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2009年11月 1日 (日)

ハロウィンと宗教改革記念日

10月31日は、ハロウィンでしたね。
日本でも、ハロウィンは少しずつ定着しつつあります。
かぼちゃちょうちんの「ジャックオーランタン」とか、
お化けとか、いろいろありますね。
ただ、私としては、これはキリスト教のお祭りではないと思いますし、
悪霊的な要素が強いので、好きではありません。
また、教会において、取り入れる必要がない習慣・祭である、とも思います。
(余談ですが、ハロウィンでは、「トリック・オア・トリート」の合言葉をもとに、
お菓子をもらう習慣がありますが、
北海道の七夕でも、似たような習慣がありますよ。)

もともと、ハロウィンは、11月1日の「諸聖人の日」を前に、
イギリスやアメリカなどで祝われるものでした。
日本で言えば、「お盆」にあたるもの、ともいえます。

あと、10月31日といえば、宗教改革記念日でしたね。
最近では、「信仰義認」を唱えたルーテル教会自体が、
「ルターは行き過ぎていた」みたいな発言をしていますし、
カトリック教会と共同で、
「義認の教義に関する共同宣言」に調印しています
(ルーテル世界連盟との調印。1999年)。
私としては、これはいい傾向だと思いますが、
ヨーロッパのカトリック・プロテスタント双方とも、
既に影響力を失いつつあることの証明のようにも思えます。
ヨーロッパは、もはや宣教師を送り出すよりも、
宣教師を必要としている、といえましょう。
私は、今ではあまりヨーロッパのキリスト教には、興味がありません。
21世紀のキリスト教は、アジアが中心になると思います。

ただ、いまだにプロテスタントでも、カトリックでも、日本では、
ヨーロッパの神学が中心ですね。
本当に、日本人に宣教するつもりならば、
カール・バルトやカール・ラーナーの神学研究よりも、
日本の諸宗教をもっと真剣に研究するとか、
内村鑑三などの先人の取り組みを再評価したほうがいいのでは、
とも思います。

最後に、私としては、「宗教改革記念日」というのは、
あまり好きではありません。
カトリック教会の堕落・腐敗に対して、
宗教改革というのは、歴史的な必然であったと思いますが・・・
「信仰によって『のみ』救われる」の『のみ』は、
やはり余計なものです。
これは、当のルーテル教会においても、
今ではこのようにとらえています。
(かといって、当時のカトリック教会の「行ないの強調」も、
聖書的信仰からの逸脱であった、と思います。
今日の、信者に献金を強要する悪質なカルト団体みたいなものに、
当時のカトリック教会が成り下がっていたからでしょう。
歴史を通じて、カトリック教会は、
主キリストが望んでいるとおりの信仰であった、と誰が言えるでしょうか?
反対に、プロテスタント諸派も、決して「無罪」ではありません。)
教会が、分裂という痛みを経験せねばならなかった、
負の意味での、記念の日、なのでは、と思います。
(教会があまりにも多種多様、バラバラになっている状況を、
イエス様は、どう思われるでしょうか・・・)

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