現代の現実世界に移し変えられると、
なんともコミカルな場面になってしまいます。
特に、エドワード王子はほとんど道化役!
(そういえば、おとぎ話の王子様と王女様は、「デート」なんかしませんね・・・)

現実に打ちひしがれていて、夜空の星を見るのを忘れているような人にこそ、
観るのをおすすめしたい作品です。

映画の中で一番楽しいシーンは、
ニューヨークの公園がディズニーランドみたいな、
ハッピー空間に変えられてしまう、
想いを伝えて(That's How You Know)」が歌われるところです。
いかにもディズニー、いかにもミュージカル、といった醍醐味があります。

おとぎの国の世界とは違った世界でも、
常に幸福感を忘れない、主人公ジゼルのような人は魅力的ですね。
映画を観ているだけで、なんともいえない幸福感に包まれる2時間でした。

実写とアニメの共演といえば、
やはりディズニーの名作「メリー・ポピンズ」を思い出します。
あの映画から40年以上も経つと、技術の進歩・発展を感じますね・・・
(「メリー・ポピンズ」も大好きな映画の一つです。)

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2010年12月 2日 (木)

隠れた名脇役、小樽・・・映画「Love Letter」(岩井俊二監督作品)

数年前から、折あるごとに、
妻は、「映画『Love Letter』はとてもロマンティックな作品なので、
一緒にぜひ観たい」、と言ってました。
しかし、レンタルビデオ店ではなぜか置いてなく、
かといって、わざわざ高いDVDを買うまでもないなぁ・・・と思いながら、
観る機会がありませんでした。
たまに、テレビ放映していたようですが、
見逃していました。
ようやく今年の7月頃、レンタルビデオ店(GEO)で見つけましたが、
1995年の映画なのに、なぜか新作扱い・・・
もうしばらく待つことになりました。
そしてようやく最近、
新しくできたTSUTAYAでついにこの映画のDVDを借りる事ができました・・・

岩井俊二監督の作品では、「四月物語」と「花とアリス」を観たことがあります。
どちらも、すてきな作品なので、
傑作として知られる「Love Letter」を観る期待は高まりました。
期待にたがわぬすばらしい作品でした!
この映画は、香港では知らない人がいない、と言われるほど。
今日、小樽が中国、台湾、香港、韓国等からたくさんの外国人を迎える理由は、
この映画の影響が大きいと言われています。
日本よりも伝統的な貞操観念が強い国だからこそ、
この純愛物語が大いにうけたのでしょうね。

映画では、中山美穂さんが一人二役を演じ、
それぞれ多彩な表情を魅せています。
リンカーン大統領の名言をもじって言えば、
この作品は、
「中山美穂の、中山美穂による、中山美穂のための映画」といえます。

映画の中では、3つの恋が対照的に描かれます。
一つは、神戸の渡辺博子と藤井樹の恋。
もう一つは、渡辺博子とトヨエツ演じる秋葉茂との恋。
最後が、小樽の藤井樹(女)と藤井樹(男)との、
中学時代のきわめて淡い恋(恋愛未満)・・・

神戸の恋の方は、セリフの中に少し現われるだけで、
具体的に、どういうものだったのか、まったく描かれていません。
映画の時点での「今」の恋は、濃厚なキスシーンが一つあるものの、
それほど重要なところではありません。
一番印象に残るのは、やはり2人の「藤井樹」の中学時代のところでしょう。
二人は「告白」はおろか、手をつなぐことすらありません。
それでも、想い出の中で美しい記憶として輝いています。
ラストシーンのところは特にすばらしい演出だと思いました。

勘違いから、全然接点のない神戸の渡辺博子と小樽の藤井樹の文通が始まります。
ここのところは、時代の流れを感じさせます。
相手からの手紙を待ちわびる1週間・・・
待ち遠しくも、ワクワクするような時間の流れです。
今のメール時代とは大違いです。
「待つ」ことで「熟成」されるものも多いと思います・・・

有名な「お元気ですか~」と山に叫ぶシーンと、
小樽の藤井樹が高熱で倒れ、病院に運ばれるものの、回復するエピソードは、
死と復活(再生)を象徴するようなところかな、と思いました。

映画全体では、セリフは控えめで、「余白」がいろいろあるところが、
すばらしい余韻をもたらしています。

また、タイトルに書いていますが、
隠れた「名脇役」といえるのが、舞台となった小樽市そのものです。
私は小樽が好きで、なんども行っていますが、
この映画を観て、また新たな魅力を発見できました。
残念ながら、主人公の藤井樹の家とされた民家は、
2007年5月の火事で消失した、とのことです。
小樽市で、なんとか復元してくれないのでしょうか・・・

