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2009年11月15日 (日)

Anima Christi【自作曲】

「カトリック的な作品」シリーズ第8弾で、
ひとまずこのシリーズ最終回です。

今回は、聖イグナチオ・デ・ロヨラによる、
"Anima Christi"(アニマ・クリスティ〔キリストの魂〕)を紹介します。

テキストは、以下のサイトでごらんください。
「きょうをささげる」という、カトリックのサイトです。
その中で、「アニマ・クリスティ」というところをクリックしてくださいね。
http://seseragi.jesuits.or.jp/sasage/index.htm

カトリック・正教会・プロテスタント各派において、
聖餐式(聖体拝領・領聖)の扱いは、様々です。
カトリックと正教会のように、
それが礼拝の中心になっているところに対して、
全然重要視しないプロテスタントの派もあります。
せいぜい、聖餐式をしても、年に2回程度とか・・・
また、どういうパンを使うのかも様々です。
(聖書的なのは、普通の食パンではなく、種なしパンです。)
さらには、カトリックのように、
原則、一般信徒は「キリストの血」をいただかないところもありますし、
(禁止されているわけではありませんが・・・歴史的な経緯によります。
また、特別な機会には、信徒も「御血」をミサ中に拝領できます。)
「ぶどう酒」ではなく、
「ぶどうジュース」を使うプロテスタントの派も結構あります。
(聖餐をいただく人の中には、アル中の人もいるわけですから、
賢明な判断である、とも言えますが・・・)

上記のような形式論争はともかく、
少なくとも私にとっては、
キリストの御体をいただくことは、
信仰生活の中心の一つに位置づけられています。

余談ですが、カトリックで使っている用語「聖体拝領」という訳語は、
"Communion"という本来の言葉からかけ離れているように思えます。
ラテン語の元々の意味は、「共有すること」です。
"com"(ともに)+"union"(一致)・・・
これは、単に、「私と神様との一致」だけを表すものではありません。
「私と神様との一致」しか念頭にないのであれば、
それはもはや、霊的なエゴイズムです。
(「拝領」という言葉で、うやうやしく、キリストの御体をいただく、
ということを強調したかったのでしょうが・・・)
「私と神様との一致」の他に、実は、キリストの体を通しての、
「キリストにおける兄弟姉妹との一致」があります。
(参考:「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:17新共同訳))

今回紹介したテキストは、どちらかというと、
「私と神様との一致」を強調したものです。
しかし、聖イグナチオは、決して、
恵みを自分にだけとどめていられませんでした。
キリストとの深い一致、
そしてキリストを通しての、兄弟姉妹への愛。
これこそ、いただいたキリストの御体と御血が、
文字通り、私たちの「血肉」となり、生きて働く時です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20091115_anima_christi.MID」をダウンロード

「20091115_anima_christi.pdf」をダウンロード

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