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2009年11月12日 (木)

子が犯罪者になっても親は親、子は子

11月10日の大きなニュースのひとつは、
外国人講師殺害事件の容疑者が捕まったことでしたね。
顔を整形してまで逃亡を続けた容疑者については、
司法が適切な裁きを下すはずです。

これに関連する報道で、ひとつ気になったものがありました。
容疑者の両親が、実際に顔を出して、
息子である容疑者が捕まったことに関して、コメントしていました。
正直言いますと、「ここまでして大丈夫なの?」と思いました。
ただでさえ、隣近所からは噂のタネになっているはずですし、
全国放送で、顔が知れ渡る、というのは、大変なことです。
「正義漢」ぶった人が、どんなことをしでかすかわからないし、
おそらく、しばらくの間は、日常生活にかなり支障が出ることでしょう。
(11月11日のNHKニュースでは、再び顔は映さないで、
改めて、息子の逮捕についてコメントしていました。)
しかし、堂々と顔を出して、
息子の逮捕についてコメントする姿は、潔く、尊敬に値すると思いました。

コメントの中で、注目したのは、父親が、
「息子がかわいいことには変わりない。」と述べたことです。
息子が卑劣な犯罪者になろうとも、親は親、子は子なのです。
容疑者は、もう成人ですから、親に責任はありません。
しかし、それでも、親であるから、子は見捨てられない。
親子の絆の深さを思いました。
(美術における「ピエタ」像が、私たちの胸を打つのは、
子(=イエス様)を思う母親(=聖母マリア)の胸の痛みが、
普遍的なものだからでしょう。)
ぜひ、容疑者は、親の愛を思い、更生してほしいものです。
(おそらく、この事件では、死刑適用にはならないはずです。)

こういう、親の愛の強さを知ると、
どうしても、神様の愛へと思いが飛んでいきます。
神様は、私たちが何度そむこうとも
(悲しまれますが)、決して、見捨てることはありません。
ただ、私たちが、神様のもとに立ち返ってくることを望まれています。
ちょうど、あの「放蕩息子のたとえ」のように・・・
父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、
わたしを引き寄せてくださいます。
(旧約聖書 詩編27:10新共同訳)

(※父母だって子を見捨てる場合があるのですから、
そう思えば、上記の容疑者は、恵まれていますね・・・)

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