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2010年6月26日 (土)

幻がなければ・・・(箴言29:18)

幻がなければ民は堕落する。
教えを守る人は幸いである。
(旧約聖書 箴言29:18新共同訳)

以前所属していた教会で、この箇所からの説教を聴いたことがあります。
ここでいう「幻」とは、「幻影」とか「漠然とした夢」ではなく、
いわゆる「ヴィジョン」です。
VIP聖書(現代訳=尾山令仁訳)では、この箇所を、
ヴィジョンが無いと、
人々は自分勝手なことをやりだす。
御言葉を守る人は幸いである。」と訳しています。

ちなみに、他の訳も参考までにあげておきましょう。
(新改訳)
幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
しかし律法を守る者は幸いである。

(口語訳)
預言がなければ民はわがままにふるまう、
しかし律法を守る者はさいわいである。

(文語訳)
默示なければ民は放肆(ほしいまま)にす
律法(おきて)を守るものは福(さいわい)なり

(バルバロ訳)
神の示しがないと、民衆は手綱をはずす、
教えを守る人は、幸せである。

バルバロ訳では、この節に、
『神の示し』とは預言者の働きのことである。
『教え』は預言者の教え、または律法のこと。
」という註をつけています。

旧約聖書における「幻」とは、要約して言えば、
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。」(旧約聖書 申命記6:5新共同訳)
そして、神に従い、神の律法を守ることでした。
しかし、いつの間にか、イスラエルの民は偶像を欲し、
神の教えから離れ、自ら滅びを招きました。
「幻」を見失ってしまい、
手っ取り早い、目に見えるものに頼ってしまったからでしょう。

ところで、現代日本における「幻」とは何でしょうか?
かつての「幻」は、「高度成長」であり、「学歴社会」、「一億総中流」などでした。
今はどうでしょう。
いつのまにか、「幻」がなくなり、
代わって、「○○手当て」などの刹那的な「偶像」がはびこっている・・・
旧約聖書の言葉を引用すると、
そのころ、イスラエルには王がなく、
それぞれ自分の目に正しいことを行っていた。
(旧約聖書 士師記21:25新共同訳)
「イスラエル」に「日本」を、「王」のところに、
「(あるべき)ヴィジョン」を入れてみれば、
ぴったりしています。

選挙向けの「マニフェスト」(羊頭狗肉的・・・)ではなく、
20年後、30年後を見据えたような「幻」を語る政治家が出てきてほしいものです。

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