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2010年10月27日 (水)

いじめ自殺報道と、報道に価しないような教育ニュース

またまた、いじめによる自殺なのでは、という事件が報道されています。
事件そのものは大変気の毒とは思いますが、
こういう報道が、次の自殺の連鎖につながるというのを、
いつになったら日本のマスコミは悟るのでしょうか?
正義の味方面して、かえって害毒を撒き散らしているようなものです。
精神科医の和田秀樹氏が、名著『テレビの大罪』(新潮新書)にて、
自殺報道が自殺をつくる」という題で一章を割いています。
興味がある方はぜひお読みください。
少し引用してみましょう。


 「いじめ自殺」が起きると、ワイドショーやニュースはその話題で持ちきりになります。そこではいじめが自殺の原因と断定されますが、いじめられている人はそれこそ万単位でいるはずなのに、「いじめ自殺」とされる自殺は年間10件くらいです。いじめられた時にうつだったとか、家庭が崩壊していて相談相手がいなかったという、いじめ以外の背景に触れることなく、なんでもかんでもいじめのせいにするというのは実に短絡的と言わざるをえません。
 基本的にマスメディアには自殺誘発効果がありますが、もっとも誘発されやすい年代は青少年です。それなのに、「いじめ自殺」に関する報道は自殺報道のなかでも特にセンセーショナルで、「これなら自殺しても当たり前」と言わんばかりの論調です。さらに遺影や葬送の風景、涙する人々がこれでもかと映し出され、悲劇性をあおります。(これだけは多少改善されましたが)ほとんどの場合、自殺した少年たちは実名で報道されました。こうした個人情報を開示しておきながら、背景に潜む心の病について触れることはありません。日本の社会、なかでもテレビにおいて、心の病について指摘することはタブーになっているからです。自殺を予防したいという気持ちが少しでもあるならば、「私もつらかったけど、頑張ってよかったです」というようなケースこそ紹介しなければなりません。どれだけいじめられても、多くの人は自殺していないのですから。

(和田秀樹著『テレビの大罪』P.164~166から引用。)
※この文章は、WHO自殺報道ガイドラインと照らし合わせて、
いかに日本のマスコミ報道がそれから逸脱しているかを指摘しているものです。
原文では、どの部分に抵触するかという数字が書いてありますが、
引用においては割愛しました。悪しからず・・・


最近、Yahoo!Japanで素晴らしい記事を読みました。
「フィンランドの自殺率は、なぜ半減したのか」というものです。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/lifestyle/4917/4.html
自殺報道に関係する要点を記事から引用します。


また、自殺と関連するマスコミの報道自制問題も重要視された。自殺予防プロジェクト委員会の報告書には「自殺は、たとえて言うなら静かな水面に向けて石を投げ入れるようなもの」と書かれている。一人の自殺者によって周囲に大きな波紋が広がり、やがてそれが社会全体に行き渡るという意味だ。

フィンランド国内のマスコミも予防プロジェクトに協力した。自殺願望を誘発し、社会的に波紋を呼びそうな自殺報道を自制したのだ。個人の死亡ニュースを伝えるときも「自殺」という単語を使用せず、その経緯も報道しないという原則を立てた。

86年から97年までの10年以上にわたる自殺予防プロジェクトは、多大な効果を生んだ。90年に10万人あたり30人だった自殺率は毎年低下し、05年には10万人あたり18人に、08年には同16.7人にまで減った。世界第3位だった「自殺大国」としての順位も13位に落ち、フランスやオーストリアと同等の水準にまで回復。「自殺大国」としての汚名を返上することに成功したのだ。


日本だって、できるはずです。
自殺報道についてマスコミが自主規制するか、
それが無理なら、法律上での規制を求めたいものです。
年間3万人の死者数という「静かな戦争」の犠牲者を、少しでも減らすためにも・・・

あと、最近、教育関係でどうでもいいようなニュースが目だっているような気がします。
テストでとんでもない問題を出したとか、変な替え歌を歌ったとか・・・
つくづく不寛容な時代ですね・・・
愚かな教師は確かに問題ですが、新聞等で報道するような内容なのでしょうか。
教員の資質向上はぜひとも必要ですが、
マスコミがことさら教員を貶めるような報道を取り上げて、
教員への信頼感や尊敬の念を失わせているのが、
今日の教育問題悪化の原因になっているのではないでしょうか。
(もちろん、教員も教育技術を伸ばすよう絶えず努力すべきですが・・・)

以前、内田樹氏の『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)を読んだことがあります。
先生はナゼえらいのか、それは、先生が優秀だからではなく、
結局、生徒(弟子)がえらい、と思うから。リスペクトがあるからです。
(私なりのまとめ方ですが・・・)
代金との等価交換みたいな形で、「学ぶ」ことは無理でしょう。
尊敬や憧れの念があって、「学ぶ」という行為は成立するのではないでしょうか。

テレビの大罪

先生はえらい

(※2010年10月28日追記)
上述の和田秀樹氏が、2010年10月28日のブログで、
『「教師」問題』と題して、興味深い記事を書いています。
http://ameblo.jp/wadahideki/day-20101028.html
その中から、印象に残った箇所を引用します。

いずれにせよ、この手のことは、もう少しきちんと背景情報を調べて報道しないと、学校側も混乱するだけだし、それ以上に「冤罪」で、一人の教師の社会的生命を断ってしまうこともありえる。
警察の冤罪はボロクソにたたくくせに、自殺者もたくさん出して、人の社会的生命を断つような報道は平気で行う。
学校の教師というのは、たたくほうの聖域になっているようで、被害者を大量に出す詐欺事件でも、詐欺の疑いのある会社の実名は絶対に出さないし、行う人間にもモザイクをかける。警察が逮捕するまで、匿名報道を続ける。
しかし、今回のセクハラサイコロであれ、不適切クイズであれ、警察沙汰になったわけでないのに、事実上、行った人間が特定できる報道を重ねる。
教師をたたくのは、簡単だが、それで教師が本来の仕事ができなくなったり、教師をやめる人間が続出したり、教師がうつになったり自殺したりでは、教育レベルが下がって当然だ。
「問題」教師より、「問題」教師のフレームアップのほうがよほどテレビの大罪である。

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