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2010年2月13日 (土)

脳とソフトウェア

前回の記事の補足的な内容です。

パソコンがどんなに優秀なスペックを持っていたとしても、
たとえば作曲のソフトがインストールされていなかったら、
パソコンを使って作曲することはできませんね。
少なくとも、一般の人にとっては。
もしかしたら、プログラマーの方がみなさんの中にいて、
自分で作曲用のプログラムを作成できるかもしれません。
しかし、それをもって、「作曲ソフトは不要である」と結論するのが暴挙ですよね。
作曲ソフトを使う人はかなり特殊な人でしょうから、
もっと一般的な、WORDやEXCELならいかがでしょうか?
WORDやEXCELをまったく0から一人でプログラミングできる人が、
世界に1人かあるいは100人ぐらい出たからといって、
WORDやEXCELの価値がなくなるでしょうか?

ちょっとまわりくどい言い方をしましたが、
人間の脳にとって、パソコンのソフトウェアにあたるものは、
人類が脈々と蓄えてきたさまざまな智恵・叡智です。
「子どもに考える力をつける」などと言って、
「問題解決型の算数」を普及させようとしているエラい教授先生や、
その阿諛追従者となっている教師達は、
WORDで複雑な表計算をさせようとしているようなものです。

算数の九九や筆算というのは、人類の文化遺産です。
それらを軽視するのは、傲慢であり、無知をさらけ出しています。
某国みたいに、コピー商品でしかないものを、
「うちのオリジナルだ」みたいなことを言っているのに近いです。

東京から名古屋へ行くのに、
「電車や新幹線で行くのは、子どもたちに『歩く力がつかない』」といって、
児童を「毎回」名古屋まで歩かせたら、どうなりますか?
脱落する子が多数でしょう。
児童虐待で逮捕されるかもしれません。
では、「昔からの指導方法は、子どもたちに『考える力がつかない』」といって、
問題解決型の算数を「毎回」させるのはどうでしょうか?
いろいろな意味で、学びから脱落する子が多数いても、
残念ながら、教師の「知的虐待」は罰せられませんね・・・
大切なのは、『自分の足でたどりついたか』ではなく、
目的地に着くことであるように、
『自分で考える』ことは目的ではなく、
「確実に、計算したりすることができる」ことではないでしょうか?

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