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2010年4月 1日 (木)

これはわたしのからだ、契約の血(マタイ26:26~28)【自作曲】

今年の「聖木曜日」は、4月1日ですね。
聖木曜日といえば、「最後の晩餐」ですね。
聖餐式(プロテスタント)・聖体拝領(カトリック)・聖体礼儀(正教会)の制定日です。

プロテスタントでは、聖餐式はあまり重要視されないところが多く、
せいぜい、月に1回程度実施、なんていうところが大半のようですね。
聖餐式よりも、説教が中心だからなのでしょう。
ほとんど行なわなかったり、半年に1回程度、というのもあるそうです。
これは残念なことだと私は考えます。
イエス様と一つになる、兄弟姉妹と一致する、というのが、
聖餐式の大きな目的だからです。
(教派の伝統よりも、聖書に立ち返って、毎週行なっているところもあります。)
一方、カトリックでは、毎週、いや毎日のミサの中心は、聖体拝領です。
私はこちらの方が、聖書に忠実だと考えます。
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、
パンを裂くこと、祈ることに熱心だった。

(新約聖書 使徒言行録2:42新共同訳)とあるからです。
ただ、「聖体拝領すればOK」で、
拝領後は教会からさっさと帰り(交わりの拒否)、
聖書を読まないし、祈りもほとんどしない、というのは感心しません。
聖体拝領は、予防接種のワクチンではないのですから・・・
むしろ、イエス様と共に歩むことを想起することが大事で、
イエス様と共に、愛によって歩む信仰が大切なのです。
あと、「拝領」というのは、イメージ的に、「私と神」ばかりの気がします。
"commuion"の意味をきちんととらえていないのではないでしょうか・
キリストの御体、御血をいただく、というのは、
神との一致ばかりではなく、兄弟姉妹との一致もあるのです。
「私と神」との関係は、確かに一番大事ですが、
神を通しての「兄弟姉妹との一致」も大事なのです。
わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。
兄弟を愛しているからです。
愛することのない者は、死にとどまったままです。
(新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ3:14新共同訳)
『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、
それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、
目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。
これが、神から受けた掟です。
(新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ4:20~21新共同訳)

(この話題は、論争が絶えないものなので、このぐらいにしましょう・・・)

前置きが長くなりましたね。
今回紹介するのは、イエス様が、パンと葡萄酒を、
わたしのからだ、わたしの契約の血」と言われたところをテキストにしています。
テキストは、マタイの福音書26:26~28新改訳の、イエス様の言葉の部分です。
短調の曲です。
最後の方は、臨時記号(♯)が何箇所か出てきます。
J・S・バッハは、曲中で♯を象徴的に「十字架」、
「受難」として使うことがよくあったそうですが(特に「マタイ受難曲」)、
私においても、そんなイメージが少しあります。

一般に、食事を共にする、というのは、親しさの表れですね。
当時、ありふれたものであったパンとぶどう酒を、
神との一致、兄弟との一致の表われ、として定められた、
イエス様のすばらしさを讃えずにはいられません。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

「20100401_matthew2626no01.MID」をダウンロード

「20100401_matthew2626no01.pdf」をダウンロード

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