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2010年1月11日 (月)

もし試練がなかったら・・・

小さないのちを守る会」代表の水谷潔牧師による、
命と性の日記~日々是命、日々是性」というブログを、ほぼ毎日読んでいます。
興味深い記事が満載ですので、ぜひ読んでみてくださいね。
(水谷牧師は、
小さないのちを守る会」のサイトからのアクセスを希望しておられるので、
そのHPを紹介します。
できればこのサイトから、水谷牧師のブログへアクセスしてください。)
http://www.chiisana.org/

さて、先ほどのブログで、特に「なるほど!」と思わされたものがありますので、
紹介します。
(いつも、「なるほど!」と思わされるものばかりなのですが・・・)
2010年1月8日の記事です。
http://blog.chiisana.org/?day=20100108
リアルに妄想?試練の意味」というタイトルです。
もしも、試練がなかったら、自分はどうなってしまうだろうか、
ということを、「妄想」という形で書いています。
ぜひお読みください。
ユーモアを交えて、「試練」の意味を逆説的に教えてくれています。

よく、「神はなぜ試練をお与えになるのか?」というような、
神学的な問いが出されますが、
逆に「試練がなかったらどうなるのか?」というのは、
あまり考えないことですね。

ある有名な牧師がその説教の中で、
「自分は『試練よ来たれ』みたいな内容の歌詞がある讃美歌を歌うのは嫌だった。」
と告白していました。正直ですね。
実際、その牧師は病気で何度も手術を受けたことのある、
試練の多い人でした。
だからこそ、信仰の英雄気取りで試練礼賛をするのはごめんだったのでしょうね。
(試練の分、恵みも、とても多かった人だ、と私は思いました。)

私も自分から進んで、試練を求めたいとは全然思いません。
よく聖人伝等でそういう記事(試練を祈り求めた等)を読むと、
率直に言って、共感できません。
(なんとなく、それはマゾ趣味みたいなものでは、とさえ思います。)

それでも、私にも、ささやかながら、試練の日々がありました。
今後も、たぶんあるでしょう。
(昔のあるCMで、「悩みがあるから、人間だ」なんてセリフがありましたが・・・)
苦悩の日々があったからこそ、今の自分があるわけです。
「人生に無駄な出来事はない。」すべては見方によってプラスに変わります。
だからこそ、それらをお与えになった、神様の深い愛に感謝します。

「 主よ、あなたの裁きが正しいことを
    わたしは知っています。
  わたしを苦しめられたのは
    あなたのまことのゆえです。 」
(旧約聖書 詩編119:75新共同訳)

「 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
  主はわたしを青草の原に休ませ
  憩いの水のほとりに伴い 
  魂を生き返らせてくださる。

  主は御名にふさわしく
     わたしを正しい道に導かれる。
  死の陰の谷を行くときも
     わたしは災いを恐れない。
  あなたがわたしと共にいてくださる。
  あなたの鞭、あなたの杖
  それがわたしを力づける。  」
(旧約聖書 詩編23:1~4新共同訳)

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙5:3~5新共同訳)

皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

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