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2010年8月 4日 (水)

「総合学習は『息抜き』?」~読売新聞2010年8月3日朝刊記事

読売新聞の8月3日朝刊・社会面に、気になる記事がありました。
「学力考 第3部  明日の授業5  「総合学習は『息抜き』?」というものです。
(読売新聞のサイトで記事が掲載されていないか調べましたが、
載っていないようです。)

記事は、2002年から導入されている「総合的な学習の時間」(以下、「総合」と略記)
についてのものです。
タイトルは、記事中にある東京の男子中学生のコメントからです。
総合の半分くらいは息抜きの時間。5段階評価もないから気楽。
(記事から引用)
記事の3分の2は、「総合」への否定的な面を、
残り3分の1で、肯定的な面を書いています。
ゆとり教育の目玉商品だったものが、今や現場のお荷物状態になっていることを、
的確にまとめています。

21世紀的な学習に必要なものは、
「知識を使いこなす力」であることは、疑いようがありません。
そういう意味で、「総合」そのものは、力がある教師が適切に取り扱うなら、
十分に意義があるものなのでしょう。
しかし、実態は、そんな教師はなかなかいないはずです。
(何百人、何千人、あるいは何万人かに1人くらいの教師だけでしょう・・・)
そもそも、「国際理解や情報、環境、福祉」といったテーマの例示だけで、
教科書がないのですから、教師にとってもかなり負担なのではないでしょうか。
「壁新聞作り」とかの、たいして教育的効果がないようなもので、
お茶を濁す程度の「実践」があふれているようです。
文部科学省でさえ、来年度からは「総合」の割当時間を削減する予定です。

記事の中では一応、「総合」に肯定的な実践例がきちんと書かれていますが、
よく考えると、別に「総合」でなくてもいいのでは、とさえ思います。
「理科」とかの「教科」でも十分教えられるのではないでしょうか。

フィンランド式の教育を本格的に導入するならいざ知らず、
今の日本の教育においては、「総合」は不要か、
どうしてもやりたいなら、「特別活動」の一部に組み入れる程度でいいのでは、
と考えます。
中途半端な「総合」よりも、基礎学力を保障する、
「読み書き計算」を重視した教育に戻してほしいものです。
「知識を使いこなす力」(応用力)は、しっかりとした基礎があってこそ発揮できます。
公教育への不信感が高まっている時だからこそ、
ゆとり教育の負の遺産、不良債権を「処理」してほしいものです。

少々古い本ですが、
苅谷剛彦氏の「なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88) 」と、
教育改革の幻想(ちくま新書)」は、
ゆとり教育に至った教育改革そのものを考えるのに非常にいい本です。
「ゆとり」か「詰め込み」か、という二者択一、観念論ではなく、
あくまでデータに基づいて論じていますので、
説得力があります。
「総合」についても考察されていますよ。

なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88)

なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88)

著者:苅谷 剛彦

なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88)

教育改革の幻想 (ちくま新書)

教育改革の幻想 (ちくま新書)

著者:苅谷 剛彦

教育改革の幻想 (ちくま新書)

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