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2009年9月 8日 (火)

「真理はあなたたちを自由にする」はずが・・・

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書8:32新共同訳)
イエス様の言葉です。

しかし、イエス様がこう宣言されたにも関わらず、
教会に熱心に通いながら、
かえって、自由でなくなる人が多いのは、なぜでしょうか?
イエス様への信仰と、聖書の御言葉が、その人を自由にするはずなのに・・・

先日、ある人から、かなり久しぶりに電話がありました。
その人とは、所属教会が違っています。
電話は、20分以上にも及びました。
内容は、所属教会での牧師との見解の相違で、傷ついている、というものでした。
その人の趣味(楽器演奏)に関するものでした。
牧師から、一方的に、趣味を否定され、
しまいには、「それはサタンの業だ」みたいなことを言われ、
怒鳴られた、ということです。
その人は、結構信仰熱心な人です。

私としては、その話に耳を傾けつつ、
「なぜそこまで言われなければならないのか」と思いました。
いわゆる「『信仰』という名の虐待」なのでは、カルト化の前兆なのでは、
とさえ思いました。
私はその牧師を知っています。
何度か説教を実際に聞いたこともあります。
すごく熱心な牧師で、尊敬に値する人だ、と思っていました。

教会の牧師や司祭については、
「長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、
受理してはなりません。」(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ5:19新共同訳)
とありますし、また、
「あなたの民の指導者を悪く言うな。」(新約聖書 使徒言行録23:5新共同訳)
とも書いてあります。
どんな事情であれ、原則としては、聖職者を非難するのは避けたいものです。
(もちろん、新聞・雑誌で取り上げられたいくつかの教会の牧師のような、
セクハラを「神の名」によって信徒にするようなのは、論外ですね。)
そもそも、他教会のことなので、私には、正確な事情はわかりません。
しかし、その人が苦しんでいることは事実です。
なんとかしてあげたい・・・
今、私にできるのは、話をきちんと聴くことと、他の選択肢を示すこと、
そして、祈ることだけです。

「真理はあなたがたを自由にする。」
イエス様は、こうも言われました。
「あなたがたは、『先生』と呼ばれてはならない。
あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。」
(新約聖書 マタイによる福音書23:8新共同訳)
私は別に、牧師や司祭といった、聖職者という存在を否定したい、
という意図はありません。やはり、教会には、そういう存在がぜひとも必要です。
しかし、聖職者による過度な信徒管理は、全然聖書的ではないと考えます。
残念ながら、「正統な」キリスト教会も、聖職者が信徒の個人生活に、
過度に干渉するなら、カルト化してしまうのです。

聖職者への召命は、確かに尊いものですが、
それだけが、神様に仕える道ではないはずです。

私は聖職者ではないので、あくまで信徒の立場から書きますが、
教会とは、ほどほどの距離をとったほうがいいのでは、と考えます。
また、一つの教会(現在の所属教会)だけを絶対化せず、
教会の「はしご」(複数の教会に通う)をしたほうが、
キリスト教界全体が活性化するのでは、とも考えています。
そうすることにより、聖職者のワンマン化・カルト化の被害を、
最小限にとどめることができると考えます。
(ただし、好き勝手に、自分の趣味にあう教会を探し続ける、
というのは、信仰的ではない態度である、とも考えますが・・・)

「実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、
再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、
また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。」
(新約聖書 ヘブライ人への手紙5:12新共同訳)
教会に来るようになり、洗礼を受けてから、
まだ1、2年というならまだしも、
10年、20年もたっているのに、いまだに聖職者べったりの、
「聖職者依存症」になっている信徒が多いのではないでしょうか。

禅とかヨガなどでは、「導師(グル)」の言葉は絶対です。
キリスト教においても、修道院では、上長の言葉には、
従順に従わねばなりません。そういう修道誓願をたてているのですから。
しかし、キリスト教会の聖職者と信徒との関係は、
そうあるべきではないと思います。
なぜなら、先ほども引用したとおり、
「あなたがたは、『先生』と呼ばれてはならない。
あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。」
(新約聖書 マタイによる福音書23:8新共同訳)なのですから。

成熟した信仰というのは、聖職者を敬いつつも、
まずは聖職者よりもキリストご自身をしっかりと見据え、
自分なりの信仰理解をもちつつも、謙遜に学び続けることでは、と考えます。

皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

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