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2009年7月 5日 (日)

日常に奇蹟あり

奇蹟、という言葉を聞いて、みなさんは、
どのようなイメージを連想しますか?

映画『十戒』に出てくる、モーセが杖を差し伸べて、
紅海を2つに分けるような、すごいものですか?
あるいは、新約聖書の各福音書に出てくる、
イエス様がなされた目覚しい数々の奇蹟でしょうか?
病人の癒し、死者を生き返らせる、波の上を歩く、
水を上質のワインに変える・・・

確かに、これらの奇蹟は、すばらしいです。
そして、病人の癒しなどの奇蹟であれば、
今日であっても、世界中のあちこちで起きています。
(さすがに、紅海を真っ二つに、というレベルの奇蹟は、
現代においては起きていませんが・・・
余談ですが、先日NHKテレビを見ていたら、
東欧の共産圏崩壊を象徴する、
「ベルリンの壁崩壊」についての番組をやってしました。
その裏には、どうやら、信仰の力がかなり働いていたようです。)

私自身も、かつて所属していた教会で、
祈りを通してのガンの癒しについて、聞いたことがありますし、
(2件知っています。)
重い精神病の癒しについても知っています。
また、アフリカからの伝道者が来て、
伝道集会において、目の前で、
その伝道者に祈られた人が、バタバタと倒れていく、
というのも実際に見たことがあります。
映像だけなら、そういうのは何度も目にしました。
あと、高校生のときに、「新世界紀行」というTV番組で、
死後100年以上も経っても変わらない、
聖ベルナデッタのご遺体の映像を見たのは、非常に衝撃的でした。
「確かに奇蹟はあるんだ!」という確信になりました。
(参考までに、聖ベルナデッタのご遺体の写真は、
下記のホームページで見ることができます。)
http://www10.ocn.ne.jp/~nevers-j/espace/frespace.htm

しかし、ちょっと考えてみてください。
そういう、目覚しい、人を驚かせるようなものだけが、
「奇蹟」なのでしょうか?
「奇蹟」は、特別に信仰深い人にだけ与えられる、
いわば、宝くじの1等賞あたるようなものなのでしょうか?
私はそうは思いません。

(これから書くことは、一般的な、まずまず健康的な人を念頭においています。
もし、この文章を読んでいる方で、何かお気にさわるような表現があれば、
どうぞお許しください。)
私にとっては、奇蹟は日常にあります。
今、この文章をタイピングしている指、
指が片腕に5本ずつあること、
これは考えてみれば、奇蹟だと思います。
5本の指それぞれが果たす、絶妙なバランス!
この文章を読んでいる瞳も、実に奇蹟といえるほどの、
非常に複雑聖妙な存在です。
(単なる「進化=偶然、デタラメによって成立すること」では、
「瞳」のようなものは決してできません!
知性をもって「造られた」お方がいるからなのです。)
今生きていること、これぞ、実は奇蹟の連続なのです。

ノーベル生理学・医学賞を受賞した、
アレキシス・カレル博士が、
『人間 この未知なるもの』という題の名著を書いていますが、
(現在でも、三笠書房の「知的生きかた文庫」で入手可能です。)
まさに、人間の体(いや、どんな単純な動植物、微生物であっても・・・)は、
まだまだ未知がいっぱいの、奇蹟の産物です。

人間やその他の生命体だけではありません。
この宇宙そのものが、ものすごい絶妙なバランスに支えられた、
奇蹟そのものの存在なのです!
「御子(=キリスト)はすべてのものよりも先におられ、
すべてのものは御子によって支えられています。」
(新約聖書 コロサイの信徒への手紙1:17新共同訳)

ただ、日常のことは、あまりにも「あたりまえ」すぎて、
感謝感激を忘れてしまいがちですね。
たとえば、ボールを手に握っていて、
ボールを手放すと、あるときは落ちるし、あるときは落ちない、
もしそういう法則性がない世界だったら、どうなりますか・・・
ボールから手を放すと、ボールは必ず落ちる、
という万有引力の法則があるのも、実はありがたいことなのです。

神様は、使徒パウロを通して私たちに、
「どんなことにも感謝しなさい。」
(新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:18新共同訳)
と望んでおられます。
いつまでも、子どものようなみずみずしい心で、
日常にあるさまざまな「奇蹟」に驚き、感謝していきたいものですね。
レイチェル・カーソンの言う、
「センス・オブ・ワンダー」(不思議を感じる感覚)を忘れずに・・・
〈参照:レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)〉

「あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなた(=神様)に感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
御業(みわざ)がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。(中略)
あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒よりも多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。」
(旧約聖書 詩編139:13、14、17、18新共同訳)

最後に、旧約聖書の詩編139から引用しました。
旧約聖書の時代の詩人も、
「自分」という存在の不思議さを、深く驚き、
そして神様に、深く感謝していました。
神様が「私」を造り、「私」を知っておられる、というのが、
作者にとっての日常の奇蹟を感じたときでした。
ぜひ、全文を読んでみてくださいね。

神様の祝福と平安が豊かにありますように!

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