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2009年6月20日 (土)

主の祈り(その7)「わたしたちの日ごとの糧を・・・」(1)

「主の祈り」シリーズ、今回は、
「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。」
の箇所について考察します。
この箇所は、2回に分けます。
1回目は、どうしてこの句が、中間にあるのか、
についてです。

「主の祈り」の中間部になってようやく、
人は自分の願い求めるものについて、
神様に打ち明けることになるのです。
しかし、どうして、個人的な願いが、最初ではなく、
この位置に来るのでしょうか?
いきなり、「神様、○○がほしいのです!」と
呼びかけるのではいけないのでしょうか?
(絶対にダメ、というわけではありませんが・・・)

みなさんが、親しい友人や、家族や、
親戚の家に行くと想像してください。
その際には、以下のようになるはずです。
(訪問の前に電話する、手土産を買う等は省略します。)
1.呼び鈴を押す。
2.玄関先に、相手が出てくる。歓迎される。
3.あいさつ。
4.家に入る。
5.ふつうは、雑談。あるいは、お茶など。
6.もし、大事な用件があれば、話す。
(お金を借りたい、悩み事相談等々)
7.相手に感謝を述べ、家を出る。
まあ、こんな感じでしょう。

上記のケースで、たとえば、
呼び鈴を押して、相手が出てきたところで、
いきなり、訪問者が、
「20万円必要なんです!」と言ったらどうなるでしょうか?
強盗の一歩手前みたいなものですね。
あるいは、玄関先で、訪問者がいきなり、
配偶者や子ども、職場関係などの陰口を言い始めたら、
どう思いますか?

同様に、神様に自分の願いを知っていただくにも、
順序があります。
神様は、私たちの願いをかなえる自動販売機ではありません。
神様はまず、私たちと心を通わせあいたい、と願っておられます。
神様と触れあう順序は、

1.神様に呼びかけること(天におられるわたしたちの父よ)
2.神様を賛美すること(み名が聖とされますように)
3.神様の願われていることに同意し、
その実現に協力する旨を表明すること
(み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。)
4.その上で、自分が願い求めるものを打ち明ける。
(わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。)
(※以下はまたの機会に述べるので省略します。)

詩編100には、ある意味で、
「神様の家」を訪問する「作法」が書かれていると言えます。
※(数字は、節)

1.全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
2.喜び祝い、主に仕え
  喜び歌って御前に進み出よ。
3.知れ、主こそ神であると。
  主はわたしたちを造られた。
  わたしたちは主のもの、その民
  主に養われる羊の群れ。
4.感謝の歌をうたって主の門に進み
  賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
  感謝をささげ、御名をたたえよ。
5.主は恵み深く、慈しみはとこしえに
  主の真実は代々に及ぶ。
(旧約聖書 詩編100(全)新共同訳)

祈りは、神様を訪ねに、「神様の家」を訪問するようなものです。
自分の願いばかり述べたり、泣き言や愚痴ばかり言う訪問者は嫌われますが、
その家の主人(=神様)を愛し、敬い、ほめることが好きな訪問者なら、
きっといつでも、いつまでも、その家で喜ばれるでしょう。
「主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。」(旧約聖書 詩編23:6新共同訳)

私たちも、さあ、「神様の家」に行きましょう!

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