映画に関するサイトでは、ロケ地詳細など、大いに参考になります。
おすすめは2つです。
・Love Letter ロケ地ガイド
http://loca.ash.jp/show/1995/m1995_loveletter.htm
・映画の生まれた舞台を歩く 小樽編 「Love Letter-喪失と再生の物語」
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200409/sp_01.html

ところで、冒頭に出てくる中山美穂さんは、
どちらの役を演じているのでしょうか?
上記のロケ地ガイドでは、「渡辺博子」の方だ、と書いていますが、
ロケ地は小樽なので、藤井樹なのでは、と思います。
ただ、冒頭のシーンは他のシーンにつながらない(かな?)と思いますので、
どちらの役であってもいいのかな、とも思いました。

折りあるごとに、また観たくなるような、すてきな映画でした・・・

Love Letter

四月物語

花とアリス

2010年12月 1日 (水)

シベリウスによるクリスマスの讃美歌~喜びはむねに(讃美歌21・271番)※midi付

いよいよ12月、師走です。
一年が経つのは早いですね・・・

昨日の朝、窓の外はクリスマスを思わせるような雪景色でした。
その光景を見ながら、私の頭の中で響いてきたのは、
今回紹介します讃美歌「喜びはむねに」です。
作曲者を見るとあの「シベリウス」の名が・・・
讃美歌21独自採用のものとしては、とても好きな讃美歌です。
雪景色の中、厳かなクリスマスを迎える北欧のイメージがあります。
(讃美歌第三編といえる「ともにうたおう」42番として採用されていますが、
讃美歌21と若干歌詞が異なります。讃美歌21の方がすばらしい歌詞です。)
歌詞を引用してみましょう。

(1番)
喜びはむねに 満ちあふれる、
あまりに大きい この恵みよ。
神のひとり子が この世に生まれて
わたしの兄弟となられたから。

(2番)
悲しみうれいに 沈むときも、
ささえてくださる 神の恵み。
み子なる主イェスは 神のみもとから
愛のまなざしで みまもられる。

(3番)
主イェスを離れて ただひとりで
どうしてわたしは 生きられるか?
はかりも知られぬ 深い罪さえも、
主イェスの恵みは おおい包む。

(4番)
喜びはむねに 満ちあふれる、
すべての人々 主をあがめよ。
栄えの座を捨て 神のひとり子は
馬槽
(うまぶね)のなかに 身を置かれた。

歌詞を読むだけで、じ~んと来てしまいそうです。
ご降誕の神秘のみならず、フィリピ2章の「ケノーシス」をも連想させます。
神が人の姿となってこの地上に来てくださった事を、"Incarnation"(受肉)といいますが、
日本語では「受肉」というとなんとなく響きが悪く、
それよりは、カトリックの古い用語の「託身」という語の方がふさわしいですね。

1番の歌詞に出てくる「わたしの兄弟となってくださった」という言葉から、
ヘブライ2章に3回出てくる「兄弟」の言葉の重さを思います。
事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、
すべて一つの源から出ているのです。
それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、
「わたしは、あなたの名を/わたしの兄弟たちに知らせ、
集会の中であなたを賛美します」と言い、
(中略)
それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、
民の罪を償うために、
すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。

(新約聖書 ヘブライ人への手紙2:11、12、17新共同訳)
ヨハネ福音書では、荘厳な響きでこの事実を伝えています。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

(新約聖書 ヨハネによる福音書1:14新共同訳)

ムードに流されるクリスマスではなく、
神の独り子がこの地上に来てくださった神秘を静かに思い巡らすクリスマス・・・
そうありたいものですね。

この曲を知ったのは、日本キリスト教団の讃美歌21のCDだったかな、
と記憶していましたが、改めて調べてみると、記憶違いでした。
(讃美歌21のクリスマスCD《現在、2枚あります。》には含まれていませんでした。)
青山学院大学聖歌隊による、ミクタムレコードから出ていたCDでした。
『「イエスはうまれた」 青山学院大学聖歌隊 -クリスマスキャロル集-』というCDでした。
(だいぶ前に誰かに貸してから、散逸しました・・・)
残念ながら、現在、入手困難のようです。
発声などは、プロの合唱団レベルには及びませんが、真摯な歌い方が特長でした。
概要については、ミクタムレコードのHPで確認できます。
http://www.michtam.com/lineup_will01.html

シベリウスの曲による讃美歌としては、
交響詩「フィンランディア」の美しい中間部を利用した、
やすかれ、わがこころよ」(讃美歌298番、讃美歌21・532番)があまりにも有名ですが、
この「喜びはむねに」も隠れた名曲です。
メロディもさることながら、歌詞が秀逸です。

歌詞だけのPDF版と、伴奏付のmidi版を用意しました。
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20101201_sibelius_no271.MID」をダウンロード

「20101201_sibelius_no271.pdf」をダウンロード

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